
古代、九州の東の果てに、最強と謳われる王国があった。
その国では特に月の神を崇めていたが、昔は月の中にウサギがいると考えられたことから、月の神はウサギ神とも言われた。
彼らが王国の中心に建てた社は、初めはウサギ社と称した。その後で「ギ」が抜けて、ウサ宮になったという。
王家も「ウサ家」と名乗り、この国は「ウサ王国」と呼ばれるようになった。
やがてウサ王国に、世にも美しきカリスマの女王が誕生した。彼女の名は「豊玉姫」という。
彼女こそが魏志に記される親魏和王のバニークイーンである。
豊玉バニークイーンは物部王家と手を組み、大和を攻める計略を進めた。しかし中には争いを好まず、王国を抜け出し、瀬戸内の小島にたどり着いたウサの一派がいた。
ウサーアイランド、平和を愛するウサ一族は、たどり着いた島でウサの楽園を築いた。その愛と子孫繁栄のユートピアは「大久野島」という。
穏やかな日々を過ごす彼らではあったが、冬至の頃、太陽がちょうど故郷の方角へと傾いた。
沈む夕日を眺めながら、彼らは華やかだった王国を懐かしみ、そして若かりし頃の夢を見るのだったうさ。
- 『豊玉バニークイーン王国とウサーアイランドの黄昏』五条ウサぴょん彦 著


ウサ、

ウサ、

ウサぴょい、

ウサぴょい。

ウサの楽園、大久野島にいってきたぴょん。

「大久野島」(おおくのじま)は、広島県竹原市に属する無人島で、瀬戸内海芸予諸島の一つです。

本州・竹原市忠海から南方沖合い3kmに位置する島で、西へ1.1kmの位置に小久野島もあります。
大久野島へ船で渡ることになりますが、本州側の忠海と愛媛県側の大三島から、定期便が出ています。

大久野島への車の乗り入れは原則的に禁止されていますが、忠海港には広い無料駐車場が用意されていました。
それでも祝日のこの日は、ギリギリ駐車できた感じです。

船もフェリーの他に小型の高速船もあり、こちらは定員が限られてくることになります。
週末祝日などは大変多くの人が島に渡りますので、早めに港に着いて余裕をもっておいた方が良さそうです。

忠海港の券売所は、おしゃれなショップになっていて、時間を持て余すことはありません。

島内では販売されていない、うさぎのごはんやおやつも販売されていますので、用意のない方はここで買い求めておくべきです。

胸の高まりが最高潮に達してくると、そろそろ出発のお時間。

まるで海上のラブホテルのような高速船に乗り込んで、いざ大久野島を目指しましょう。



船が動き出して、15分くらいで島に到着です。

桟橋もピンク。
これはウサどもの、繁殖力を象徴しているのでしょうか。

大久野島は無人島ではありますが、宿が1軒だけ「休暇村 大久野島」が存在しており、その従業員が居住しています。
大久野島を満喫したいのであれば、是非ともこの休暇村に宿泊しましょう。
お値段は安くはありませんが、それに見合うだけの、いやそれ以上のサプライズが、ここにはあります。
とりあえずシャトルバスに乗り込み、休暇村へ行くぴょん。

休暇村の中に入ると、大きくて微妙にリアルなウサオブジェが出迎えてくれました。

”うぇーぃ”
いい歳をした女が、ああ、ああ、全くハシタナイ。
一体どういう育てられかたをしたのか、親の顔が見てみたいものです。
ちびっ子たちが呆れた目で見ていますよ、ほらどいてどいて、

”うぇーぃ”

さて、休暇村に荷物を預けたら、さっそく島さんぽに出かけましょう。
ウサが最も集まるのは、この休暇村前の広場です。
島に着いてすぐ”ウサぴょい”するのも良いですが、まずは島を一周することをお勧めします。

どのみちウサたちはお昼寝中なのです。

ウサは夜行性で、日中の暑さを嫌います。

おやつをあげても食いつきが良くありません。

押し寄せるニンゲンどもがエサをばら撒くので、ウサは食傷気味なのです。

大久野島は近代に、三度の戦争に巻き込まれた歴史があります。
その中でも有名なのは、昭和4年(1929年)から昭和20年(1945年)まで、大東亜戦争で使用するための毒性のガスが、大日本帝国陸軍によって秘密裏に製造されていたというものです。

かつては島内に民家七戸があり、数十人が定住して農耕を営んでいたそうですが、毒ガス製造が始まった時に全員強制退去となりました。

大久野島で作られていた毒ガスの種類は血液剤、催涙剤、びらん剤、嘔吐剤の4種で、戦争末期には風船爆弾の風船部分も作られていたといいます。

終戦後、すぐに旧日本軍による証拠隠滅が行われ、その後進駐軍が島全体を接収し、海洋投棄・埋設・焼夷剤で焼却するなどの無毒化処理が施されました。

朝鮮戦争が始まると再びアメリカ軍が接収し、島内の建物が弾薬庫として用いられました。

アメリカ軍による接収は1950年から1955年まで続き、その後は全島域が大蔵省(現・財務省)、灯台付近のみ運輸省(現・国土交通省)が所管することになりました。

明治初期、大久野島が「毒ガスの島」となる以前も、芸予要塞のひとつとして大久野島砲台が建設されました。

これらの施設は、日露戦争に向けて対ロシア海軍用に急ピッチで造られたとも言われています。

大久野島は明治・大正時代から芸予要塞司令部による検閲が入っており、要塞秘匿のため来島海峡からこの島付近一帯まで地図は赤く塗り潰されていました。
さらに昭和初期には、陸軍の毒ガス工場機密秘匿のため、当時の地図ではこの一帯が空白にされ、「地図から消された島」と呼ばれるようになりました。

昭和36年(1961年)、大久野島に国民休暇村を建設することになりましたが、その際、県は自衛隊に島内に残留している毒ガスの調査を依頼しました。
すると防空壕内からは2.5トントラックで5~6台分の毒ガスが発見されました。
また同年、建設工事請負業者が工事中に、土中に埋められていた毒ガスに被災しています。

以後も事故は続いて発生し、平成7年(1995年)3月から翌年の5月まで行われた大規模調査で、環境基準値を大きく超える”ヒ素”による土壌汚染が確認されました。
平成9年(1997年)11月までに除染対策工事は完了し、以後、周辺海域の海中汚染モニタリングでのヒ素は検出されておらず、海洋生物の異常報告もなかったそうです。
ただしこのことを受けて、平成16年(2004年)から島内での井戸水の利用は完全に中止され、現在の休暇村大久野島が利用する水は、すべて島外から船で運ばれています。



と、まあ、暗い歴史を遺構と共に残す大久野島ではありますが、ウサぴょいと廃墟を同時に楽しめるという、なんともレアなフォトジェニックスポットでもあります。

運が良ければ、廃墟ウサに出会えますよ。

大久野島は周囲4.3km程度の小さな島です。
車の乗り入れは禁止されていますが、休暇村では自転車や電動キックボードっぽい乗り物がレンタルされています。

でもどうでしょうね、小さい島ですから、せっかくなら歩いて回りたい。

ウサウサ。

僕はこの日のために、そらくんの好きだったおやつを、しこたま用意してきました。

どうじゃ、おぬしらも好きじゃろ、ボリボリ。

慣れた観光客さんは、細長く切ったにんじんやキャベツなどを、ビニ袋に「これでもかっ!」ってほど入れて持ってきていました。
大久野島のウサ族は、観光客があげるエサが主食のようなものですから、野菜系の方が体に良いかもね。

「休暇村大久野島」のサイトでは、『うさぎからみんなへおねがい』と称して、次のようなことがアナウンスされています。

「追いかけまわしたり 抱っこしないでネ!」
ウサは弱い種族でストレスがたまりやすいのです。ケガでもさせたら、たいへん。

「道路や道路脇 玄関前でのふれあいはダメ!」
ニンゲンも道路で遊んではダメって怒られます。ウサに悪い遊びを教えないようにしましょう。

「口もとに手をやらないでネ!」
ウサは目があまりよくありません。おいしそうな指は、おやつと勘違いして食べてしまいます。

「お菓子やパンを食べさせないでネ!」
ニンゲンの食べ物は、高カロリーで添加物まみれ。そんな毒をウサに食べさせるなんて可愛そう。

「ゴミをポイ捨てしないでネ!」
ウサはゴミも食べちゃいます。ゴミのポイ捨ては絶対ダメ。

「島にウサギをすてないでネ!」
あなたのウサは引きこもりなので、ここの陽キャなウサ族には馴染めません。また島ウサを勝手にお持ち帰りしてもイケません。

他にも、食べ残しが出ないようにとの注意がありました。
残ったエサはすぐに腐敗しますし、残ったエサが巣穴の前にあることで、カラスやトンビ、イノシシが彼らを見つけて襲うことがあるからです。

島内を一回りしたら、休暇村内のカフェでひとやすみ。

ハワイアンコナ風の甘いフレーバーのコーヒーと、「うさぎのはなくソフトクリーム」をいただきます。
はなくそデカいな。



さて、日が傾いてくる頃、日帰りのお客さんたちは船の最終便を気にしなければなりません。
しかしここからが、ハッピーウサタイムの始まりです。

それまですみっこにいた、すみっコぐらしなウサたちも、わらわらと広場に出てきます。
ウサぴょい、ウサぴょい。

そして夕日とヤシの木とウサの、エモい時間が流れていくのです。

駆け巡るウサ。

穴を掘るウサ。

この時間になると、「ニンゲン、ナンカヨコセ」と、ウサたちも走り寄ってきます。
かわよ。

写真も撮り放題。

大久野島に生息する野生のウサ族は、全てヨーロッパ系のアナウサギです。ピーターラビット系ですな。
実はこの手のウサ族は、世界・日本の侵略的外来種ワースト100にも指定されています。

純粋なニホンノウサギは時速90kmで走ることができるそうで、それはもうスプリンター的なウサなわけです。
これはこれでカッコよなわけですが、ニホンノウサギが1000羽いるウサーアイランドであったなら、こうも人気にはならないでしょう。

やっぱりこの、コロンとしたウサ族だからこその、ユートピアなのです。
っていうか、むしろウサたちに日本も世界も、侵略し尽くされた方が、平和になるだろうに。

戦前および戦中は、毒ガスの動物実験用にウサギが飼われており、また、戦中・戦後には食用にされたといいます。
ただ、戦後の毒ガス関連処理の際に全羽殺処分されたため、当時のウサ族の子孫は今はいないとのことです。

現在生息しているこのコらは、昭和46年(1971年)に、地元のある小学校で飼われていた8羽が放されて野生化し、繁殖したという説が最有力なのだそう。

そんなウサぴょいどもですが、繁殖に繁殖を重ね、エッチにエッチを重ねて子作りをしてきた結果、今では約1000羽のウサ族に勢力を拡大させ、大久野島を支配しています。
まさに子孫繁栄の権化、サイノカミ的です。

ウサはカヨワイ生き物です。なので数で勝負するしかありません。

もふもふのしっぽは、愚かなニンゲンどもを魅了するための、最大の武器です。それ以外に使い道がありません。
ニンゲンのお姉さんも、このしっぽをお尻に装着するだけで、何人もの酔っ払いオヤジ族を手ごめにします。

ウサはアナウサギと呼ばれるように、穴を掘る習性があります。

ヤツらの可愛さに目を奪われていると、トラップに引っかかってこけてしまうので、ご注意を。

中には、自ら埋まってしまうヤツも、いたりはしますが。



日が暮れたら、ひとまず休暇村館内へ。

ビュッフェで胃袋を満たします。
ライブキッチンの広島牛サイコロステーキはおかわりしました。

風呂は大浴場のみで、部屋風呂はありません。
毒ガスの島ということで、島内の水は使用できませんが、温泉のみは島内のもの。
温泉取水用井戸は深さ約20mとかなり深い位置にあり、さらに5年毎に水質調査が行われているということです。
ラドン系の良い湯でした。

さて、しっとりとした夜が訪れると、やつらのパーティータイムです。
闇に蠢く怪しい影。
ザ・デュエル!

夜は撮影が難しいですね。

朝もハッピーウサタイムは続きます。

早朝はまだカラスの姿もなく、ちびウサたちの姿が多い印象でした。

かわゆいのう、かわゆいのう。
ウサの朝活では、歩いているだけで、ウサぴょんが寄ってきます。

「オイニンゲン、オヌシ、ナンカヨコセ」

どうでしょう、どうでしょう、このウサハーレムは、大久野島の宿泊者にのみ許された特権なのですぴょん。

2011年のウサ年に日本のメディアが紹介し、随分と認知されてきたウサーアイランド「大久野島」。
年間来島客は2010年度で約152,000人でしたが、2017年には約36万人に達したそうです。
しかも夏が長くなり、ゴールデンウィークから10月一杯は夏日和という昨今、ウサのベストシーズンは限られています。
それでも、まだ大久野島のことを知らない人も一定数いる今なら、比較的容易にウサることができます。
宿も取りやすいですしね。

ぜひあなたも、ウサーヘブンリー・トロピカルユートピアアイランド「大久野島」へ、お越しくださいませ。

”うぇーぃ”

– そらくん –
そらくん
そらおじいちゃん
祝☆そらくん!
ありがとう
また逢うために
イブの日
君の大好きだったもの

ウサ様は尊いです! 大久野島はいつも石鎚山や今治、大三島大山祇神社参拝後の訪問ばかりでしたので次回は竹原から行こうと思っております。同じく休暇村宿泊が基本です。夜明けや夕日を眺めるのも最高ですし朝夕こそがウサ様たちの活動時間。意外と宿泊客は早朝散歩をせず、「えーもったいない」と思うものです。2020年コロナ禍で激減した観光客のため食糧不足からかなり悲しい状況になり、GoToキャンペーンが始まって堂々と訪問出来た時は持参したラビットフート2kgと刻んだ人参8本分が1泊でカラになりました。 この島のウサ様たちから人間は教わるものが多々あるといつも何か大切なものを戴いて帰ります。
そして曽良様に安らかなる時が続きますよう…
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気になりつつも、ようやく重い腰をあげて大久野島に行きました。
楽園のようなところで、また行きたいのですが、九州からはなかなか難しくて。
金子さんが羨ましいです😊
曽良くんは今も、月で走り回っているようです。たぶん。
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