
さて、人妻(娘)との箱根旅も終盤。
僕らは箱根最大のパワースポット・芦ノ湖エリアへとやって来ました。

「芦ノ湖」(あしのこ)は、神奈川県足柄下郡箱根町にある、箱根山のカルデラ湖です。
神奈川内最大の湖であり、水源の大部分が湖底からの湧き水となっています。

湖上には、箱根海賊船(小田急系列)と芦ノ湖遊覧船(富士急系列)が運航されていて、アトラクションのように遊覧を楽しむ人で溢れています。
が、しかし、

僕は、小型ボートをチャーターします。
なぜなら、ニートにチン毛が生えた程度の新婚亭主と、大人の男の格の違いを、この人妻(娘)に見せつけなければならないからです。

実際「ASHINOKO CLUB」さんのボートクルージングは、ガイド付きで芦ノ湖周辺の穴場や由緒も教えてくださり、オススメでした。
値段も2人以上での利用であれば、コスパは悪くないと思います。

チャーター便は、まず「平和の鳥居」へとやって来ました。
平和の鳥居とは芦ノ湖上に浮かぶ箱根神社の大鳥居のことで、今や人気の映えスポットとなり、陸側では平日でも撮影に1時間待ち行列ができます。
が、大人の男である僕は金に物を言わせて、人妻(娘)に聖地独り占めの優越感に浸らせてやりました。

昭和27年(1952年)、サンフランシスコ講和条約締結と、当時の皇太子明仁親王の立太子の礼を記念して建立された赤い鳥居。
扁額は東京オリンピック開催と鎮座1,200年を記念して昭和39年(1964年)に掲げられたもので、額字の「平和」は吉田茂氏の揮毫になります。

平和の鳥居を堪能したあとは湖面を北上し、今度は小さな鳥居が立つ場所へとやって来ました。

ここが今回ボートをチャーターした、最大の目的地

「九頭龍神社 本宮」(くずりゅうじんじゃほんぐう)です。

通常、この九頭龍神社本宮を参拝するには、桃源台港付近から、遊歩道を20分ほど歩いて参拝することになります。
しかし今回僕らは時短のため、チャーター便で直接本宮まで乗りつけたというわけです。
雨も降っていましたしね。

雨といえば、我が娘は、超絶な雨女だということが今回の旅で確定しました。
こやつと出かけると、とにかく雨に見舞われます。
九頭龍神社本宮でも、本殿に参拝したとたんに、大粒の雨が降り出しました。

そんな話をしていると、チャーター便のドライバーでガイドさんでもあるイケメンお姉さんから、
「まあ、龍神さんに好かれていらっしゃるのですね」
と上手なフォローをいただきました。
これでまた、調子に乗るな、こいつは。

ところで、九頭龍神社の御祭神は当然ながら「九頭龍大神」となります。
九頭龍神社は箱根神社の境内にもあり、こちらが「本宮」、箱根神社側が「新宮」と位置付けられています。
そんな九頭龍には、次のような伝説がありました。

その昔、奈良時代から平安時代のはじめにかけてのこと、芦ノ湖には夜になると村を荒らす毒龍がいました。
時に暴れ、時に水害や疫病を流行らせ、村人を苦しませていました。
そこで、古老を中心に村人は集まって相談し、白い矢を放って刺さった家の娘を、毒龍に差し出して機嫌をとることになりました。
そうして白羽の矢が刺さった家の娘は、恐怖と悲しみで、さめざめと毎日泣いていました。

ちょうどその頃、箱根の山に萬巻上人という修行僧がやって来ました。
萬巻上人は娘を見て、何故そのように泣いているのか、事情を聞きました。
「なんと、それは哀れな。よし、この私が、その毒龍を退治してしんぜよう」
そう言うと、萬巻上人は村人に池の底に石を積ませ、その先に祭壇を築きました。

湖上の祭壇に座った萬巻上人は経文を唱え、毒龍に対して人身御供を止めるように懇々と仏法を説き続けました。
ついに毒龍は宝珠・錫杖・水瓶を携えた姿で湖から現れ、過去の行いを詫びることにしました。
それでも萬巻上人は毒龍を許さず、鉄鎖の法を修して龍を湖底の「逆さ杉」に縛り付け仏法を説き続けました。

これに龍は耐えることができず、「もう悪事は致しません。これからは地域一帯の守り神になるので許してください」と懇願しました。
萬巻上人は龍の願いを聞き届け、九頭龍大明神としてこの地に奉ることにしたのです。
この満願の日が6月14日(旧暦)であったため、九頭龍神社本宮では毎年6月13日に例大祭を、毎月の13日に月次祭を行なっているとのことです。

今でも芦ノ湖の湖水祭(7月31日)では人身御供に代えて、赤飯の入ったお櫃を御供船に載せ、逆さ杉のところで湖底に沈めるという神事が行われます。
このお櫃が浮かび上がってくると、龍神が人身御供を受け入れなかったとされ、災いが起きると云われているそうです。

僕らは一度船に戻り、小さな鳥居の前に来ました。
そしてその鳥居の下をよく見てみます。

うっすらと色が茶色になっているのが分かります。
これは萬巻上人が毒龍調伏のために築かせた祭壇の跡だそうで、その上に鳥居を建てているので、小さな鳥居となっているとのことでした。



ボートは再び岸に付けられ、九頭龍神社本宮からほど近い場所に祀られる「白龍神社」(はくりゅうじんじゃ)を参拝します。
雨は降ったり止んだりを繰り返しています。天気が良ければ、芦ノ湖からは富士山も見ることができるのですが、雨の景色も幻想的で素敵です。
そして何より、天の雨は人払いしてくれるので、人気観光地ではありがたい。

この九頭龍神社本宮も白龍神社も、辺鄙な場所にありますが、近年はパワスポとして人気が出ており、スピ系の人も多く訪れる場所になっています。
スピの人は長時間ゴニョゴニョ何かやったりして、なかなか場所を譲ってくれないことがあって困ることがあります。

白龍神社にはかつて、立派な御神木があったそうですが、朽ちてしまい、今は2代目が植えられています。
その周りを時計回りに3回まわって参拝するのが正式なんだとお姉さんが教えてくれました。

3人でぐるぐる3回まわった後、最近塗り直しがされた、真っ白な白龍神社を参拝します。
その昔、箱根権現でお祀りされていた「白和龍王」(しろわりゅうおう)を白龍大神として祀っています。
白和龍王は左鵲王(さじゃくおう)と右鵲王(うじゃくおう)と呼ばれる神々と共に箱根権現でお祀りされていた龍神だと伝えられていました。

さて、九頭龍とは吉野国主(クズ/国栖)や、天石門別(あまのいわとわけ/タジカラオ/大国栖玉命)などに通じるわけですが、実は加賀の白山信仰にも関わって来ます。
敦賀の”越知”山で修行をしていた泰澄は、白山に登り、そこで十一面観音の化身である九頭竜王が前に現れ開山したと伝えられます。
つまり、白山信仰と越智族、さらに国主(クズ)族は、深い関係があると僕は睨んでいるのです。
ここに白龍が祀られているということは、そういうことではないでしょうかね。



チャーター便のお姉さんに、次の目的は箱根神社であると伝えると、出港した港ではなく、神社最寄の港で降ろしてくれました。
イケメンお姉さん、ありがとうございました。颯爽と船を捌く姿がカッコよかったです。

「箱根神社」(はこねじんじゃ)は、箱根町元箱根に鎮座する神社です。

先ほどの平和の鳥居前は、平日の雨天にも関わらず、映え写真を撮りたい人たちで行列ができていました。ごくろうさまです。

僕らはそそくさと人混みを後にして、杜の参道を歩いて行きます。

大人の階段を昇る、五条桐彦と人妻の娘。

箱根神社はかつて、箱根権現、三所大権現とも称された神社です。
神仏習合、もしくは修験の影響が感じられます。

祭神は、瓊瓊杵尊、木花咲耶姫命、彦火火出見尊の三神を総称して「箱根大神」を祀るとします。

箱根神社の祭神はこうしてみると、ガッツリ物部系ではありますが、これは記紀に準じたもので、物部族の影響が強かったという訳ではないでしょう。

箱根を散策してみると、むしろ出雲系の気配が多く感じられるものです。

箱根神社のお隣には、「九頭龍神社 新宮」が鎮座しています。
摂社とはいえ、立派な造り。

九頭龍神社新宮は平成12年(2000年)に本宮の祭神を分霊して勧請したもので、祭神は本宮と同じです。
九頭龍大神は、箱根大神の眷属という位置付けになっているようで、本宮・新宮ともに摂社となっています。

九頭龍が眷属ということは、伝説に則するなら箱根大神とは萬巻上人なのではないか、と思いましたが、坊主が神になるというのも微妙な話です。

そして拝殿天井の見事な龍の絵を撮影している微妙な五条桐彦も、娘に隠し撮りされていました。

九頭龍の存在は、出雲に近しい越智系クズ族が定住していた地区なのかもしれません。
タヂカラオを祀る一族が伊豆半島方面に来ていますので、その流れで箱根方面に分かれた人たちがいたのでしょう。

クズが龍とされるのは、彼らに出雲族と同じ龍蛇信仰があったことを物語っています。

村を荒らしたり、人身御供を求めたという伝説は、彼らを貶めるために作られたものか。

箱根神社は延喜式神名帳に記載はないものの、鎌倉時代の『貞永式目』付属の起請文の中で、日本国中の神祇の筆頭にあげられ、鎌倉幕府の篤い崇敬と保護を受けたといいます。

伊豆山神社と共に「二所権現」に指定され、三島大社と併せて「二所詣(三社詣)」が行われるなど、後北条氏の時代まで特に武家たちの信仰を集めました。

この頃に仏教はじめ、多くのものが箱根に持ち込まれ、クズ族は圧せられ、従属していったのか。

箱根神社の境内社には、他に日吉神社、

来宮神社、

駒形神社と高根神社、

そして恵比寿神を祀った恵比寿社がありました。

やはりちょっと出雲的ですかね。
箱根神社で印象的だったのは、参道一帯に響く、ひぐらしの合唱でした。
相模三九郎さんによれば、雨とか一日どんよりした日は、ひぐらしが日中ずっと鳴いてたりするのだそうで、この幻想的な時間を過ごせたのもまあ、龍神に好かれた雨女のおかげだということになります。



箱根神社を参拝した後は、カフェで匂わせたり、

海賊船に乗ったりと旅を満喫して、

ラストクエストの箱根元宮参拝を決行します。
「箱根元宮」(はこねもとつみや)は駒ヶ岳山頂にあり、天気がよければ富士山や南アルプス、駿河湾や相模湾、伊豆半島までの大パノラマが望めるのですが、

まあ、分かっていましたよ、真っ白だと。

でも旅は、その時の旅の景色を楽しむものです。
真っ白な世界、それも神秘的で良いではありませんか。僕は好きです。

ただ、娘が雨女でなかったとしても、僕の旅にアクシデントは付きものです。
だから他人と一緒に旅をするのは、少なからず気を遣ってしまいます。

この天空の神殿を参拝するには傘が役に立たず、どうしても体を雨に濡らさなければなりません。
娘にはロープウェーの駅で待っていても良いよ、と告げましたが、一緒に行くというのでここまで連れて来ました。

さすがは龍神に愛されし女、完璧な人払いです。
ロープウェー駅にはそこそこ人がいましたが、元宮には誰もいません。神様ひとりじめ。

建久2年(1191年)の『筥根山縁起并序』によると、古代から箱根山、特に神山への信仰は篤く、神山を遥拝できる駒ケ岳の山頂を磐境として祭祀が行われていたと記されます。

5代孝昭(カネシエ)大君の時代に 聖占(しょうせん)が駒ケ岳において神仙宮を開き開山したのが最初といわれ、神山を神体山として祀ったことが、山岳信仰の隆盛に大きな影響を与えたとされています。

箱根元宮は、箱根神社の三神に加え、天之御中主神、高皇産巣日之神、神皇産巣日之神の造化三神も祀られています。
この造化三神は、元は出雲のサイノカミ三神だったのではないでしょうか。

箱根元宮の社殿前には、「馬降石」(ばこうせき)と呼ばれる磐座がありました。
これは、白馬に乗った神が降臨したと伝わっています。

白龍に白馬。
黒蛇を龍に見立てる出雲族に対し、白蛇を祀る一族の存在が浮かび上がります。

そうして感慨深く耽っていると、拝殿の裏から迂回して来たであろう別の観光グループ一団が姿を現しました。
どうやら龍神様の人払いもそろそろ終わりのようです。

こうして、1泊2日の偽不倫・雨の箱根旅は終わりなのですが、妻といい娘といい、旅のアクシデントを楽しめる人でつくづく良かった。
半身を濡らしながら、「旅はアクシデントを楽しむものだ」と笑い、僕らは山を降りていったのでした。






相模三九郎様からのご紹介で三部作拝読させていただきました。この辺りは父の縁の地域であり、ここで詳細は避けますが、いずれブログに吉田茂氏とGHQ情報部時代の事や父と仲の良かった白洲次郎氏など共々戦後の鎌倉-藤沢-大磯界隈から箱根伊豆、近代の縁の地についても書きたいです。決して欧米人がすべて日本の信仰を潰したかったわけではない話も。 かつてそんな縁の印象で70-80年代を過ごしてきましたが、神社の歴史を自分で調べるようになった80年代後半頃から物部・出雲・白山の妙な繋がりを意識しながら訪問しております。しかしインバウンド多すぎて😅2018年に行って以来避けております…九頭龍社山上も18年当時ギリギリゆっくり貸し切りでした。・・お金ならある兎さんと違って箱根神社からひたすらプリンスの中通って歩きました😂 雨女人妻お嬢様、龍神系そのものですね。これで白山比咩神社系で雨降られたら完璧ですっ! 龍神意識して行ったらドシャーっとやられたずぶ濡れ媛が身内におります故。
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やはり龍神様は、同族が来たら、歓喜豪雨を降らすのでしょうかね。
神の愛情表現は、時として激しいもので😅
聖域が廃れてしまうのは深刻な問題ですが、人で圧迫されるのも困りものです。
難しいところですね。
Kanekoさんのブログの、今後の展開も楽しみにしてます😊
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明治維新から大戦、今に至るまで、日本は欧米諸国に翻弄されてきましたね。
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