戸隠山の鬼姫:常世ニ降ル花 紅葉寒月篇 01

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世間に伝わる戸隠山の紅葉伝説にはいくつかの異同があるため、その中から正説を集めて、まとめてみようと思う。

清和天皇の御宇、貞観8年。伴善男は陰謀を企て、恐れ多くも応天門を放火した罪で、伊豆の孤島に流罪となった。奥州会津に、その子孫という伴笹丸(ばんのささまる)がいた。彼には妻・菊世(きくよ)がいたが、神明仏陀に祈れど、長いこと子供に恵まれなかった。そこで笹丸は山谷に篭り、霊験ありと噂される第六天の魔王に熱心に祈った。すると、承平7年の秋のこと、夫婦は一女をもうけることができたのだ。笹丸はたいそう喜び、その子を呉葉(くれは)と名付けた。

蝶よ花よと寵愛を受け、月日を重ねた呉葉はすくすくと育ち、読み書きそろばん、琴に三味線、和歌にまで大人も敵わぬほどの天賦の才を示すようになった。
年が十五、六になった呉葉は、桜かアヤメか、天の乙女の再来かといわんばかりの美しさで評判となり、彼女に焦がれる若者が贈る恋文も数知れないほどであった。
近在に住む豪家の息子・河瀬源吉(かわせげんきち)は呉葉に恋するあまり食も通らず、やがて体も痩せて床に伏すようになった。源吉の両親は勝丞(かつじょう)と千代平(ちよへい)という二人の中老を会津に向かわせ、笹丸に呉葉を嫁によこすよう、説得させた。
笹丸は、娘を京の都の高貴な方に嫁がせ、焦がれた京暮らしに戻りたいと考えており、これを断った。すると千代平は笹丸に言う。
「かつてお主に貸した金十五両があっただろう。これを今すぐ元利揃えて払ってもらおうか。それができなければ、娘を嫁に差し出すことだ」
これを聞いた笹丸は奥から刀を取り、
「貧苦に迫り、一人娘を取られたとあっては生きる甲斐なし」
と、切腹しようとした。妻の菊世は驚いて泣き叫び、呉葉も走り寄って父の切腹を止めた。
「お主が死んだとて、借金が消えて無くなるわけではない。もう少しよく考えてみよ」
と千代平は、この騒動に半ば呆れて、勝丞と共に「出直す」と言ってひとまず退散することにした。

この難儀をどうしたものかと思い悩む両親を見た呉葉は、
「私を守ってくださっている神様に頼みましょう」
と言い、立ち上がって庭に出て、天を仰いで秘文を唱えた。すると驚いたことに、髪かたち、衣服も帯もそのまま呉葉とそっくりの女が目の前に現れた。
呉葉はその魔物の娘を身代わりに嫁がせ、笹丸は結納金や酒代を河瀬家から山ほど受け取った。
「お父様、身代わりがバレる前に、早く逃げましょう」
そうして呉葉と両親はすぐに旅支度をし、まんまと京へ逃げおおせた。
さて、偽物とは知らず輿入れした呉葉を見て喜ぶ源吉。体も回復し、ついに祝言をあげるのだが、その夜、呉葉は源吉の前で雲に乗り、そのまま天へと姿を消したのだった。

-『北向山霊験記 戸隠山鬼女紅葉退治之伝』

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長野県長野市戸隠豊岡に、荒倉山があります。
そこには鬼女・紅葉(もみじ)が隠れ棲んだと言う洞窟「紅葉の岩屋」があるそうです。

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あるそうですが、僕は紅葉の岩屋まで辿り着けませんでした。
最寄りまで車で行けるのですが、道は荒れ、細い車道は倒木に遮られていました。
荒倉キャンプ場から1時間ほどのトレッキングで行けるそうでしたが、登山口の前に立つ僕は、熊が出そうな気配に足が前に出ませんでした。
ツキノワグマは滅多なことでは人を襲わないそうですが、前日に奴がカモシカをめっちゃ襲っている動画を見たのと、急激に冷え込んで降雪する山で、クマさんも飢餓状態になっているのではないかと思えました。

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まあ、もともと洞窟は苦手で、積極的には立ち会いたいものではないので、素直に諦めました。
鬼女が棲んだと言いますが、僕が会いにきた紅葉は人の姫であるので、岩屋に彼女が棲んだとは思い難いのです。そこは祭祀跡ではあるのかもしれませんが。

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それで、荒倉キャンプ場そばにある「紅葉稲荷神社」にやって来ました。
紅葉姫(もみじひめ)とは長野に伝わる鬼女のことです。なぜ彼女が稲荷として祀られているのかは分かりませんが、豊岡という地名と関連があるのかもしれません。

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『新形三十六怪撰 平惟茂戸隠山に悪鬼を退治す図』月岡芳年 国立国会図書館より

鬼女・紅葉姫の伝承地は長野の中でも数箇所あり、またストーリーもいくつかの、微妙に違うパターンがあります。
一般的には、明治19年(1886年)に発刊されたと言う『北向山霊験記 戸隠山鬼女紅葉退治之伝』(きたむきさんれいげんき とがくしさんきじょもみじたいじのでん)に記される物語をベースに語られることが多いようです。

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鬼女・紅葉の伝承の大筋は、京で悪さを働いた紅葉が戸隠方面へ追放となり、勅命を受けた平維茂(たいらのこれもち)が神仏の力を得て、これを退治するというものです。

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この辺り一帯は、紅葉軍と維茂軍が激しく争った場所と伝えられ、紅葉姫は紅葉稲荷神社の奥の岩を、山の神として祀ったと語られていました。

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戸隠神社中社の近くに、「足神社」(あしがみしゃ)があります。

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地元では「足神さん」と呼び親しまれるこの社は、紅葉姫の配下である鬼の「お万」(おまん)の墓なのだと伝えられます。

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紅葉姫が戸隠にやってくると、平将門の残党という黒姫山の鬼武(おにたけ)熊武(くまたけ)、そして怪力のお万を配下に加えました。
お万は23,4歳の女でしたが、力において並ぶ者なく、一夜のうちに鳥のごとく数十里を駆ける俊足の持ち主でもあったといいます。

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平維茂の兵に対して、お万は岩を投げつけ、奮戦しました。
紅葉姫の一味は皆戦死、または死刑となりましたが、お万だけは戸隠山の麓まで逃げ延びました。しかし途中で硯石という窪んだ石に溜まった水に自らの姿を映した時、この世の無常を感じた
お万は観修院へ行き、寛明僧正に乞うて出家しました。彼女はこれまでの罪業を懺悔し、善光寺如来に後世を願いながら、最後は自害したと伝えられます。

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寛明はお万を哀れに思い丁重に葬った、その墓がこの足神社であるといいます。

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お万の遺髪は保存されており、その毛は、戸隠本坊の仏殿にあったのだそうです。

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戸隠連山の山容が映り込むことから名付けられた「鏡池」に来ました。

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ツルッツルでカッチカチの雪氷の道を、死ぬ思いで車を走らせてきましたが、水鏡の半分は凍っていました。
それでも誠に美しき光景です。

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今回、紅葉の岩屋には辿り着けませんでしたが、紅葉姫が暮らしたと言う戸隠の里は、相変わらず神秘的です。
紅葉姫は安曇野の鬼である「魏石鬼八面大王」(ぎしきはちめんだいおう)の妻だったと言う説があります。魏石鬼には「八」の聖数が冠せられており、出雲系の王であった可能性を僕は見ています。
戸隠神社創建には阿智祝が関与しており、阿智は越智であると考える僕は、紅葉姫は安曇野王に嫁いだ越智の姫だったのではないか、と勘繰ったのが今回の旅の発端でした。

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ただ、この魏石鬼妻説の紅葉姫伝承は、当地ではなく、同じ長野でも大町市八坂に伝わる山姥・紅葉の話のようです。
そこでは魏石鬼との間にもうけた紅葉姫の子が、金太郎となったと云う話です。
当初の目的とは当てが外れた旅となってしまいましたが、戸隠にも面白い紅葉姫伝承地がたくさんありましたので、お話を少しだけ続けさせていただきます。

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6件のコメント 追加

  1. 匿名 より:

    あと、確かに第六天は北日本に数社ありますが、会津には一社だけGoogleでヒットしますね。

    余程の縁がなければ出て来ない神様です

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 より:

      天なのに魔王。魔王も仏という考えなんですかね。
      天伯と関係あるかはわかりませんが、うちの近くに伯玄社というのがあって、大国主を祀っていますね。

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  2. 匿名 より:

    narisawa110
    本日もいそいそと神社巡りして天伯社を登録中の私ですw

    実は、第六天ですが、建物珍しい神社で、東海以外はほぼ長野県にあります

    不思議なことに、戸隠方面などの北信にはありません
    中南信地域に特異的に存在します

    いいね: 1人

  3. 匿名 より:

    narisawa110
    無事行かれたのですね
    本来であればご一緒か、自宅の改装が間に合えばお泊り頂くところでありましたが、多発であったのと、結局社員の家は放置されるので^_^
    まだ壁紙はこれからです

    写真を拝見させていただく限り、この季節にしては幸運に恵まれた奇跡の写真と思われます。
    前日は寒波に見舞われたと思います。

    実に長野県の冬らしい雲ひとつない空がバックに写っていますね

    雪景色とこの空と、山の鏡は中々撮影するのが難しいはずです

    わお

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 より:

      鏡池への道に突っ込むと、凍った雪の道になっており、Uターンもできずジェットコースター状態で池まで突き進むしかありませんでした😅
      恐怖を乗り越えて来ただけの絶景は拝めましたが、2度は行きたくない道ですね😣

      刺国若比売にもお会いできました。
      いつも情報ありがとうございます。
      ご改装の完成が楽しみですね♪

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