水無神社

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岐阜県高山市に鎮座の、飛騨一宮「水無神社」(みなしじんじゃ)を訪ねました。

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水無とは言いますが、しっとりとした水の氣を感じる神社です。

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当社から西南方に聳える位山(くらいやま、標高1,529m)を神体山として祀る神社で、飛騨国の鎮守・祖神として、古くは斐陀国造によって崇敬されました。

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創建の年代は不詳ですが、清和天皇の時代に従五位上の神階を得る話があり、その頃には鎮座していたと考えられます。

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鎌倉時代には「水無大菩薩」と称し、社僧が奉仕。近世には水無大明神・水無八幡宮と称しました。
戦国時代の戦乱で祭祀が途絶え、附近の寺が管理したが、元禄5年(1692年)から吉田神道系に属するようになった、とのことです。

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安永2年(1773年)の安永騒動(大原騒動)では、水無神社が農民の決起集会の場所となり、騒動に加担した神職の山下和泉守と森伊勢守がともに磔に処されました。

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昭和20年(1945年)の大東亜戦争末期、名古屋方面が激しい空爆を受け、三種の神器の避難が検討されました。この時の疎開候補地が飛騨一宮水無神社でした。
8月15日、ポツダム宣言受諾によって日本は降伏。連合軍の本土進駐に際し、天叢雲剣は保護のため、8月下旬から9月中旬まで、熱田神宮から水無神社に遷座しました。

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境内にある彫り物の馬、黒駒は、作者は不詳だが古来より名匠「左甚五郎」の作と言い伝えられています。
昔々に毎夜厩舎を出て農作物を荒らし、収穫の頃の稲穂を食ったとして村民が黒駒の両目を抜き取ったところ、以後耕作地を荒らすことが止んだと伝えられ、「稲喰神馬」の名で親しまれています。

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境内社の白山神社は、合掌造りの里「白川郷」の長瀬・福島集落が御母衣ダムの湖底に沈む時、それぞれの氏神・白山神社を遷座合祀したものだということです。

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この日は8月15日で、飛騨高山も観光客で溢れかえるのだろうと予測し、朝一で参拝しました。 

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ゆえに無人。
神様ひとりじめ。

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しかも幸運なことに、通常はここからの参拝となるのですが、今日は月次祭ということで御垣内の中まで入って参拝ができるのです。
“もそっと近こう寄れ”
神様の声が聴こえます。これは嬉しい誤算。

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静謐とした神域。
背後の杜が、しっとりとした朝涼(あさすず)の風を届けてくれます。

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水無神社の主祭神は「御歳大神」で「水無神」と呼ばれます。

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他に大己貴命、三穗津姫命、応神天皇、高降姫命、神武天皇、須沼比命、天火明命、少彦名命、高照光姫命、天熊人命、天照皇大神、豊受姫大神、大歳神、大八椅命が配祀され、以上の15柱で、水無大神(みなしのおおかみ)と総称されます。

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水無大神は地名に由来すると考えられており、御歳大神とする説のほか、八幡神などとする説もあるそうです。

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境内入口にあった狛犬もユニークだと思いましたが、この拝殿前の狛犬は歴史的にも古そうで、こちらが原型となるのでしょう。

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苔むした様は、おっことぬし様のようです。

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そしてよく見ると、手のところにヒレのようなものが。

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まあこれは、毛なのでしょうが、水中でもスイスイ泳ぎ出しそうな雰囲気です。

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ところで、水無神社を参拝して、あることが気になりました。
いえ、参拝前から疑問を感じていたのですが、参拝して確信に変わりました。

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水無神社は、西南方に聳える位山を神体山として祀る神社だということですが、当社は西南方を向いていないということです。
つまり、位山を遥拝するどころか、全く関係のない方向を向いているのです。

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Googleマップで確認すると、このような位置関係になります。
水無神社の参道と、拝殿・本殿を繋ぐラインを引いてみました。
なるほど、水無神社で礼拝すると、僕らはその先の御嶽山に向かって拝することになるのです。

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ということは、水無神社の神体山は、位山ではなく御嶽山であると考えるのが、普通です。

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位山(くらいやま)というのは、飛騨北部と南部の境界であり宮川と飛騨川の分水嶺にあたる山です。
山頂には巨大磐座群があり、43軒もの縄文住居跡が発掘された高山市久々野町の堂之上遺跡は位山を遥拝していたと考えられていることから、古代の霊地であることに変わりありません。

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位山には岐阜県の県木であるイチイの原生林があり、天智大君に位山のイチイを笏の材料として献上した際、この木が一位の官位を賜ったことから木はイチイ、山は位山と呼ばれるようになったと云われ、現在でも天皇即位に際して位山のイチイの笏が献上されています。

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山頂付近には「鏡岩」「祭壇石」などの巨石磐座群が存在し、「天の岩戸」と呼ばれる磐座は水無神社の奥宮となっています。
さらに、岩穴から湧き出る「天の泉」という霊水もあり、大変興味深い山なのですが、車で近くまで行ってお手軽登山が可能となるダナ平林道が土砂崩れのため通行止めとなっており、今回の登拝は諦めました。

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もちろん麓から登れば良いのですが、その場合の往復時間は5時間ほどかかるとのこと。
位山は日本ピラミッドの提唱者である「酒井勝軍」の言に端を発し、竹内文書やホツマツタエの影響もあり、日本ピラミッド説や飛騨王朝説が生み出され、スピリチュアリストの垂涎の聖地となっています。
さらに新興宗教が得体の知れない人工物を建てたりしていて、ちょっと僕には食傷気味の聖地、猛暑に5時間越えの登山をする情熱は湧かなかったのです。
古代史跡に傲慢な人工物を建てるなど、ほんとやめて欲しい。

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位山の伝承で気になるのは、呪術廻戦で有名人となった「両面宿儺」(りょうめんすくな)です。
両面宿儺は『日本書記』では飛騨国の怪物として記され、一つの体に二つの顔、それぞれ4本の手足があり、左右の手に剣を持ち、四の手で弓矢を用うるとあります。
皇命に従わず、人民に害をなしていたので、和邇臣の祖・難波根子武振熊を遣わして誅したとのこと。

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ところが飛騨では両面宿儺は英雄として伝えられ、初代天皇が位山に登拝すると両面宿儺が天から降臨し、天皇の位を授けたので、この山を位山と呼ぶようになったとも伝えられます。
このことから、両面宿儺は古代飛騨王国の王がモデルであると推察されますが、長野の魏石鬼八面大王に似たものを感じます。

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ともかく、水無神社は位山と無関係とまでは言わずとも、本来の神体山は御嶽山であると思われます。
御嶽山に祀られる神は、御嶽神社によれば、御嶽大神と呼ばれる国常立命(くにとこたちのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこのみこと)をとなっていますが、narisawaさんによれば、どうやら大国主が祀られているということになるようです。

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そしてタイムリーにいただいたB女史さんの情報では、岐阜県関市富之保にある水無神社は、一宮水無神社から高照姫を勧請したと伝えられていました。

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つまり、飛騨一宮・水無神社の真の祭神は高照姫であり、大国主を祀る御嶽山を神体山としていた可能性があるということになります。
高照姫は、出雲王国8代目大名持である八千矛(大国主)と宗像族の多岐津姫の間に生まれた子であり、秦国の渡来人・徐福(ホアカリ)に嫁いで子・五十猛を儲けます。
五十猛は海部家の祖神で、別名に「大年彦」の名を持ちます。

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水無神社の主祭神、水無神・御歳大神がこの大年彦を表しているのならば、ここで高照姫を祀った一族は、出雲寄りの海部族ということになるのかも知れません。
位山に居た英雄が指し示すのは、磐座祭祀を司る古代飛騨王国の王。そこへやって来た初代大君とは天村雲のことで、本人でなくとも所縁の海部族だったのでと推察します。
そうして両者は習合していくのですが、飛騨王国は物部王朝からは敵視され、両面に4本の手足をもつ怪物・両面宿儺にさせられてしまう。
ただ、この怪物に宿儺の称号が与えられているあたり、物部も無下にはできなかったのかもしれません。

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飛騨の冬は雪深く、春は一月遅れてやって来ます。

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水無神社では4月に、飛騨路に春を告げる「飛騨生きびな祭り」が執り行われます。
当日は、飛騨一円より選ばれた未婚の女性9人が、お内裏様やお雛様、官女など、きらびやかな生きびな様に扮して行列をなします。
行列の後には、ひな様が身代わりに受けた穢れを神社で祓い清め、そうして一年の幸せを皆願い奉るのです。

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16件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    しまったww

    ちょっと記憶がアレしてまして。確か東山道が近くを通って居たと思います。そうすると、飛騨の天孫降臨伝承は、豊彦系の物部氏の可能性もあり、守屋の保護に関わったのは彼らかもしれませんね。

    いいね: 2人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      飛騨=稗田となると、豊の関与が疑われます。

      いいね: 1人

  2. 不明 のアバター 匿名 より:

    あと、中津川と、なんと阿智村にも水無神社があるんですよ〜

    いいね: 2人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      おお、阿智村にも!

      いいね: 1人

  3. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    私のヤマレコだと天気悪い時の写真しかありませんが、あそこには物部を彷彿とさせる天孫降臨伝承がありまして、位山の隣が通船山だかで、つまりタケヒナドリが居ます。また、繋がりが強い神社として木曽の水無神社があり、追われて逃げてきたかの様な伝承があり、途中でミコシを落としてしまった古事より、荒ぶる神輿の神事があります。

    奈良の村屋神社、諏訪の神長官、秋田物部と、大きく分けて四つある守屋の伝承のうち、その一つがこの辺りの物部守屋の子孫伝承を残す飛騨地域になります。乗鞍岳は今でも位ケ原と呼ばれる領域がありまして、私的には位呼称と物部は関係があるのかな?と思って居ます

    狛犬はオオカミですが、秩父との違いは確かオモイカネが居ないという点に特徴があったかと記憶して居ます。

    確かですね、仁科神明宮にも大歳神が大きな摂社で鎮座しており、大彦の領域と、四道将軍が置かれた時の未線引き地域、中山道と東山堂の領域のちょうど真ん中あたり、つまり尾張海部(開化系?)と、物部の中間あたりにこういった信仰が出来てるのではと思います。

    大歳神に関しては私は紀氏の林業の神が来たのか?と余って居ます。確かイタキソ神社が林業を木曽谷に伝え、木曽谷は基本的に尾張藩の領域で、昔からの関連がある地域ではないかと。つまり奈良と違って米の神様ではなく、木の神様として持ってこられ、後年の神様ではないかと。

    大彦の関係が、田舎では物部や安曇を名乗り、阿部が忌部氏に隠れたと妄想すれば、守屋の受け入れ先としては成り立つのかなーとか、塩尻の宗賀の遺跡のあたりに弥彦神社があったり銅鐸が出ても不思議ではないのかなとか想像して居ます。

    飛騨は面白くてヤマトタケルはいるんですが、阿智氏の出とも言われる田村麻呂は居ないんですよ。

    つまり、田村麻呂伝承は物部氏を討ってないという事だと思います。

    登山道の林道が崩壊してるのは痛いですね。あそこが通れれば冬でも登れる山なんですが。スキー場からだと8月は汗だくですよwヒルやアブとかは出ないので登るには問題ありませんが

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      さすがnarisawa氏、興味深い情報と考察です。
      位=物部説、確かに僕も実感します。
      林道は9月半ばごろに開通予定のようですが、今回は諦めました。
      また機会があれば、訪ねたいです。

      いいね: 1人

      1. 不明 のアバター 匿名 より:

        narisawa110

        またの機会がございましたら、是非錦山神社を推薦いたします。

        ここが守屋伝承の場所になります。

        いいね: 1人

        1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

          マークさせていただきます♪

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  4. Nekonekoneko のアバター Nekonekoneko より:

    🐥雨の害が稲穂を駄目にするから、生け贄として黒駒の目玉を抜き取ったんと違いますか。黒駒は黒龍の化身の象徴。雨を降らすのは黒駒に象徴される黒龍。それにしても、この神社の狛犬はまるで魔界のハイエナみたいな姿をしておりますな。現在の神社自体に曰くはなくとも、昔この神社がどういうものを祀っていたのか不安になりますな…🐤

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      せやろか🐴

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      1. Nekonekoneko のアバター Nekonekoneko より:

        🐣生き馬の目を抜く世の中のことですから色々と🐴

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      2. Nekonekoneko のアバター Nekonekoneko より:

        🐥日本武尊と御嶽山の関連も気になりますな…日本武尊の東征の際、御岳山から西北に進もうとするのを阻んだ白鹿を山蒜で追い払ったら雲霧が立ち込めて道に迷った(日本武尊)。そんな彼を助けたのは、口が耳まで裂けた白狼だったという。尊は白狼に対して、”大口真神”として御岳山に留まり、全ての魔物を退治せよと命じた…🐤口が耳まで裂けたって、それはどっちが魔物かという問題ですな…

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        1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

          まあ、タケるんはそっち方面行ってないと思いますがな。

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          1. Nekonekoneko のアバター Nekonekoneko より:

            🐣では、タケるんは何処へ行ったのでしょうか。しかし伝承ではタケるんの名が出てくる。何やら曰くありげな土地ですな🐤

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          2. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

            やまとさん家のタケるんは物部の人ですから、物部勢力の拡大とともに伝承化したのでしょうな。
            実際は吉備から常陸に行って、そこでぽっくりお亡くなりになられたようですよ。

            いいね: 2人

          3. Nekonekoneko のアバター Nekonekoneko より:

            🐥😭タケる〜ん😭😭😭

            いいね: 2人

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