富知六所浅間神社:常世ニ降ル花 御津羽青月篇 13

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フジロック☆な神社、「富知六所浅間神社」(ふじろくしょせんげんじんじゃ)に行って来ました。

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富知六所浅間神社は、霊峰・富士の南、田子の浦を臨む静岡県富士市にある神社です。

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祭神は「大山祇命」を主祭神とし、相殿に「木花之佐久夜毘売命」「深淵之水夜礼花神」「阿波乃咩神」「大山咋神」「高龗神」を配祀します。
祭神も、ロック☆

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「浅間神社」といえばコノハナサクヤヒメを主神とするのが常ですが、当社はその父神とされる大山祇を主祭神としているあたりがロック☆です。
富士を登拝すれば分かることですが、あの山がコノハナサクヤヒメを祭神とするのは、非常に違和感があります。どこかの時点で、祭神の入れ替えが行われているはず。
神津島の阿波命神社、伊豆半島の伊古奈比咩命神社を知れば、大山祇を主祭神とする富知六所浅間神社の正当性が理解できます。

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相殿に祀られる木花之佐久夜毘売は、大山祇の娘という神話設定であり、他の浅間神社に倣い、外すわけにはいかないのでしょう。
深淵之水夜礼花(ふかふちのみずやれはな)は、大山祇の子孫とされ、出雲王国の5代目大名持であり、富家の王でロック☆です。
阿波乃咩は三島神の本后とされますが、三島神とは事代主ではなく富士に祀られる大山祇ということになります。
大山咋は大山祇の子孫、高龗は水神とされますが、当社に祀られる関係性はさらなる考察が必要です。

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当社の通称は「三日市浅間神社」(みっかいちせんげんじんじゃ)と呼び親しまれ、富士下方五社(五社浅間)の「六所宮」にあたり、首座となっています。
由緒では第5代孝昭大君(カネシエ帝)の2年6月10日、富士山山腹に創建と伝えられ、その後噴火のため延暦4年(785年)に現在の地に遷座したと伝えられます。

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さらに由緒では、崇神大君により四道将軍として派遣された建沼河別が当社を厚く崇敬し、勅幣を奉ったとありますが、四道将軍派遣は日本書紀の嘘の記述になります。
ただ、大彦の息子・ヌナカワワケが当地に立ち寄り、奉祀した可能性は高いと思われます。

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富士山の本来の祭神であろう大山祇とは、出雲族の祖神「クナト王」その人だと思われます。しかし、コノハナサクヤヒメ、イワナガヒメを娘にもつ神としては、別人である可能性もあります。
阿波乃咩は神津島に祀られる阿波姫のことであり、クナト王と幸姫を祀るサイノカミ信仰が原初の形だったのではないでしょうか。
深淵之水夜礼花が祭神にみられることなどから、出雲王国時代初期の移住民がサイノカミを富士山山腹に祭祀したのではないかと推察します。

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境内には県の天然記念物に指定されている大樟(おおくす)の御神木があり、樹齢1200年以上、太さは13mとされます。
クスノキをシンボルツリーとした一族の関与も窺わせます。

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境内には他にもロック☆な神像がちらほら見受けられました。

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これらの神像群は「神社を訪れる子供たちが喜んでくれるように」と、寄付されたものだそうです。

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ポケットな電気ネズミ神像もありました。
ちょっとだけ著作権的な心配が脳裏をよぎりましたが、微妙に別物なので気にしないことにします。
子供たちが喜ぶなら、それでいいじゃないかぁ。かぁ。かぁ…

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僕が参拝した時は生憎の雨模様でした。
御朱印をお願いしている間に、巫女さんに僕は尋ねます。

「晴れていたら、本殿の後ろに富士山が見えるんですよねぇ」
「ええ、いがいとおっきく、見えるんですけどね♪」

そう答えてくれた、巫女さんのはにかんだ笑顔がとても可愛くて、僕の心には晴れの光が差し込んでいたのでした。
巫女さんの可愛い神社って、いいなぁ。

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4件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    祭神を見る限り、出雲、豊彦、越智、忌部、丹生(オカミ)

    豊彦のエリアは、仇敵である前妻さんの母系を顕彰する事で敵意のないことを示したのではないかと。ヤマトタケル伝承も豊彦のエリアではと考えています。籠神社と同じやり方です。

    これらが合祀で集まったのが今の神社ではないかと

    いいね: 1人

  2. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    樟なんですが、樟脳の原料となることは先生も知るところと思われます。明治期には輸出までしていたようでフィルムなどの原料にもなり、今の我が国で言えばヨウ素のような位置付けだったそうです。

    当然に専売利権とも絡みがあり、神社の統廃合に関しては鎮守の森ごと破壊されていますから、これで小金持ちになった宮司さんも新しく、9割が無くなった和歌山県はおそらくその関係もあり、今でいう供託金のようなものの金額が釣り上げられ、それに満たない神社は淘汰されたようで、その金額は国が定めた基準よりはるかに高額であったようです。

    大被害を受けた都道府県は樟の産地と見ました。

    樟の生えない長野県は・・もしかしたら先先代が諏訪大社に乗り込んだことによる影響かもしれませんが。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      樟にそんな一面があったとは😳
      そして長野に樟は生えていないのですか。

      いいね

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