
伊加理姫神社と伝わる場所は、西舞鶴市の住宅街にひっそりとありました。

現在は藤森神社と呼ばれ、歴史から忘れ去られつつある、小さな神社です。
見落としておりましたが、植え込みの中に石柱があり、そこに「伊加理姫神社」と彫られているようです。

中を覗くと、小さな祠がありました、

向かって右側の板に書いてあるのは、「伊加利比売神」かな?

こっちはもう、分かりません。母神って書いてあるけど、なんだろ。



伊加理姫神社の西側の山を白雲山というのだそうで、どの山だろうかと探してみました。
すると、白山姫を祀っている場所がありました。金峰神社の摂社のようですが、行ってみます。

『新撰姓氏録』(815年)によれば、初代天皇が吉野に巡幸の際、井戸の中から現れた国津神「井氷鹿」を「吉野氏の祖先で、天白雲別命の娘・豊御富登(豊水富姫:富家の姫)であり、水光姫の名は神武天皇が授けられたもの」としていました。
僕は井氷鹿(水光姫)は豊水富姫ではなく、伊加理姫であろうと推察しています。

つまり、伊加理姫神社の西側の白雲山に祀られる神とは、彼女の父親「天白雲別」に他ならない、と思うのです。

鳥居が見えてきました。

金峰神社(きんぷ/きんぷうじんじゃ) の扁額が掛かっています。

神仏習合の名残を残す、石仏さん。

鳥居のそばには、樹齢300年以上と推定される樅ノ木がありました。
樹高は約40m、幹回りは5.3m余りの巨木です。

「奥寺の樅ノ木」とも呼ばれる名木ですが、近年になって樹勢がやや衰えてきたのではないかと言われており、心配されます。

そしてありました、「白山姫神」。
白山姫といえば、白山の神で、常世と現世のサイノカミ「菊理媛」です。
そして、僕の中では越智族の姫「常世織姫」となります。

さらに越智族といえば変若水(おちみず)ですが、当地はそれに関係する”あるもの”が採れたようです。

さて、姫にご挨拶が済んだわけですが、上まで登りますか。

この先にある金峰神社は、地元では「天王さん」と親しまれ、江戸期には参拝者が多かったのだといいます。

整備されているので登りやすい階段の道ですが、でもきつい。

10分ほど登っていくと、見えてきました。

金峰神社です。下の扁額は金峰でしたが、ここは「金峯」となっています。

この金峰神社とは、吉野の金峯山のことでしょうから、「金峯神社」の方が表記としては正しいのかもしれません。

禿げてはいますが、印象的な赤い色が残る鳥居。

手前の社殿は拝殿でしょうか。しかし本殿と位置がずれているように見えます。

本殿。

なんと素晴らしい。

こんな山奥に、これほど素晴らしい彫刻の社殿があるとは、苦労して登ってきた甲斐がありました。

金峰神社の祭神は「多気理比売命」と「建速須佐之男命」「大年命」。
天平年間(729-748年)に、行基がこの地を訪れ、山麓に金峰山菩提寺を建立し、鎮守社として須佐之男命を勧請し、天御中主神を奥の院として祭祀したとの伝承があるそうです。
これを金峰神社牛頭天王とあがめ奉り、神託により御社の土を奉持し耕地に撒布すると、万虫たちまち消散して諸作物豊穣、守護の御霊験あらたなりとの評判がたち、近郷よりも多数の参拝者があったとのこと。

スサノオは徐福ばかりでなく、多くの偉大な王を例えるカモフラージュとして祀られる場合があり、ここではこの祭神こそが「天白雲別」ではないかと推察します。

そして「社の土を奉持し耕地に撒布すると、万虫たちまち消散して」という霊験、これも土に含まれる”あるもの”が関係していると睨みます。

金峰神社の裏手に、さらに上り道があります。

少し登ると、ちょっと隠されたような小社がありました。

おそらくこれは、金峰神社の奥の院とされる「禰布神社」であろうと思われます。
祭神は「天之御中主命」。

「禰布」は「にょふ」と読むそうです。
にょふ、とは、いわば「にう」、もしくは「にゅう」。
つまり丹生=水銀を指す言葉となります。

当地の地名が「女布」と書いて「にょう」と呼ばせます。
「にょう」とは、古くは「祢布」と記し、アイヌ語の村の意味だと解説されていますが、いや、おそらく丹生のことでしょう。

実際に当地の土壌には水銀含有率が0.009%あるという記事を見かけました。
これは地下に、水銀鉱床があると十分に推定しうる数値なのだそうです。
この記事でも、吉野の井氷鹿と当地の伊加理姫を関連づけてありました。

奈良の「長尾神社」では、僕は当初、二上山のサヌカイトに着目しました。サヌカイトは四国の讃岐地方で採れ、石器の材料となる希少な鉱石でした。
便宜上「井氷鹿族」としますが、彼らは四国の吉野川から奈良の吉野川へ至り、そして二上山の麓まで移住してきたのだと思われます。
しかし出雲族が製鉄を行うようになると、サヌカイトの需要は減ることになります。
その次に彼らが目をつけたのは、吉野川流域の水銀だったのではないでしょうか。

水銀は、中央構造線に沿って採れたと言われていますが、吉野川は正に、中央構造線に沿って流れています。
採石民族であった井氷鹿族は吉野川流域に水銀の鉱床を見出し、次に舞鶴の女布を発見したのではないか。

水銀採掘の穴を「井」とし、水銀を「光る水」とした。故に井氷鹿であり水光姫なのでしょう。
そして、女布にいた伊加理姫は丹波の村雲の后となり、一族の故郷である奈良葛城に移住を仄めかした、そんなストーリーが見えてくるのです。

なるほどなるほどです☺ こういうことなのですね。水銀採掘の始まりはこういう伏線があった可能性があるのですね。
ふむふむ。「スサノオは徐福ばかりでなく、多くの偉大な王を例えるカモフラージュとして祀られる場合がある。。」
そう考えると、スサノオは実在した1人の人物というよりは、いろんな渡来系の王を寄せ集めた複合的なキャラ、モデルも徐福だけではないということが言えるのでしょうか。前からスサノオのキャラは徐福というよりは、どちらかというと天之日矛っぽい気がしています。
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🐥金峰(金峯)神社の狛犬はまるで魔界の魔物のような姿をしてますな。邇布(漢字が出てこない)神社の狛犬などは、邪鬼の眷属かと思うほどの奇相…これはどうしたことか🐤
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🐥金峰(金峯)神社の狛犬は阿吽の仁王と同じで、魔を退けるため、まるで魔界の魔物のような姿をしているのでしょうな。邇布(漢字が出てこない)神社の狛犬などは、邪鬼の眷属かと思うほどの奇相でこれはどうしたことかと萌え退けるのでしょうな 🐤
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🐤なるほど。萌えなんですね🐣
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🐤萌え、ですな🐣
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