諏訪照雲頼重の供養塔

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そういや、あの石塔は頼重の供養塔だったんだっけ。
ということで、マックイーンさんのポストを見て、ゴソゴソと写真フォルダをあさっていました。

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あった、あった。
そう、この諏訪大社上社 前宮の「鶏冠社」に行く途中にある石塔です。

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「諏訪頼重」(すわよりしげ)、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将で、諏訪大社の大祝とされるが不詳とのこと。

元弘3年(1333年)の鎌倉幕府滅亡時、御内人の諏訪盛高が得宗北条高時の子時行を連れて信濃国に落ち延びると、頼重は諏訪大社で時行を匿いました。
その後、信濃守護となった小笠原貞宗と対立し、やがて頼重・時継父子は時行を奉じ、中先代の乱を起こすに至ります。
頼重は三浦氏などの援助により、渋川義季、岩松経家、今川範満、小山秀朝などを敗死させ、ついには足利直義を逃走させ、鎌倉を占領。
しかし京より駆けつけた足利尊氏軍に大敗し、頼重は子・時継ら43人と勝長寿院で自刃しました。

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『諏訪史料叢書』巻27に記載されている系図によると、北条時行を鎌倉から脱出させ信濃に連れ出した盛高と頼重は同一人物になっており、「逃げ若」ではこの設定が使われています。
しかし、諏訪御内人家は諏訪大祝家の分家と推定され、『太平記』巻第十によれば盛高の父は御内人として鎌倉で活動した諏訪直性であることから、両者は同じ諏訪氏ではあるが遠縁の別人であると考えられているようです。

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ついでにこの写真も。

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神々しい日本アルプスの姿。北アルプスかな。

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