福岡天神から中洲へ向かう途中、高層ビルとビルの隙間にポツンとある雅な神社。
「水鏡天満宮」(すいきょうてんまんぐう)です。
京から大宰府に左遷される菅原道眞。
彼は途中立ち寄った福岡の地で、川に映った自分の姿をみて落胆したといわれています。
この時、川の水に鏡のように映ったので「水鏡」の文字がつきました。
そしてこの福岡の中心地、「天神」の名は、この水鏡天満宮に由来します。
小さな神社ですが、とても由緒あることが伺えます。
境内は狭いながらも稲荷社や
末社殿が建ち並びます。
天満宮といえば牛。
そしてくつろぐ猫。
水鏡天満宮の横の細い道沿いは、ノスタルジックな飲食店街となっていて、グルメ通な店が並んでいます。
福岡市博多区綱場に「綱敷天満宮」(つなしきてんまんぐう)があります。
道眞が博多に着いたとき、漁人が舟に使う綱を輪にして敷物を作って出迎えたという伝説があります。
菅原道眞とは全く関係ないのですが、千代町に「濡衣塚」(ぬれぎぬづか)というところがあります。
ここはその名の通り、「濡れ衣」という言葉の由来になった塚です。
その昔、筑前の国司として赴任した「佐野近世」という人がいました。
妻と一人娘・春姫を連れて赴任しましたが、妻を亡くしてしまいます。
やがて近世は再婚し一女を授かります。
連れ子の春姫が疎ましくなった後妻は、とある漁師に「春姫様が釣り衣を盗むので困っている」と近世に訴えさせました。
その証拠にと、濡れた釣り衣を着て眠っている春姫の姿を見せられ、近世は逆上してその場で春姫を斬り殺してしまいます。
一年後、近世の夢枕に無実を訴える春姫が現れ、自分の行動を悔いた近世は出家して石堂川の畔に濡衣塚を造りました。
さて、菅原道眞に話を戻します。
冒頭の「水鏡天満宮」ですが、今の宮は「黒田長政」によって移転されたものだそうです。
元々の場所は今泉にありました。
ここにある「姿見橋」こそ、道眞がガッカリ顔を写した川だそうです。
今はどんより濁った川になっていますが、風景はよく映っています。
そしてほど近い公民館のような場所の敷地内に「容見天神」(すがたみてんじん)の石碑がありました。
ここで絶望感を深めた道眞は、やがて太宰府まで向かうことになります。