犬丸天満宮

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大分県中津市犬丸にある「犬丸天満宮」(いぬまるてんまんぐう)を訪ねました。

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心地よい参道が続いています。

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伝承によると、延喜元年(901年)2月のこと、菅原道真が左遷されて太宰府に向かう途中、暴風雨に遭遇し難を避けるために、当地近くの海岸から九州へ上陸したとあります。

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菅原道真は療養のため、当地に21日間滞在し、その後太宰府に向かったのでした。

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時は過ぎて、菅公の怨霊事件が京都で起きました。これを鎮めるため、勅命を受けた孫の菅原文時が当地を訪れ、天暦10年(956年)に創建されたのが、犬丸天満宮だということです。

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ん?
あれ?

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たしか菅原道真が暴風にあい、たどり着いた場所は、漁船の綱をくり敷いて休だという故事により名付けられた「綱敷天満宮」(つなしきてんまんぐう)ではなかったでしょうか。
しかし調べてみると、綱敷天満宮も京都から九州太宰府までに数社、点在していました。

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どうやら、道真公の左遷ルートに関しては、はっきりとしない何かがあるようです。

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犬丸天満宮の境内はなかなか広いです。

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そして境内には池の堀が取り囲んでいます。

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当地における道真公の伝承は、江戸時代に貝原益軒が著した太宰府の『天満宮古實』にも記されているそうです。

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また犬丸の地で、道真公、文時公が詠んだ和歌が遺されています。

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こちらが犬丸天満宮の拝殿です。

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道真公といえば定番の牛さん。

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江戸時代には、中津藩藩主小笠原家の信仰が篤く、延宝8年(1680年)には第2代藩主小笠原長勝から御神像である「御客天神」(ごきゃくてんじん)の寄進を受けています。

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御客天神は寄進を受けた翌年の延宝9年(1681年)から現在に至るまで、25年目ごと(24年ごと)の酉年に御開帳されています。
「御客天神」は木造で、台座を含めて高さ約30cmとのこと。

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本殿の横には、

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菅公が腰掛けたという「止良石」(とらいし)が祀られています。

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う~ん、刺さりそう。

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それにしても不思議なのは、菅原道真公その人。
戦国武将や歴代の天皇はさておき、リアルな実在性を感じる人で、これほど神として全国に祀られる例はありません。

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富家のお人だった、非業の死を遂げた、天才だった、平安時代の貴族で右大臣にまで昇り詰めた、ということであっても、所詮は文人に過ぎないお人です。

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祟りはさておき、彼が神になった理由には、他にも何かまだ秘密があるのではないでしょうか。

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ちなみにチラリと聞いた情報では、当地で道真を歓待したのは、藤原何某だったという話です。
讒言によって左遷させたのも藤原なら、擁護したのも藤原。
藤原にもいろいろあった、ということのようです。

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