
むか~し、むかしのぽんぽこぽん。
天智大君の御代の頃、伊予の国の久万山に、一匹の化け狸が棲んどった。
その化け狸は子産み、その子もさらに化け狸となって、いつしか八百八匹の大一家となっとった。
その八百八狸(はっぴゃくやたぬき)の始祖にして総帥、四国の妖怪ん中でも最強の神通力を持っとるちゅう化け狸が「隠神刑部」(いぬがみぎょうぶ)じゃった。
「化け狸さま、どうか城と民の暮らしを守ってくださらんじゃろか」
松山の城主になった最初の殿さまは、久万山の最初の化け狸に、守り神になってもらえるようお願いした。そんとき化け狸が、殿さまから拝領した位階が刑部じゃった。
隠神刑部と八百八狸は、久万山の岩穴を根城とし、ときに神通力で風雨を鎮め、ときに妖術で不逞の輩どもを追い払い、松山の地に豊かな実りと平穏な治世もたらしとった。
享保17年、世に享保の飢饉が起きたときのことじゃった。
刑部の神通力もってしても、凶作を押しとどめることはできなんだ。 窮した松山藩は、やむのう幕府から、たくさんの金子を借りたんじゃけんど、家老の奥平久兵衛は、その金子を独り占めしようと考えとった。
そこで奥平久兵衛は思うんじゃった。
「松山城は、伊予狸の総帥・隠神刑部が守っとるんが邪魔じゃのぉ」
そこで久兵衛は、飛騨の山奥で山犬の乳で育った後藤小源太を呼びつけ、言うた。
「あの刑部狸は凶作を押しとどめようともせず、世を惑わそうとしとる。怪しげな術を使い、人心を絡めよるわ。この刑部狸は討伐せないかん」
小源太は久兵衛の子飼いであったけん、彼の言うこと疑いもせず、隠神刑部退治に乗り出したんや。
小源太は夜目の効く豪傑じゃった。 さしもの刑部と八百八狸らも、狸の天敵である山犬の力を得た小源太に歯が立たんかった。
ついに討たれそうになった刑部は、
「もう狸を討伐せんでくれるなら、小源太が窮地の時には必ず助勢致します」
そう約束し、なんとか命だけは見逃してもらった。
「よしよし、ようやった小源太」
奥平久兵衛は後藤小源太を中老に取り立て、結果として八百八狸を味方に引き入れることに成功した。
さらには藩主の愛妾・お紺の方も手ごまにし、いよいよ金子を手に入れるべく、悪だくみを実行に移すのじゃった。
久兵衛は小源太に命じて、八百八狸に松山城下で夜とのう昼とのう怪異起こさした。 ほいて彼は抜け抜けとこう言うた。
「殿、この怪異や飢饉は、家老松平主膳殿らの不手際が原因じゃろうな」
「久兵衛殿、何を言う。虚言も甚だしい。そのようなこと申される久兵衛殿こそ怪しいじゃないか」
筆頭家老松平主膳、その配下長谷川織之丞、近習頭山内与兵衛らは主君に直訴した。
しかしお紺の方の讒言により、逆に松平主膳は処分受け、山内与兵衛は手討ちにされてしもうた。
「フフ、ハハハ、いよいよ念願の、金子をわしのものとする時がきたのぅ」
奥平久兵衛はついに悪巧みの仕上げへと取り掛かろうとしたのじゃった。
しかしこの怪異聞きつけ、松山にやってきた男がおった。そん男は、芸州広島の一刀流剣士の稲生武太夫というた。
刑部は武太夫をおそれ、1匹の雌狸を娘の姿に化けさせ、彼を篭絡しようとした。
ところがこの稲生武太夫、幼少のみぎりに30日間屋敷に現れたあまたの妖魔を退け、最後には魔王・山ン本五郎左衛門さえも降参させた剛の者じゃった。小賢しい雌狸のことやらあっさり見抜いてしもうたんじゃ。
全てのカラクリを悟った武太夫は、愛刀の菊一文字手に、後藤小源太と討ち合い、彼を斬った。
隠神刑部には小源太との盟約と義理がある。後藤小源太の仇とるために、稲生武太夫と対決することになった。
「我には宇佐八幡大菩薩の加護がある。 この八幡様から授かった神杖、受けてみよ」
小源太の放つ一撃は、隠神刑部の神通力とて歯が立たなんだ。こうして刑部はついに調伏され、 八百八狸らもろとも久万山の岩穴に封じこめられてしもうた。
その後、狸の後ろ盾失うた奥平久兵衛は、これまでの悪行が明るみに出て失脚。
こうして松山の怪事はその後、起こらんようになったという。
久万山に封じられた隠神刑部と八百八狸は、本来なら成敗されてもおかしゅうない。
しかし彼らは城下を騒がしてなお、家臣や領民に惜しまれ慕われ、彼らが封じられたという洞窟の前に社が建てられて、末長く祀られるようになったのじゃった。
ぽんぽこぽんぽこ、ぽんぽこりん。


愛媛県松山市の中心部から南へ27km、三坂峠を越えて達する久万高原一帯が「久万山」(くまやま)といい、「久万郷」とも呼ばれています。
その峠道の隅にある小さな社が、隠神刑部と八百八狸がら封じこめられ、祀られた「山口霊神」(やまぐちれいしん)です。

はるばる山の中に訪ねてみれば、とても簡素に祀られた神社でした。

講談で語られる『松山騒動伊予八百八狸』は、享保17年(1732年)の大飢饉で、久万山の農民が松山藩に起こした「久万山騒動」が元ネタとなっています。

享保の大飢饉により5000とも6000とも言われる餓死者を出してしまった松山藩主「松平定英」は、その責を問われ失脚。病と失意での定英は亡くなります。
その後、息子の「松平定喬」が後を継ぎ松山藩主となりますが、このとき一大事件が起きました。
定喬が藩主となった翌年、家老の奥平藤左衛門が飢饉の不始末のため蟄居(ちっきょ)となり、 連座して、藤左衛門派の久松庄右衛門・山内与右衛門が処分をうけ、
山内与右衛門は「悪心を持って藩主を惑わした」ということで切腹になりました。
そして替わって家老の座に就いたのが「奥平久兵衛」だったのです。

この政変が久兵衛の野心によるものかどうかは、定かではありませんが、実際に奥平久兵衛は松山藩の実権を握り、勢力を大きく伸ばしていったのです。
ところがこの享保大飢饉に苦しむ松山の領民は、米の高騰と主要産物の茶の暴落で貧困にあえいでいました。さらに松山藩は、領民が副業として製造販売していた手すき和紙を藩の専売品にするというお触れを出しました。
農民は何度となく藩に嘆願を重ねますが、のれんに腕押し、ついに堪忍袋の緒が切れた彼らは自分たちの村を離れ、隣の大洲藩めざして出発し、最終的には3000人近くの農民が越境したのでした。
この事件を「久万山騒動」と呼びます。

騒動の始末を依頼された久万山の大宝寺住職「斎秀」は、松山藩に農民たちの出した条件を受け入れるよう説得し、 かつ一揆の首謀者を詮索しないという約束をとりつけました。これによって農民らは松山に戻ることになりました。
奥平久兵衛はこの一連の事態の責任を取らされ、生名島へ配流されたとか、また一説には松山藩より派遣された目付によって殺されたといわれています。

簡素なお社の中には、鏡と小さな石が祀られ、その下にも、山口霊神と書かれた石碑のようなものが置かれていました。
霊神とあるように、隠神刑部はれっきとした神であり、八百八狸を率いる日本最高位のお狸さまなのです。
その伝説は多くの作家を魅了し、「ゲゲゲの鬼太郎」「平成狸合戦ぽんぽこ」「ぬらりひょんの孫」「妖怪大戦争 ガーディアンズ」etc.
いずれの作品にも、個性豊かなキャラクターとして描かれています。

個人的には広島県北・三次の英雄「稲生武太夫」がストーリーに参加している点が嬉しいです。
四国最大の化け狸であった隠神刑部。彼と彼の眷属・八百八狸が失われた四国では、その後化け狸をはじめとする、数多の物の怪が跳梁跋扈する戦国時代に突入したと言い伝えられています。

隠神刑部の話は主に講談で語られたため、いくつかのバリエーションがあるようです。
山口霊神の境内にあった紹介文によれば、洞窟に閉じ込められた刑部は罪を許され、里人と仲良く暮らしたのだと締め括られています。
律儀さゆえに悪事に関わってしまった偉大な化け狸、そんなどこか憎めない刑部狸を、今も久万郷の里人たちは深く愛しているのでした。
ぽんぽこぽんぽこ、ぽんぽこりん。
