
「江ノ電沿線新聞社」にお邪魔してきました!

江ノ電沿線新聞では、各月で僕のコラムを掲載していただいており、大変お世話になってます。
以前、箱根に旅した時、立ち寄ってくださいとのお言葉をいただいておりましたが、その時は人妻(娘)も一緒で時間的に厳しく、叶いませんでした。
なので改めて、お言葉に甘えてお邪魔した次第です。

この日も15時に伺うお約束をしておりましたが、毒される川口市に危惧した僕は、午前中に埼玉に向かい、計算が狂って16時に新聞社に到着してしまいました。
だって埼玉と神奈川が、あんなに遠いなんて思わなかったモン。

そんないい加減な僕に、江ノ電沿線新聞社の○川社長は親切に、おいしいスイーツのお店や、鎌倉の魚や野菜が美味しい店でもてなしてくださいました。鎌倉飯最高!
お食事に同席してくださった、いつも原稿のやり取りをしていただいている○村さんがお若く、素敵な女性だったことを知って、内心ドギマギしていたのは内緒です。
そして何よりも嬉しかったのは、○川社長から、富師匠のプライベートの話をお聞きできたことでした。美味しいお蕎麦の店を所望されたこと、美味しいカレーの店を所望されたことなどをお聞きしながら、そう言えば僕が初めてお会いした時もしっかり肉料理を食べておられたな、とちょっとお茶目な師匠の姿が目に浮かんだのでした。
「美味しいカレーが食べたいとおっしゃられた時は、さすがドラヴィダの人だなと思いました」と社長が話されて、僕もププっと笑っちゃいました。

富師匠は今は江ノ電沿線新聞社にも、ほとんど連絡を取ってらっしゃらないようでした。
ああ、もう一度、師匠に会って声を聞きたいな。

そんなことで、藤沢に1泊した翌朝、○川社長と可愛い○村さんがお勧めする「諏訪神社」へとやって来ました。

神奈川はこうしてみると、多くの諏訪神社が鎮座しているのが分かります。

それはひとつには、「逃げ若」にもあるように、鎌倉幕府と諏訪大社の結びつきが強かったこともあるかと思われます。

ところが、江ノ電沿線新聞社からほど近い、神奈川県藤沢市片瀬にある諏訪神社は、他の諏訪社と一線を画す神社だったのです。

当神社は今から1280年余り前の奈良時代、養老7年(723年)に、信濃国諏訪大社から分霊を勧請し、上下両社に鎮座されたという由緒深い神社なのです。

これは、他郷へ分霊した諏訪社の中で、最古のものであるとされています。すげ~。

こちらの467号藤沢町田線沿いに鎮座する諏訪神社は、下社になります。

祭神は「建御名方命」(たけみなかたのみこと)と「八坂刀売命」(やさかとめのみこと)。

下社は弘仁3年(812年)に宮畑の地より鯨骨の湖畔に移転されたとあります。

当社の神紋は「梶の葉」で、上社が「四本梶」、下社が「五本梶」となっています。
四本・五本というのは根の本数のことで、下社の賽銭箱には上社の四本梶になっていましたが、拝殿に掛かっている暖簾をみると、五本梶になっています。

下社の社殿は昭和16年(1941年)に改築されたものですが、神侘びた風合いを醸し出しています。

境内社に白山神社の名前がありました。意味深い~。

さて、ここから歩いて上社を参拝したいと思います。

上社までは住宅街をジグザグに折れ進み、5分弱ほどで到着です。

住宅街中央には公園があり、これを出口を間違えず突き抜けられると、さらに時短が可能。

そして少し高台になったところに、上社が鎮座しています。

民家と丘に挟まれた参道。

上社は天長3年(826年)に諏訪ケ谷より浪合の山腹に移転したということです。

上社の祭神は、下社と同じく「建御名方命」(たけみなかたのみこと)と「八坂刀売命」(やさかとめのみこと)。

上社の一間社流造の社殿は、昭和59年(1984年)に昭和天皇御在位六十年奉祝事業として完成しました。

近年では令和5年(2023年)に創建1300年を迎え、氏子の熱誠により、奉祝1300年祭が盛大に執り行われたそうです。

今の片瀬諏訪神社は、上社・下社とも決して大きな神社ではありませんが、往古は荘厳な神社であったことが偲ばれます。

それは、鳥居の先に広がる景色、

そこには広大な沼湖があったからです。
今は埋め立てられて住宅街になっていますが、かつての片瀬の地は現在とは地形が異なり、水面の覆われた大きな沼湖であり、それが諏訪湖を取り巻く諏訪の地に良く似ていたと伝えられます。

社地は多少移動していますが、奈良時代に諏訪の地を想い、ここに諏訪の神を祀った人たちがいたのでした。

いや、素晴らしい神社です。できれば沼湖の存在する片瀬諏訪神社が見たかった。
江ノ電沿線新聞社の○川社長と可愛い○村さんに教えていただかなかったら、来ることはなかったかもしれません。

かつての僕の人生は、あまり人との縁が深いものではありませんでした。それは自分から人との関わりを避けてきた、ということもあります。
しかし富先生に声をかけていただいてからのこの数年間は、本当に素晴らしいご縁の数々を得て、豊かな旅をさせていただいています。
さすがはご縁の国の神様のご子孫。

この先も僕は、莫大な財を持つことも、絶大な権力を得ることもないでしょうし、地球最後の日にロケットで脱出することもできず、シェルターに避難もできず、有象無象の1人として呆気なく滅んでいくことでしょう。
しかし、そんな僕にもたらされたご縁と旅の記憶は、誰にも負けない、何物にも変え難い至高の宝物であることは、間違いありません。

そして富先生と初めてお会いした、2020年の10月19日、この日は僕の生涯で、最も幸せな一日だったのです。

帰り際、もう一度、片瀬諏訪神社の下社へ立ち寄りました。
「そこの御朱印帳がキラキラで可愛いんですよ」と教えてくれた、可愛い○村さんのおすすめをゲットするためです。

写真ではあれですが、本当にキラキラしてて、かわよ。

お揃いのお守りと一緒に、旅の思い出として購入しました。いいね👍


narisawa110
ちょwww金子様って、つまりは石見の物部神社の社家のww
物部守屋神社の神社額は確か明治の時の金子子爵の筆によるものであったと記憶しておりますw
いいねいいね: 1人
Tomi Kanekoさんは石見国造家のご子孫で、物部神社社家の近い分家筋にあたる方なんですよ。
諏訪上社の守屋や金子氏関連も、ご親戚が関係してあるとか。凄いですよねぇ😊
僕もnarisawaさんも、大好物じゃないですか😋
いいねいいね
人生変えるほどの御縁深かったのですね、それはそれは… 物部金子家は明治に藤沢に居を構えたこともあり、80年代-90年代に片瀬に住んでおりました。当時の沿線新聞社さんの郷土や鉄道の本は今も大切にしております。80年代刊行レア本古書は今は当時価格の数倍というものも多々あり、マニアックな方の心を掴んでいるのは変わらないですね; 混雑する江の島を尻目に諏訪神社はいつも落ち着いた顔をしていて訪れるとホッとする場所です
いいねいいね: 1人
WordPressが不明なエラーを吐いたためログイン情報がおかしいようですが、上記は私のアカウントのものです。失礼いたしました。
いいねいいね: 1人
文面から察しておりました。
WordPressは、たまにおかしなことになりますね。
ただ、セキュリティは他のブログより優れているのだそうです。
いいねいいね: 1人
はい、新聞社の方々も、諏訪神社は落ち着いていて、ホッとする場所だと話されていました。
江ノ島は、私はコロナ禍の隙間で伺いましたが、今や尋常ではない混みようですからね。
それまで人の縁というものに恵まれていると思ったことはありませんでしたが、まさかの先生から手紙をいただき、そこから本を書くことになろうとは思いもしない出来事でした。私の人生は、間違いなくあの時から変わりました。
いいねいいね: 1人
住んだのは昭和末期から平成一桁で、まだあの頃は夏の海以外はのんびりしたものでした。今はオーバーツーリズムエリアそのものですね。 人生は何のきっかけで変わるか、本当に面白いです。私も西出雲の民が東国の果てに流されて(東征ではなく笑)千葉の東端まで辿り着いて暮らしております
いいねいいね: 1人
千葉も気になっているところがいくつかあり、来年は一度訪ねたいと思っています。
魚も美味しいですし😋
いいねいいね: 1人
🐥建御名方命が実在の人物であるのかどうか、かなり曖昧な記述しか残っていませんな…残っている逸話は何かの作為的な創作としか捉えられないような単純稚拙なもの。日本書紀には建御名方命は存在しない…🐤
いいねいいね: 1人
た、たた、タタタタタタ、タケミンはいるもん
ヽ(`Д´メ)ノ プンスカ!
いいねいいね: 1人
🐥タケミン…🎋パンダの一種ですかな…🐣
いいねいいね
タケミンはタケミンだモンヽ(`Д´メ)ノ プンスカ!
いいねいいね: 1人
🐣タケミ〜ン(キャ〜タケミンよ〜🐥🐥🐥🐥🐥🐥🐥🐥)
いいねいいね: 1人