美保神社 末社めぐり 西編:八雲ニ散ル花 08.5

投稿日:

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美保は良い。
松江に宿をとっていた僕は、早朝に島根半島の東端に向けて車を走らせていました。

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少し時間にゆとりがあったため、いつもはスルーしてしまう「男女岩」(めおといわ/みょうといわ)に立ち寄りました。

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男の子、

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女の子。
うむむ、どこに女の子らしさがあるのか、疑問に思っていたら、

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ああ、なるほ。
さすが母系社会。女子の方が大きいのですね。

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男女岩と美保神社の間に、境外末社の天神社があるのは知っていましたが、今回こちらも、初めて参拝しました。
ちょっと怖いです。

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が、参道まで足を進めると、なんと清らかなこと。
天神社というから道真さんが祭神だと思うじゃな~い。
ところが祭神は、少彦名命でした。
天神社の古い形、手間天神の名残かもしれませんが、そこは少名彦として欲しかった。

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さて、麗しき美保神社へとやって来ました。

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この港町風情が大好きです。

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2023年のこの日は、台風7号が接近しているタイミングでしたが、美保郷は比較的穏やかでした。

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美保神社へ参拝するときは、いつもワクワクが止まりません。

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果ての神社ではありますが、確かにここは出雲があります。

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偉大な事代主を祀る重要聖地の一つ。

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しかし他所ではみられない、この開放的な社殿は、別の要素も含んでいるのではないかと、最近考えるようになりました。

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社紋は、そう、祭神の「三穂津姫命」(みほつひめのみこと)に由来するものでしょうが、横三本の社紋といえば、ね。

僕が朝早く美保神社を目指したのは、「朝御饌祭」(あさみけさい)を拝観するため。
多くの神社で朝御饌祭は執り行われていますが、美保神社のそれは、可能である限り拝観したい魅力があります。

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さて、無事、巫女舞も見れたところで、イキますか。

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常世へ。

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美保神社の背後の杜は、というか山は、巡礼できます。

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できるんですがね、コワイ。

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なかなかの急斜面だし、蛇はいるし、虻はいるし、暑いし、暗いし、クモの巣は張ってるし。

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もうイヤだーって思い始めた5分後くらいに、

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「久具谷社」(くぐたにしゃ)が現れました。

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参拝者の足を掬い絡めようとする木の根。
いえいえ、大事な根なので、踏まないように注意しましょう。

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鬱蒼とした杜の一部だけが開け、神殿を浮き彫りにします。

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久具谷社の祭神は「多邇具久命」(たにぐくのみこと)と「國津荒魂神」(くにつあらみたまのかみ)。
多邇具久とはどういった神なのか。
大国主が御大之御崎(みおのみさき)を訪れたとき、海の彼方から天之羅摩船(あめのかがみのふね/ガガイモで作った船)に乗って来る神がありました。
大国主はその神に名を訪ねますが、答えが返ってくることはありません。
そこで周囲にいた神々に尋ねてみたところ、誰もその神の名を知りませんでした。
この時、ヒキガエルの神、多爾具久が言いました。「カカシの神の久延毘古(くえびこ)なら知っているはずです」と。
そこで久延毘古に尋ねると、「その神はカミムスビの神の御子、少名毘古那神(すくなびこなのかみ)でいらっしゃいます」とそう答えたのでした。

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多邇具久さんはヒキガエルの神でしたか。さすが八百万の神々の国、いろんな神がいらっしゃいます。
國津荒魂神は、事代主さんの荒魂と考えて良いでしょう。

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サイト『出雲大社の歩き方』によれば、この社殿は南東を向いており、その先には客人社があるのだといいます。
客人社にはオオクニヌシが祀られています。

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また、水木しげる氏は生前、「この森には妖怪が棲んでいる」と言っていたそうで、確かにそんな雰囲気もあるのでした。

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さて、ここから更に山深く、森深く、歩みを進めて参ります。

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道はわかる程度には、道としてあるのですが、分岐が途中いくつかあるので、行きも帰りも注意が必要です。

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驚くべきことに、この道は美保関灯台まで続いているようです。

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久具谷社からまた5分ほどあるいてきたでしょうか。
実際には恐怖心もあって、もっと長く感じました。

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そしてようやく、最奥の目的地へ辿り着きました。

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「客社」(きゃくしゃ)です。

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祭神は「建御名方神」(たけみなかたのかみ)。
それに切木社として「久久能智神」(くくのちのかみ)、幸神社として「猨田彦神」を合祀しています。
社殿の向きは、おそらく美保神社の方角です。
一番遠く離れた場所から、父神を見守っているのですね。

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近くに箒がありましたので、軽く落ち葉を掃いておきました。特にこのような辺鄙な場所は参拝客も稀なので、参拝前に場を清めると、神様もイヤな気はしないと思われます。
最近は、訪問先の神社で箒が用意してあれば、そうすることにしています。

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客社から少し戻って来ましたが、これを真っ直ぐ進むと

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御穂社のある五本松公園へ至るのですが、このときは怖さで心折れかけていたので、一旦美保神社に下りて、反対側から御穂社を目指すことにします。
それよりも右手、北方向を指し示す「才」が気になります。

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この先が才に至る道ですが、才とは何ぞや、サイノカミの遺跡の名前か!と思いましたが、才という名の地区があるようです。
まあサイノカミに由来する地名でしょうが、今回はパスすることにしました。

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美保神社まで戻った僕は、五本松公園までは車で行くことができるだろうと、たかを括っていましたが、結局下から登ることになりました。
10分弱ほど、まあまあな坂道を登ります。
かつてはリフトがあったそうで、その頃に来れば良かったと思ったのでした。

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色々と終わりかけている公園。

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記念撮影、とは。

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標高100m~130mのこの小高い丘は、かつて五本の松があり、船が目印にしたということでした。

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しかし当時の松江藩主は、美保神社へ至る関所のこの一帯が、道が狭いのを理由に1本の松を切らせてしまいました。

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このことに対する、船人たちのやるせない気持ちが、民謡「関の五本松」として、歌われています。

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今は残った松も全て代替わりをし、当時の面影を残すものは、ありません。

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また、昭和2年(1927年)8月に、地蔵崎の北東沖で、演習中の日本海軍の駆逐艦 蕨と葦が衝突、119人の命が失われました。
その霊を慰めるために昭和4年(1929年)11月に建立された忠霊塔は、終戦までは海軍元帥東郷平八郎の「慰英霊」の文字が刻まれていましたが、戦後忠霊塔などは壊すよう命じられたため、やむなく文字盤だけ外し、昭和27年(1952年)に平和祈念塔として残されることになりました。

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初夏には五本松公園斜面に、一面のツツジが咲き誇り、それは見事なようです。

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さらに奥へ歩き進めると、

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すすめると、

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すすめると、

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ようやく御穂社が見えて来ました。

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美保関では1990年頃、松江市外中原の宝照院内にあった、美保神社奥の院とされる祠を、売布神社宮司と、御穂須須美命信者代表の5人が協力し、ここにあった「くじら稲荷」跡に遷して、御穂社を建立したと言うことです。
社殿はおそらく、美保神社に向けて建てられているよう。

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そのような経緯があってか、御穂社は美保神社の末社には含まれていません。
ただ、10月7日に御穂社祭が行われているので、管理・祭祀は美保神社が行っているようです。

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御穂社の祭神は「御穂須須美命」(みほすすみのみこと)。彼女は一般的には大国主命と沼川姫(ぬなかわひめ)との間に生まれたことになっていますが、真実としては事代主と越の翡翠・沼川姫との間に生まれた姫巫女です。これは間違いのない事実。

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美保神社の祭神は、事代主と三穂津姫(みほつひめ)となっていますが、僕はこの三穂津姫と御穂須須美は同一人物だと考えていました。
しかし最近では、三穂津姫は沼川姫のことだろうと思うようになりました。父娘を祀るよりも、夫婦を祀る方が自然ですし、出雲的です。
少々高いところからではありますが、兄妹が父母を見守って、背後に鎮座するのは、自然なことのように思えました。

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4件のコメント 追加

  1. 出芽のSUETSUGU より:

    久具谷社について、地元のよもやま話をおひとつ。あの鳥居をくぐって木の下に小さい池があったのに気づかれましたでしょうか。
    あの辺りに住まれてる地元の方のお話では、実はあの池が、かなりの御神域だそうです。恐らくですが。。何かが産卵をしにくる聖なる池なのかもしれないです。。カエルの仲間かもしれませんが、これ以上はナイショと言われてしまいました。オオッと思わず池に手を合わせました。

    そういえば、美保神社の裏手にあるクシヒカタさまの若宮社のあたりに、秘社があり御祭神は不明ですよね。この久具谷社はちょうどその上あたりに位置するのですよね。。。意味深だとは思われませんか(笑)

    摂社末社巡りは秋に天気がよくて助かりました。建御名方神の客社まで行く頃には。。年齢には勝てません。息切れが。。。地面がぬかるんでたらとてもとても。五条さんの健脚とフットワークの軽さが羨ましいです。。

    しかし、美保神社摂社末社は謎だらけ。

    地主社、ストーンサークル?
    幸魂神社、三穂津姫でなくてこれも御穂須須美命の霊廟?下の神様?との由緒書き。。なんだそりゃ?

    どうも
    事代主さまファミリーは
    謎が多すぎませんでしょうか。。
    あ。。西王家の方もなかなかでしたね(笑)

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 より:

      確かに池があったような気がしますね。これも貴重なお話をありがとうございます。久具谷社は元は沼地だったという話を聞いたような気がします。秘社も確かに。美保社は沼川姫がお住まいになった場所だと言われますが、事代主が釣り好きで美保関を愛していたとは言いますが、なぜ半島の端のあの場所だったのか、というのも素朴な疑問です。佐太神社の場所あたりでも良かったのではないかと。出雲もどこも謎だらけです。本当のことをどれだけ知り得たのかも分かりませんし、そもそも全く見当違いのところを行き来しているのかもしれません。

      いいね

      1. 出芽のSUETSUGU より:

        返信ありがとうございました。
        確かに検討違いかも?と思うこともしばしばあります。。

        最近は今まで気づかずに通ってた路や地名が気になります。特に淀江(米子市)や西伯郡南部町あたりに倭、大和とつく地名が多いのに驚いています。何か秘密めいたものを感じます。

        南部町エリアは、手間山を囲むようにして三角トライアングルの賀茂神社。そして鴨部、下鴨という地域もその反対側に。更に高野女神社が手間山を囲むライン上に建っており、その地名に由来しているのであろう高姫という地名。倭姫と由緒書きにはありますが恐らく高照姫のことでしょうか。赤猪岩神社も近くにありなかなかのエリア。暖かくなったらこの辺りを散策してみるつもりです。ちょっと伝承的に怖いですけど(T_T)

        山陰に住まわれたいとのコメント、五条さんありがとうございますm(_ _)m
        働く世代の高齢化がどんどん進み深刻になってる島根、鳥取です。なかなか若い世代がいなくて求人募集に奔走しておられる社長さんもたくさんおられます。五条さんはこちらの神社事情にかなりお詳しい方だと存じますが、神社も氏子さん募集中のとこだらけですよね。富神社も絶賛募集中。特に安来エリアの神社。。。後継者が。。。
        美保神社の巫女さんも、高校求人出してやっと今年春に新しい巫女さんが来られて舞を見事に諸手船神事前に舞っておられました。やっぱり巫女がおられないと花がありませんから。こういう現実を地元民なのに全くこれまでは知りませんでした。。

        山の陰、なんて書きますが、
        本来ここが始まりで、古代から海洋貿易の要、良港でもあり、栄えていた。。のに。。立地的にも攻められやすく、まあ諸々のことが諸々で。。五条さんのブログファンの皆様の方がずっとご存知の諸々諸々あんなこんなで。。。
        100年後には人口ゼロなんてこと、言われてる市もたくさんあります。

        そげなことになったらいけんだよ。

        です。

        いいね: 1人

        1. 五条 桐彦 より:

          私はどちらかというと、神社にご迷惑をおかけしてしまう立ち場なので、深入りするのはとても気が引けます。それに本職は美容師でして、カミはカミでも、あっちの方を切ったり結ったりしています😄

          いいね

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