ソーマ。神々の秘酒。
それはある種の植物から抽出されるというが、原料も製造方法も未だ解明されていない。ソーマを飲用した人間は高揚感や幻覚作用を覚え、天啓を得るという。また寿命を延ばし、霊感をもたらす不老不死の霊薬であるとも囁かれる。『リグ・ヴェーダ』第9巻全体がソーマ讃歌であり、その神秘性が知られるところである。
ノーマとは、人がソーマの抽出を試みた際に偶発的に生まれた失敗作であり、似非ソーマであると伝えられる。しかしながら、時としてソーマ以上の高揚感・幻覚作用をもたらすこともあり、アドレナリンの異常放出により一時的にではあるが、特異な集中力と霊的覚醒を得られるとされる。ただし、急激な覚醒の反動として、寿命に深刻な影響を与えることが報告されており、そこがソーマとの決定的な違いであり、失敗作であることを否めない。ノーマ精製法はすでにロストテクノロジーとなっているが、某国のダークサイドで稀に流通する、リミッター解除系濃縮エナジードリンクに微量ながら添加されていると囁かれる。さらに、古代遺跡のノーマ放射残片物から、直接脳内に被曝することもあると云われている。
尚、シャングリラなフロンティア系某アニメOP歌詞に記述される、「noまだ足らない」の空耳にすぎないと反証する声も少なくない。
– 出典『Chiricodia』(キリコディア)
香川県仲多度郡まんのう町に鎮座の「天川神社」(あまかわじんじゃ)を訪ねました。
境内入口には、立派な御神木が屹立しています。
天川神社を参拝する前に、その右側の敷地に祀られる神社が気になりました。
磐座の前に、伊勢の内宮・外宮の神を分霊して祀ったものだとあります。
これがその五十鈴神社。
その横にも、小さな神社があります。
祭神「許登能麻遅媛命」(ことのまちひめのみこと)。
己等乃麻知神社から勧請したとあります。己等乃麻知神社、コトノマチヒメ・・・そう、静岡の「事任八幡宮」です!
「あわわ」
まさか、徳島に来てまで「あわわ」するとは思っていませんでした。いや、知っていたけども。
先の案内板にあるように、ここの天川神社には、コトノマチヒメのダンナである「興台産霊命」(ことむすびのみこと)が祀られているのです。
ちなみに、この許登能麻遅媛社は明治期に火災で焼失していましたが、令和になって再建されました。
ということで天川神社ですが、
祭神は、「興台産霊命」の他、「天児屋根命」(あめのこやねのみこと)と「酒部黒麿命」(さかべのくろまろのみこと)となっています。
中臣家の祖神・天児屋根は、主祭神のコトムスビと、あわわのコトノマチヒメの間に生まれたとされています。
酒部黒麿は武殻王の4世孫である「綾真玉」の子で、城山長者と呼ばれています。
本殿の背後には、磐座というか、でっかい岸壁が迫り出していました。
天川神社には、祭神の一柱である、酒部黒麿にまつわる不思議な伝承が残っています。
天平19年(747年)3月15日、黒麿の庭に天上より星(石)が落ちてきました。その石は少女の姿となり、子のない黒麿は、天からの贈り物と喜び、少女を大切に育てることにしました。
やがて大人になった少女は「日興登魂」と呼ばれ、境内の湧き水で酒を造り、その酒は病を治し、人を元気にさせました。
その後のある日、日興登魂は境内の玉渕に身を沈め、則妙見星神となって天に帰ったということです。
日興登魂とは、ヒ・コトムスビと呼ぶのでしょうか。
祭神の「興台産霊」(ことむすび)は男神なので、妻のコトノマチヒメを指しているのか、また彼らの子孫を指しているのか。
天川神社の本殿裏の杜に、星乃宮社として日興登魂が祀られているのですが、
当社では彼女を天女のように描いています。
石が乙女になったと言う話は、アカル姫伝承に似ており、男が乙女に酒を作らせたと言う話は、丹後ワナサに関連する天女伝承に似ています。
境内には、日興登魂が身を投じたという「玉淵」がありましたが、これは月読みの水鏡、月を映しとる変若水(おちみず)だったのではないでしょうか。
天川神社境内の横に、奥へ続く広い道がありました。
たまたまいらっしゃった宮司さんにお伺いすると、先にはサルタ彦を祀る神社があり、奥には頓宮(御旅所)があるとのことでした。
サルタ彦を祀ると思われる場所には、3つの社がありました。
どの社にサルタ彦が祀られていて、他に誰が祀られているのかは、不明です。
さらに奥には鳥居があり、
頓宮、神輿を乗せる台座がありました。
天川神社の鎮座地である「まんのう町」には、「美霞洞」(みかど)と呼ばれる美しい渓谷があります。
この美霞洞とは、「帝」から来ているものと思われ、江戸時代の発明王・平賀源内が絶賛したという、200年以上の歴史を誇る「美霞洞温泉」もあります。
ではなぜ、讃岐の山中にミカドの名が付けられているのかと考えると、当社祭神が帝(大君)の御血筋に関係しているのではないかと思えてなりません。
『偲フ花』では、あまりオカルト・スピリチュアル要素の多い古史古伝は引用したくないのですが、かの『ホツマツタエ』にコトムスビのことが記されています。
アマテルがハタレと戦った時、捕らえたハタレが姿かたちは猿で顔は犬のようであったのを見て、なぜそうなったかを尋ねました。
するとハタレは、先祖が山の中の人に嫁いで、年月を経てこのようになった、と答えました。
アマテルは、魂返しをすれば普通の人として生まれ変わるだろうと言いました。
それを聞いた100人のハタレは自ら命を絶って、魂返しを受けることにしました。
ホツマツタエは、これが魂返しの初めである、と記しています。
この魂返しの術を編み出した者は「ヰチチ」と言い、その功績を讃え、アマテルは彼に「ココトムスビ」という名を名乗らせ、春日殿として人々に尊ばせました。
そしてカナサキ神(住吉神)の里もカスガと名付け、カナサキの森をココトムスビに賜りました。
つまり、興台産霊(ことむすび)とは、「ココストの根(霊還し)を結ぶ者」という意味となります。
とはいえ、ホツマツタエでは、コトムスビにカトリカミ(フツヌシ)の妹のアサカ姫が嫁ぎ、生れたのがカスガマロ(天児屋根)だと言っています。これだと、あわわ姫・コトノマチは物部の女ということになります。
僕が事任八幡宮を参拝して感じた、コトノマチ子ちゃんの印象は、物部臭は皆無で、どちらかと言うと出雲寄り、もっと言えば阿波寄りでした。なので、彼女は「あわわ」の名の通り、阿波の姫だったのではないだろうかと考えています。
ところで、頓宮から戻ってきていると、脇に登り道みたいなものがあったので登ってみたら、やはり社がありました。
これは御神体である巨岩絶壁の磐座を祀る、奥宮でしょうか。
思うに、神名にムスビとつく場合、タカミムスビやカミムスビは何れも母神でした。
なのでコトムスビは実は女神であり、阿波のコトノマチヒメの事を指しているのではないか、と思われます。
ホツマは、そこに物部の男が婿入りした事実を、父系社会の物部こそが当社祭神であると書き換えたものではないかと想像します。
ホツマツタエ制作には、物部に肩入れした大田田根彦が関与したという設定ですので、あり得る話です。
そうであれば、空から降ってきた天女・日興登魂が、祭神の興台産霊と同一であってもおかしくありません。彼女が作った病を治す酒は、変若水であったのかもしれません。
常世に通じる霊還し・魂結びの霊地が、讃岐国にもあったのでしょう。
奥宮から、さらに上へと続く道があり、その先に登ると、
磐座頂部の、天と地を結ぶ絶景が広がっていました。
あ、今思ったんですが、ナカ氏が中津臣になった話がありましたが、
もしかしたら事代主の分家の忌部氏、もしくは四国にいた本家筋からナカ氏が嫁をもらって臣家になったという話なら辻褄が合いますね
銅鐸の古さから言えば個数が半分とは言え、出雲に次ぐ権威や拠点としての規模はあったと思いますから。
要は磯城家と尾張家の関係みたいなイメージです。
親戚同士だから揉めたのかも
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臣だから、そうかもしれませんね。
臣をわざわざトミとよばせてるので、富家から嫁をもらった説も捨てきれませんが。
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先生、危険です。それはソーマではありません、ノーマです。
そんな会話が頭に浮かびましたw
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お前もヤってみな、飛ぶぞ。
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wwww
なんだかメチルアルコールみたいなww
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