
「忘れられない味」と謳われる大根島の老舗、うなぎ処「山美世」(やまみせ)へ、来ちゃったんだゼ。

山美世さんはベタ踏み橋のたもとにある大正3年創業のうなぎ料理専門店で、当初は「山美世旅館」として創業し、当時陸続きではなかった松江市八束町の大根島で、宿泊客や渡船の待ち時間などに中海産の天然うなぎを使用したうな丼を提供していたお店です。

“テメエ、いつもウナギ喰ってんな、コノヤロー”
山美世さんの敷地内には「うなぎ神社」があり、参拝すると人生うなぎ登りになるということで、密かなパワースポットになっているとのこと。
僕の場合は、神さまの罵声がうなぎ登りになっているようで、失敬、失敬。

現在は漁獲量の減少もあり、山美世さんも中海産の天然うなぎというわけにはいかないようですが、良質なうなぎを仕入れ、それを火山島である大根島のミネラルが豊富な地下水を汲み上げた池に放つことで、よりおいしいうなぎを提供されています。

よってお値段も、、、南無三。
為さずして後悔するより、成して後悔すべし、ええいままよ!

ということで、「蒲焼御前」6北里柴三郎円でございます。

まあ、明日何があるかも分からん世の中だからね。
プリップリのうなぎは、食べておいた方がいいに決まってるよね。
山美世さんのうなぎは、蒸さずにそのまま焼き上げる関西風。創業以来、改良に改良を重ねた秘伝のタレと相まって、確かに香ばしいお味でした。

日本の文化を愛したラフカディオ・ハーン「小泉八雲」も鰻はよく食べていたようで、”鰻の蒲焼は八雲が愛した数少ない和食のひとつ”だったようです。



さて、島根県松江市法吉町に鎮座する「法吉神社」(ほっきじんじゃ)を訪ねました。

慶安元年(1648年)の棟札に「大森大明神」と記載されており、享保2年(1717年)の地誌『雲陽誌』には「大森明神」と記されている神社です。

旧社地はここより800mほど北東にあったそうですが、団地造営の際に遷座されたようです。

祭神は「宇武加比比売命」(うむかひひめのみこと)で、「天児屋根命」と「天太玉命」を配祀し、合殿「坡神社」の神として「思兼命」が祀られています。
なかなか趣深い顔ぶれです。

宇武加比売は「蛤貝比売」(うむぎひめ)と同一神と考えられており、その周りを中臣と忌部と、そしておそらく越智の神が取り囲んでいるという形です。

宇武加比売が法吉鳥(ほほきどり、ウグイス)に変身してこの郷に飛んできて鎮座したために、この地を法吉と呼ぶようになったと伝えられています。

『古事記』によれば、大国主が八上姫と恋仲になった折、嫉妬した八十神(ヤソガミ)の迫害を受け、火傷を負い亡くなったとあります。
悲しみに暮れた大国主の母神は、高天原の神産巣日命(かむむすひのみこと)に救いを請い、そこで𧏛貝比売(きさがひひめ)と蛤貝比売が遣わされました。

二人の比売神は母神と一緒に、大国主の治療にあたりました。すると彼は蘇生し、見事によみがえったのでした。

この母神が「刺国若比売」(サシクニワカヒメ)であることから、ここでいう大国主とは、本来は事代主・八重波津身を言い表しています。

神殺しの八十神とは、海を渡ってきたホヒ・ヒナドリと童男童女らのことでしょうか。
八重波津身が死したのちに王家を支えたのが、母系カミムスビ神の一族だったということなのかもしれません。

それにしても、法吉神社はその名からも神仏習合の気配を感じるというか、どこか稲荷的な雰囲気を感じます。

また、𧏛貝比売と蛤貝比売はセットで祀られるのが常であるのですが、片方のみが祀られる神社は珍しく思い、立ち寄ってみたのでした。

松江城周辺の平地はかつて、宍道湖がもう少し広がっていて、このあたりも湖もしくは沼地だったようです。元のお宮はもっと山間にあったようですね。
思金さんは千木のない昔ながらの祠。オチを感じる龍さんの印象が強いです。
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改めて半島側を訪ねてみると、やはり本土側とは違う雰囲気を感じますね😌
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🐥蒲焼御前6000円…これもええけど、あと2、3000円足して高級イタリアンランチ(コース)を食すと量も満足できます…鰻は高いですな…🐥(なんか量を見ると損をしたような気になりますな)
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確かに高級イタリアンスペシャルランチフルコースも良いものだが、男には、うなぎを喰わねばならぬ時があるのだよ ∈( ゚◎゚)∋”
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🐥鰻(うな)好きマーチでも響いてきそうでんな…鰻好いて(ウナ‼️)
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