鳥屋神社(鳥屋崎神社):八雲ニ散ル花 愛瀰詩ノ王篇 道草

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宮城県石巻市に鎮座の「鳥屋崎神社」(とやさきじんじゃ)が気になったので、まあまあな雨が降る中、折り畳み傘を広げて参拝しました。

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当社の正式名称は「鳥屋神社」(とやじんじゃ)になるそうですが、通称の鳥屋崎神社の名が扁額にも記載されています。

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結構な石段を上り詰めると、境内が広がっていました。
僕が気になったというのはここの祭神のことで、その神が伊豆之姫命(伊豆能売神)だったから。
イズノメノカミとは、伊豆の姫神のことか、出づ芽の神のことか。

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するとどうでしょう、シャアもびっくり、僕の目の前に現れたのは、鮮やかで真っ赤な社殿でした。3倍のスピードで願い事が叶いそうです。

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明らかに、稲荷を彷彿とさせる赤。
実に趣き深い。

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社伝によれば、仁徳天皇55年(367年)、東夷が謀叛を起こし、これを征伐させるため上毛野田道将軍をして東征。無事、伊寺水門鳥屋岬に到着したので、此地に、港湾の神・伊豆能売神を鎮祭したということです。

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同じく石巻市の羽黒山にある鳥屋神社は、官軍によってサルタ彦神を祀った場所であると云われ、文治2年(1186年)に藤原秀衡が羽州羽黒山より分霊して倉稲魂神大物忌神を相殿に祀ったとされています。
一説には、当・鳥屋崎神社は、羽黒山の鳥屋神社の奥宮であると伝えられます。

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上毛野の田道(たぢ)といえば、上毛野氏の祖とされる竹葉瀬ノ君(たかはせのきみ)の弟で、豊彦の子孫です。
竹葉瀬は神功皇后・オキナガタラシ姫の養子となって応神大君となった人物。今や八幡信仰の主神として扱われます。
ところが次代の仁徳・オオサザキは、竹葉瀬の息子を殺して大君の座についた人物。田道がオオサザキの官軍となったとは考えられません。

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伝承では、田道は伊峙水門(いしのみと)で敗れ、戦死したといいます。従者は田道が手に巻いていた遺品の玉を妻に渡しますが、妻は悲しみのあまり縊死しました。
後に蝦夷が田道の墓を掘り起こすと、その中から大蛇が現れ次々と噛み付きほとんどの者が死亡したということです。
つまり、田道の墓を守っていたのはオロチ族であり、墓荒らしはエミシではなく朝廷側の人間だった、ということでしょう。

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田道は北海道や東北にて、開拓神として信仰されるようになったといいますが、その本質はエミシの王だということなのかもしれません。

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ところでイズノメとは何なのか。伊豆系の姫(越智)であり、出づ芽(出雲)であるのかもしれません。
出雲のタケミナカタの聖地・鳥屋神社との関連も、気になるところです。

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