天津岩戸別神社:常世ニ降ル花 御津羽青月篇 18

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奈良の高市郡高取町、その住宅街にぽつんとある「天津石門別神社」(あまついわとわけじんじゃ)に来ました。

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境内入口の鳥居の横に案内板があります。

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祭神は「天手力男命」(あめのたじからおのみこと)で、越智氏居館跡の西に鎮座とありますね。

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そう、大和にも越智がいたのです。

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案内板にある『寺院神社大辞典』によれば、「越智氏系図」に元暦二年(1185年)越智家の祖・親家が戦場守護神として祀ったと記されているとのこと。
神社としては新しいものとなるようです。

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しかし古来は「九頭神社」と称したとありますから、吉野国主系、ひいては土佐の「天石門別安国玉主」の流れであることは間違いありません。

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近代越智家は饒速日を祖としているとされていますが、ここにかの神の気配はまるでありません。
大国栖玉命と称された天手力男は、徐福渡来よりももっと古い時代の王であると考えられ、古代越智族が徐福の末裔であると言う可能性はかなり低いことになります。

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ただ、明治8年(1875年)に奈良県示達により「延喜式」神名帳高市郡「天津石門別神社」に治定され、社名も改称されたが根拠は不明、とあります。
当式内社は近世まで所在不明だったようです。

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拝殿の裏には、ハリボテのような本殿がありましたが、これは形だけの建物のようで、

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その裏に板石を楯状にめぐらした玉垣がありました。

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この玉垣の中に植えられている榊が、神体だそうです。

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この神体を里俗に九頭竜明神と称し、今も越智郷の人々から、自然崇拝の古い信仰形態として守られているのでした。

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3件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    やっぱりタジカラオは、越智系ですよね。故に恵那山があり、阿智村があり、戸隠と白山の流れを九頭竜信仰があると。岩戸は播磨の神戸から戸隠に飛んで行ったんでしたっけ?

    単独の書物としては公開されまいませんが、確実に越智三島は、天孫降臨してるわけです。

    そうすると忌部氏としての報酬、天孫降臨は誰になるのでしょうか?忌部氏は物部氏として振る舞ったとあるので、それで我慢したんでしょうか?

    いいね: 2人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      タジカラオは越智ですね、確信しています。
      越智の発祥は伊予だとされていますが、それは物部系越智の話で、真祖としては土佐だと思います。
      タジカラオは大国主の祖父であるオミヅヌと同期ということが考えられ、伊予に伝わる饒速日祖説よりも古い時代の人物であると思われます。

      それにしても、国引き王と岩戸をぶっ飛ばした怪力王が並び称される時代に、何かヒントがありそうですね。

      いいね: 1人

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