
出芽のSUETSUGUさんから、平等寺の裏手に「大行事社」(だいぎょうじしゃ)というのがあって、その写真が『偲フ花』に見当たらないとのことでしたので、行ってきました。
いやぁ、知らんかったな、こんな神社。
何でもは知っていません。知っていることだry.

祭神は「事代主神」(ことしろぬしのかみ)、「八尋熊鰐神」(やひろのわにのかみ)、「加屋奈流美神」(かやなるみのかみ)。
元々は当地に「海石榴市」(つばいち)があったようで、その守護神として祀られていたもののようです。
海石榴市が初瀬川の大洪水で流されたあと、その守護の神も三輪惠比須神社へ遷されたようで、当社は三輪惠比須神社の奥宮、または元宮と呼ばれています。

八尋熊鰐とはおそらく、『日本書紀』に記される「事代主は八尋熊鰐(大ザメ)になって、玉櫛姫(三島ミゾクイ姫)のもとに通い、媛蹈鞴五十鈴媛を儲けた」という話から来ているのでしょう。
ただそこに、カヤナルミが一緒に祀られているのは違和感があります。
富家伝承では、カヤナルミは事代主の子ではありますが、ミゾクイ姫の子ではありません。鳥耳姫(おそらく富家?)の元に生を受けた彼は出雲に残り、9代目の大名持となっています。
トリナルミは額田部姫を后に迎え、生まれた子「国押富」を富家連続の10目大名持に就任させています。
B女史さんは僕に、「越智の考察は、実際には額田部の考察をした方が、あなたのしたいことになっている」と助言をくださいました。
三輪惠比須神社では確か、カヤナルミは事代主の娘という設定でした。
出芽のSUETSUGUさんばかりでなく、確かにカヤナルミに関しては、混乱してきますね。

んだんだ。
櫛と建で対になってる気がしましたですね。櫛御(名)方と建御名方。
この大行事社と神坐日向神社の位置関係と謎のカヤナルミには、何が含みの意図を感じますね。なんか匂いますの。
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豊玉姫が変身するのも、八尋熊鰐です。同祖に和邇に通じる海人族が絡んでいることを示唆しているのでしょうね。
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narisawa110
社員旅行で博多ナウw先月は鹿児島で砂まみれになってました。
川端でモツ串焼き食べながら、お湯割り飲んで頭抱えてますw
額田部は、ようは推古天皇の先祖という事だったり、武内宿禰の弟だったりする上に、石上神宮の春日氏の物部額田まで考えなければならなくなり、孝昭天皇と孝安天皇の事績や諡号が入れ替わってる可能性の事まで考えなければなりません。
大彦がクニクルではなく、第6代世代のハエイロドの時代の人物とするのであれば二代ほどは工作した理由が不明確でその時代の設定がみんな煽りを喰らう気がします。カエシネ、クニオシヒトあたりの考察は全く道標がなく
この辺りは忌部氏を巻き込んだ伊勢神道までの設定に絡みがあり、ウナガミ王がヒコイマスの子にされてたり、磯城氏が物部氏と集合するまでの系図に絡む気がするので、手がつけれないというか予想すらつきません。
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天石門別の別名に、明日名門という名があり、額田部の一族ということになっているそうです。
物部系の額田臣は、母系が額田部だからとのこと。
出雲王家のトリナルミの妻は、日名照「額田」毘道男伊許知邇。
武内宿禰一族の額田家も、額田家の嫁をもらったからだそうです。
額田国造は、和邇氏。
天村雲は”明日名門命三世孫、額田部宿禰”の祖とある。
うっひゃ〜ぁ。。
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こんばんは
ここから徒歩300m程度で、神坐日向神社がありますね。御祭神、櫛御名方。。櫛御方=クシヒカタ。。。(^_^;)
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そうか、クシヒカタという思い込みがありましたが、クシミナカタ=タケミナカタと、どちらにも取れる名前ですね。
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