
イズモ族は、ヤマトに神名備山信仰も持ってきた。
「なび」は隠るという意味で、祖霊はきれいな三角錐形の山に隠っていると考えられていた。
形の円い山は、妊娠した女性の腹を連想するので、女神山と考えられた。
ヤマト地方では、円く秀麗な形の三輪山が女神山と考えられていた。
またイズモ族は、インドから太陽信仰を持ってきていた。とくに朝に昇る太陽をよく拝んだ。
ヤマト地方では、朝の太陽は三輪山から昇ってくる。その山が女神山であったので、太陽神も女神であると考えられるようになった。
それで、三輪山の神は太陽の女神と考えられた。
カツラギからは、東方に三輪山を望むことができた。その山は形が美しいので、多くの人が崇拝した。
鴨族の人々は、三輪山の良く見える場所に集まって、そこから昇る朝日も拝むようになった。
当時は母系家族制であったので、家の祖先神の祭りの司は、女性がつとめた。そして、地域の祭りの神主も女性がつとめるのが普通であった。
そのため三輪山の初代祭主に、コトシロヌシの姫君・タタラ五十鈴姫が就任した。
出雲王国と同じく、年に2回、春正月(春分)と秋正月(秋分)の日に、タタラ五十鈴姫が司祭となって山の神に祈る大祭をおこなった。
そのうちにヤマトの各地の人々が集まるようになったので、祭りを三輪山の西麓でおこなうことになった。
ヤマトの人々は次第にタタラ五十鈴姫のことを、三輪山の女神であるかのように崇拝した。それで、三輪山の西麓の地に宮を建て、姉妹が一緒に住むことになった。
その地はのちに、「出雲屋敷」と呼ばれた。
彼女はそこで、太陽の女神を拝む儀式を行った。
- 富士林雅樹 著 『出雲王国とヤマト政権』


奈良でいつも困るのは、食事です。
何を食べたら良いのか?

普段なら無難に三輪そうめんと柿の葉寿司で済ますところですが、そうだ「笠そば」さんに行こう、ということで、しばし車を走らせました。
いつもなら定番の荒神そばを頼むのですが、今回は雨模様ということもあって、あたたかい「卵とじ梅そば」にしてみました。

とろとろの卵とじ、旨し。梅、酸っぱ旨し。

てことで、腹を満たして、久しぶりの出雲屋敷参拝です。

この辺も随分知られてきましたが、まだまだ人は少ないね。

背後からアサシンが尾けていないか、注意を怠らぬ五条桐彦。

生きていくためには、臆病でなければなりません。

へえ、久しぶりにきましたが、こんなところに磐座ってありましたっけ。

菊龍さんという、小さな白蛇さんもいらっしゃいました。

みんなの行場、きよめの瀧。

まあ、清らかな僕は、やんなくても大丈夫かな。

ちいさな磐座。

そしてたどり着く冥界、「辰五郎大明神」👻
コワ~。。

辰五郎さんの由緒等は不明ですが、江戸元禄時代の大阪に、天下の台所と呼ばれるきっかけとなった豪商「淀屋」があり、その5代めの人が辰五郎だとされます。
しかし辰五郎は宝永2年(1705年)に財産没収の処分を受けました。
彼がここに祀られているとすると、なにゆえにか。

さて、今回はさらに辰五郎さんから先の小道を歩いて行きます。

めっちゃ怖いんじゃ~。

なぜこんな怖い道を歩いているかといえば、天女さんに、「この奥にもう一個の磐座あるじゃん♪」って話を聞いていたからですじゃん。

おお、本当にあったよ。

激写っ!ってしたかったんですが、撮影禁止になっていました。
出雲屋敷の磐座は、のちに置き換えられたレプリカだと聞いています。
が、ここにあった磐座はモノホンでしょう。平たい祭壇場の巨石に白い蛇の筋が入った、とても神秘的なものでした。
実物はその目で見るべし!

も少し先まで歩いてみたら、

三輪山の聖域で、進入禁止になっていました。
まあ、もうコワすぎなので、十分です。

帰り道、せっかくなので出雲屋敷にも立ち寄ってみました。
鳥居的な柱が綺麗になってる。

おお、あれじゃ、あれじゃ。

あれ?ここも撮禁になってる。みわさんも、イケズじゃのぅ。



出雲屋敷のあった場所は、柿本人麿が書いた『古事記』によれば、七媛女伝説の地である「高佐士野」(たかさじの)であると謳っております。

高佐士野とは大神神社の北の台地とされています。

ふわりと三輪の山おろしが僕を迎え入れ、

導かれて辿り着くと、そこには先客がいらっしゃいました。

そっとカメラを構えたつもりでしたが、彼らはすぐに僕の気配に気づき、一目散に去って行きました。
キャ~ん、キャ~んと鳴いています。ごめんて。すぐに帰りますんで。

ああ、なんて素晴らしい。

確かに高台のような作りの場所です。

雨上がり直後ではありますが、湿地に近い場所のようで地面はぬかるみます。

水田のような場所もありました。

ここに立てば、太陽の女神を祭祀した、代々の姫巫女の住まいに相応しい場所だと自ずと感じられます。
あの磐座の場所では、少しその点が疑問でした。

御山を間近に望むこの聖地は、あるいは大和笠縫邑よりも祭祀に相応しいのではないでしょうか。

この心地よさは写真では伝えきれないかもしれません。
ずっとここに居たいと思える場所。

荒らされることなく、いつまでも楽園のように残っていて欲しい聖地です。

はじめまして、出雲口伝からこちらを知りました
鮮やかな緑としっとりした空気が伝わってくるような写真を見て、思わず北国から飛んで行きました
小雨の中一人不安になりながら探し歩き、見つけた時にはしばらく立ち尽くしてしまいました
仰る通り、ずっとここに居たいと思える御山の静けさと自然の繊細さ
足元ズブズブになりましたが幸福感で一杯でした
このままそっと残ってほしいと私も願います
いいねいいね: 2人
ようこそ『偲フ花』へ。
辿り着ける人だけが辿り着ける、そんな場所はありますよね。
おっしゃるように、ずっとただ居たい場所、大切な場所なのだろうと思います。
こんな世の中ではありますが、まだまだこの国は、素敵な場所があるものです。
いいねいいね: 1人
以前、五条さんに教えて頂き、無事に白蛇さんの筋のあるあの磐座にたどりつけました。たしかあそこ、磐座の手前に木のベンチありますよねあれ?出雲屋敷の方でしたっけ? とにかくなんか不思議でした。座ってボーっとしてしまいました。五条さん、雨のぬかるんだ日によく行かれましたね(^_^;) 雨降ってなくても十分怖かったですよ。そういえば、私の記憶では、五条さんの何回目かはわかりませんが大神神社のブログでも相当雨降ってませんでしたっけ?
前回私は、初めてここを訪れまして、道を間違えて山の辺の道のほうをテクテク歩いてしまって引き返したりしてかなり時間をロスしました。あの辰五郎さんの朱色の鳥居が無ければわかりませんでした。丸太を重ねた木の橋も目印でした。なぜかその手前辺りにブラウン管のテレビが捨ててありました。謎。
ところで、私の職場に淀屋さんがおられまして直系の子孫だそうです。とても人ころがしというか、品があってコミュ力が高く、あの人に頼まれたら誰もが断れない、そんなお方です。ここのことお教えしようと思いました。でもここと何の関係性があるのでしょうね。
いいねいいね: 2人
言われてみれば、三輪方面を訪ねる時は、雨模様が多いですね。まあ、雨の景色も悪くありません。
おそらくあの辺りの「講」の人たちが祀ったものでしょうが、由来が全く謎ですね😊
いいねいいね: 1人