波宝神社:常世ニ降ル花 御津羽青月篇 09

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山を走ります。

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延々と、細い山道を走ります。
離合も嫌だけど、そもそも人が走っていません。
こわい。

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そんな孤独と戦いながら、ようやく僕は「波宝神社」(はほうじんじゃ)に辿り着きました。
鎮座地は奈良県五條市西吉野町”夜中”。

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神功皇后が二韓征伐から帰還し、南紀に向かう途中、この山で休むことにした。すると、にわかに白昼であるにもかかわらず、夜中のように暗くなった。
皇后が神に祈ると、ふたたび日が照りだし明るくなった。
このことからこの地を「夜中」と呼ぶようになった、といいます。

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一の鳥居から先のこの坂、かなりの急坂です。
下に車を止めてきましたが、正解でした。くだりはきっと怖いはず。

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ここは「銀峯山」(ぎんぽうざん)と呼ばれる、吉野の山です。
吉野には「栃原岳」(とちわらだけ/金峰山、黄金岳、金岳)、「銀峯山」(白銀岳、白金岳、銀岳)、「櫃ヶ岳」(ひつがたけ/銅岳)の「吉野三山」と呼ばれる神奈備があります。
それぞれの名の由来は、近辺からかつて、黄鉄鋼や銅が採れたとこにあるようです。

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栃原岳山頂には「波比売神社」(はひめじんじゃ)があり、櫃ヶ岳山頂には「櫃ヶ岳八幡神社」が、そして銀峯山山頂には「波宝神社」があるというわけです。

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苦労してやってきましたが、おお、なんと神侘びた雰囲気の霊地でしょうか。素敵です。

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このような場所ではありますが、後の時代には役小角ゆかりの地として修験者の行場となり、幕末には有栖川宮の祈願所となっており、また尊王攘夷派の天誅組の本陣が置かれたりしたようです。

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御霊社・忠魂社を経て、

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神門のような割拝殿へと進みます。

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この割拝殿という形式は、平安末期頃に現れ、拝殿の中央を土間(馬道・めのどう)をとって通路としたものです。
たまに見かけるものですが、拝殿の先に望む本殿の姿に、ワクワクさせられる形式です。

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割拝殿土間の側面には、立派な絵馬が架けられています。

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当社最古の記録は、「日本文徳天皇実録」の天安2年(858年)に「従五位下」となった記述があり、古くから崇敬の厚かったことを物語ります。
祭神は何故かの「上筒之男命」「中筒之男命」「底筒之男命」の住吉大神と、それに「息長帯日売命」。

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美しい二棟の春日造の本殿は、

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近づいてよく見てみると、間を板壁で連結しています。

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これは案内によると、「連棟社殿形式」と呼ばれるもので、江戸時代の寛文12年(1672年)の再建であり、奈良県指定有形文化財として登録されているそうです。

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重厚な本殿の造りもさることながら、目を引くのが

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その二棟の本殿をつなぐ板壁に描かれた、大和絵です。
海から昇り立つ太陽。

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しかしその太陽の輪郭は二重に描かれています。
これは神功皇后が当地に至ると、にわかに白昼であるにもかかわらず、夜中のように暗くなったという「夜中」の地名起源説話を絵にしたものと思われます。
つまり、手前の円は月であり、日蝕を描いた絵ということになります。
3羽の鶴は、突如暗くなった空に驚き飛び立っているのでしょう。

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この日蝕を連想させるものに、先の割拝殿に掲げられていた絵馬のひとつ、天の岩戸神話があります。
他の絵馬が戦国の絵であるのに対し、これだけが神話を描いたものでした。息長帯日売・神功皇后の伝承を持ち、祭神とするなら、彼女の絵馬が一つくらいあっても良さそうですが。

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実の所、当社の祭神については、異説が多数有り、祭神は不詳とする古資料もいくつかあるようです。
『神名帳考証』によれば、当社祭神は「磐排別神」、つまり石押分(いわおしわく)としています。

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『土佐国式社考』の「朝倉神社」の項では、その祭神である「天津羽羽神」の別名が「天石帆別」であり、『日本書紀』でいうところの「磐排別神」と同神である旨を記しています。
さらに同書は、天津羽羽の”はは”は波宝神社の「波宝」の音に通じ、波宝神社は吉野国栖の祖神を祀ると続けます。

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このことから江戸中期には、波宝神社の祭神は、国栖の祖神として天津羽羽神を祀っていた、という考えがあったことを示しています。
ただし、記紀に記される磐排別(石押分)は男神としての印象が強く、当社と対を為す栃原岳の「波比賣神社」祭神が「水波能売命」で女神であることから、当社祭神は「天石門別」で波比賣神社祭神が「天津羽羽神」である可能性もあります。

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天石門別は、天の岩戸神話における手力男命と同神であるとされます。

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これらを踏まえて、僕は次のように考えます。

当地には月読みのできる姫巫女がおり、その巫女は常世・常闇(とこやみ)の法に通じ、ある時、月蝕を予言しそれを的中させた。故に当地は「夜中」と呼ばれるようになった。
そして、彼女の統治する国の民は「国主」(くず)と呼ばれた。

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修験の聖地となるきっかけとなった役小角の話では、彼がこの山で秘法を行った時、神女が現れ、国家を鎮護し群集を伝導せよと告げて石窟に入ったので、神蔵大明神と呼ばれる行場となり、大峯修験の先達が来山して入峯修行をするようになった、とのこと。
神蔵とは石窟のことか。この役小角が出会った神女こそ、天津羽羽神の末裔である巫女だったのではないかと思うのです。

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波宝神社の帰り道、少し下った山中に、ひっそりと立つ赤い鳥居を見つけました。

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鳥居の奥に祀られているのは、見るからにお稲荷さん。
なぜこんな場所に祀られているのか。

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背後は塚になっていて、古蹟「松彌塚」と彫られた石碑が立っています。おそらく墓だろうが、松彌とは何ぞや。
調べてみると、近くに八衢比古神・八衢比賣神を祀る磐座があるようでした。見逃してしまったな。

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八衢比古神・八衢比賣神といえばクナトの神。おそらくはクナト王と幸姫を祀る磐座なのでしょうが、神女が籠った石窟がそれなのか、気になります。
吉野三山のもうひとつ、「波比売神社」も気になるところですし、やれやれ、またこの深山を訪ねてみることになりそうです。

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11件のコメント 追加

  1. nakagawa のアバター nakagawa より:

    ご無沙汰しています。
    驚きました。
    神功皇后と日食に関する説話があるんですね。
    かれこれ10年近く前、〝神功皇后は248年の皆既日食を見たのだろうか〟と尋ねられたことがあり、〝もしその時神功皇后が北九州地方にいたら皆既食、近畿地方にいたなら皆既食ではなく部分食〟と答えたことがありまして、以来ずっと気になっていたのです。

    絵が実景だとすると247年の日食の様子になりますが、説話から248年の日食のことだと考えられますね。(247年の日食は下が欠けたまま日没、248年は上が欠けたまま日が昇り15分後に最大食、約1時間後に終了。)

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      nakagawaさん、こんにちは😊
      波宝神社のことを調べようと、ネットを検索していたら、どこかに日食のあった年を調べていた記事を見かけました。
      ただ、個人的には、当地の日食の伝承に、後付けで神功皇后の話を付け加えたのではないかと考えています。説話が事実なら、近辺にもう少し神功皇后の伝承が残っていても良いのではないかと思いまして。
      でも、面白い話ですね。

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      1. nakagawa のアバター nakagawa より:

        波宝神社のことを何も知らず勢いでコメントしてしまいました。神功皇后と日食がテーマの一つでしたので。
        私は知らなかったのですが、有名な絵のようですね。
        祭神も書によって異同があるようで、軽々に扱えない事もわかりました。
        それにしても、たどり着くのが大変な場所のようですのに、お忙しい中ここまで行かれるとは凄すぎます。

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        1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

          辿り着くのが困難なところほど、萌えてしまうタチでして😅
          今、壱岐に来ていてふと思ったのですが、月延石と関係ありそうな月読神社の神紋が、太陽と三日月を合わせたような紋になっています。月神を祀るのに、太陽を合わせる意味は何かと思った時に、日食を示しているのではないかと思い至りました。もしそうであれば、太陽と思っていたものが月で、三日月だと思っていたものが太陽、ということになりますね。
          この月読神社関連でも、2度チャレンジするも辿り着けず、3度目にしてようやく辿り着いた場所があります。そこはたぶん、月延石の聖地だと思われます。

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          1. nakagawa のアバター nakagawa より:

            おおー、なんとも興味深いお話。
            いつかじっくりお聞きしたいものです。

            いいね: 1人

          2. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

            近々アップしますが、閲覧限定になると思います。
            nakagawaさんは入り方、分かりますよね。

            いいね: 1人

          3. 不明 のアバター 匿名 より:

            お話に横入りしてすみません。
            月読神社の神紋拝見したのですが、この紋うちの母方の紋と似ています。ただおっしゃるように日紋+三日月なのか満月に太陽なのか、また別のものなのか私もずっと分からずにいます。紋帖にない紋で着物などに入れる際はあつらえてもらっていた、とはきいたのですが、いわゆる「五三の桐」のような読み方もわからないので手がかりが少ないんですよね…
            母方は岡山藩で船奉行の家系の子孫だったとのことです。
            私も時々思い出して調べているので何か分かったらお知らせしますね。

            いいね: 1人

          4. 不明 のアバター 匿名 より:

            すみません、先ほどの投稿書き忘れましたがまゆらです💦

            いいね: 1人

          5. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

            まゆらさん、情報ありがとうございます😊
            僕も、あれを神紋・社紋と考えて良いのか、悩んでいました。家紋として存在しているのであれば、間違い無いですね。
            普通に考えれば、「太陽と月」でしょうが、究極の月神聖地ともいうべき場所にあれですし、しかも太陽より月が大きく描かれているのが気になっていました。日食であれば、形はそうなりますね。
            何か新たな情報がわかれば、ぜひ教えてください。僕の方でも調べてみます。

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  2. 池尾 康弘 のアバター 池尾 康弘 より:

    大阪在住の私でも、ノーマークでした。
    山の上に住吉三神ですか。
    あの辺りには、誰が維持しているのだろうと思案する神社が結構ありますね。
    ご苦労さまです。

    いいね: 2人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      池尾様、こんにちは😊
      離合もままならぬ山道を進むことになりますが、こんな山奥にこんな立派な神社があるものか、と驚きました。ぜひ、お訪ね下さい!

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