海南刀切神社/船越鉈切神社:常世ニ降ル花 神門如月篇 11

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珍しく窓際の席を取ったら、なんかこんなもんが見れました。

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富士さん、こんちゃっす。

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ということで、羽田に着いた僕は、レンタルなカーをひたすら房総半島の南へ転がします。

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たどり着いた場所は千葉県館山市見物鎮座の「海南刀切神社」(かいなんなたぎりじんじゃ)です。

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こぢんまりとした神社ではありますが、

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道路を挟んだ向かいにも「船越鉈切神社」があり、

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この両社は元は一つの神社だったようです。
本来なら境内であるはずの場所を交差する道路。
人の都合で分断してしまったのか、業の深いことです。

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つまりどちらもナタギリ神社なわけですが、海側を海南刀切(下の宮)、丘側を船越鉈切(上の宮)としたようです。
マックイーンさんも言ってたけど、刀切でナタギリは、ちょっと無理くりすぎるよね。なんで両方とも鉈切にしなかったんだろ。

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海南刀切神社の祭神は「刀切大神」(なたぎりのおおかみ)。他では聞くことのない名前です。

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海南刀切神社、及び船越鉈切神社の創建年代等は不詳。
伝承によれば、「船に乗った神がこの浜に上陸し、手斧をもって巨岩を切り開き、路を通じたことから祀られた」とも「海中から出現した神が当地に住んでいた大蛇を、鉈で退治したので、なた切の称号を奉った」とも云われます。

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この伝承の後者には「神が大蛇を退治して、人身御供にあがった長者の娘を救った」という話や「船越大明神というのは、年々龍宮からここに船が来るからである」という話も付け加わります。

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海南刀切神社の拝殿は、天の岩戸神話や、

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八岐大蛇神話の彫り物も素晴らしいです。

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本殿向かって右側の稲荷社の背後には、

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謎スペースが。
稲荷社だけ、遷宮するのでしょうか。

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そして本殿背後には、当社神体と思われる、奇怪な磐座があります。

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まるで海から押し寄せる高波のよう。

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その本殿裏のあたりに、祭神が切ったという割れ目ちゃんがありました。
なるほど、なるほど。

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この割れ目ちゃんは、横ばいで頑張れば、通り抜けられる幅だということで、いわゆる「胎内くぐり」の儀式などが行われていたのではないでしょうか。

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そういえば、マックイーンさんが

「刀切」→「ツルギ」か?
境内に鶴と亀がいる。

とおっしゃってありましたが、

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これのことかな?
確かに四神の中に鶴と亀がいますね。

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表は龍と虎でした。

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ということで、「船越鉈切神社」(ふなこしなたぎりじんじゃ)にも足を運びます。

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こちらは、「鉈切洞穴」と呼ばれる洞窟が神体とされます。

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丘側とはいえ、海からはさほど離れていないので、しっとりとした雰囲気に包まれています。

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ここはさも、龍宮だと言わんばかりに。

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謎オブジェ。

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参道右手には「やぐら」と呼ばれる磐座があります。

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四角い穴が掘ってあり、

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地元では、長者夫婦の墓だと伝えられているとのことです。

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参道左手には、何かがあったであろう跡地があり、

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オケツ石が置かれていました。

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オケツではなく「鉈研ぎ石」と言って、祭神がこれで鉈を研いだのだそうですが、オケツですね、やはり。

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つまり、先ほどの割れ目ちゃん岩と合わせて、サイノカミの祭祀の痕跡であり、出雲族がここにいたということになろうかと思われます。
ということは、ナタギリ大神が退治した大蛇とは、出雲族のことだったか。

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ところが、この船越鉈切神社の祭神は、海神(わたつみのかみ)の御子「豊玉姫命」となっています。
千葉・出雲族・豊玉姫・・・
このキーワードで思い至る一族があります。
そう、伊甚国造家。

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伊甚国造(いじみこくぞう)は古代西出雲王家・神門家(ごうどけ)の血筋でありながら、諏訪神を各地で祀り、その后神として豊玉媛を祀ります。
伊甚国造の支配域は房総半島中部と考えられていますが、房総半島南部にも影響があったと思われます。

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そうすると、なぜ海南刀切神社は「刀切」でナタギリとしたのか、その理由が見えてきます。
海南刀、ミナカタ、そう、海南刀切神社の祭神は、本来は諏訪神であった可能性が高いです。
あの割れ目ちゃん岩は、「人々を苦しめていた大蛇を退治したが、再び災厄の起こるのを防ぐため、神が鉈でこれを両断し池の水を抜いたからである」ともいわれており、いわゆるこの蹴破り神話は信州や豊王国に関連の深い由布院、阿蘇地方にも伝わっています。

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船越鉈切神社の本殿は、千葉県指定の史跡「鉈切洞穴」の中に建てられていました。
大正15年(1926年/昭和元年)発行の『千葉県安房郡誌』には、「傳へ曰ふ、古昔此の神獨木舟に乗りて、此の海濱に来り、鉈を以て巨巖を切り路を開いて上る。故に一神にして船越鉈切の二名ありと」記されており、神は「獨木舟」(まるきぶね)に乗ってやってきたとあります。
さらに「又曰く、古紫池と云へるあり。中に巨蛇潛伏し、往々出でゝ人民を惱ます。此の時相模より獨木舟に乗りて渡る神あり。一刀を以て大蛇を退治し給ふ。故に刀切神と號すと。相州三浦郡楫谷山神社記に、安房刀切神社は當神の御子を勸請せりと見ゆ」とあり、当地にやってきたナタギリの神は、ここに子神を祀ったと記されます。

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その子神とは、船越鉈切神社の祭神「豊玉姫」ということになるのでしょうか。
先ほどの伊甚国造の子供が、豊国造になっています。
ただ、当社の祭神は稲田姫であるという説や、この洞穴に住んでいたのは大蛇だったという説もあったりはしますが。

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洞穴は標高約25mの海岸段丘にあり、入口の高さは4.19m、幅員5.85mあり、最奥部までの距離は36.8mとなっています。
昭和31年(1956年)の拝殿の建築工事に伴い発掘調査が行われ、洞穴内から縄文時代後期(約4000年前)の土器や、動物や魚の骨、鹿の角や動物の骨で作られた漁の道具が多数出土したそうです。
そのことから、この洞穴は縄文人の居住遺跡であると考える向きがあるようですが、僕は鉈切洞穴は、風葬地だったのではないかと感じました。
海から小高い場所に海に向かって開く洞穴。沖縄のガマによく似ています。

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出雲王家は遺体を木に吊るす風葬だったと伝えられますが、その原型はこうしたガマによる風葬、鳥葬だったのではないでしょうか。
ここがそうであるなら、あまり余計な念を持ち込まず、長居せずに立ち去らなければなりません。
沖縄久米島のヤジャーガマを訪れて分かりましたが、風葬・鳥葬は、とても理にかなった葬儀方法で、魂は風に乗って、清らかに旅立てます。
故に風葬地は決して穢れておらず、とても清らかでした。
ここも鬱蒼とした怖さもありつつ、まだそこまでの穢れはなさそうです。本来は社殿など建てて不用意な祈願などはしないほうが良さそうですが。
それに引き換え、高千穂の大きなガマは、迂闊な県の政策、タレント知事、メディア霊能者によって煽られ、連日観光客が押し寄せ、ファッションスピリチュアリストや自称霊能者が知ったかぶりの儀式などを行い、今やインバウンドで雑念と穢れで大変なことになっています。
あの場所の本質も見抜けず、パワースポットだとはしゃぐ連中の底が知れるというもの。
本当にやめて欲しい。
高千穂の嫌な事件にも影響しているのではないかとさえ、思えてしまいます。

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ともあれ、この鉈切洞穴には不思議な伝承話が伝わっていました。
「昔、一人の修験者が一匹の犬をつれてこの洞穴に入っていったが、幾日たっても修験者は帰ってこない。数10日後、約8km離れた館山市犬石の洞穴から、犬だけが血まみれになって出てきたが、外気にふれると犬はそのまま石になったという」
当地では、独木舟は龍宮から流れ着いた船だと伝えられます。
やはり鉈切洞穴は常世に繋がっているのか。

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海南・船越の両社では、7月14,15日に例祭が執り行われ、その日は雨乞い儀式に由来する「かっこ舞」が奉納されるだそうです。

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12件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    初めまして。館山が生まれ故郷の者です。いつも偲フ花様のブログを楽しく読みながら勉強しています。

    私は神社や民俗学が昔から好きで、最近ようやく千葉の縄文時代や古代の歴史の奥深さに気がついてきました。

    海南刀切神社と鉈切洞穴も、お墓参りの途中の道なので、昔から知っていたのですが、地元の人はあまり立ち寄らない気がします。わたし自身も「お墓だったんじゃないか」という話をどこかで聞いていて、なんとなく気になりつつも近寄らずにいました。

    ですので、こちらのブログを拝見して、なるほど!と腑に落ちました。

    舟葬も見つかったりしているようだったので、風葬もあったのだと思います。

    館山も移住者が最近増え、新しい街おこしが始まっています。ただ、不用意にこちらの聖地に行かないでほしいなぁという気持ちです。

    あとは忌部と出雲が頭の中でごっちゃになってきているので、その辺りも深めていきたいなぁと思っています!

    遠路はるばる千葉県までお越しいただき、ありがとうございました。

    またぜひお越しください。

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      こんにちは、コメントありがとうございます♪
      南房総方面は二度目でしたが、改めて歴史を感じた旅でした。
      街おこしに聖地巡礼が持ち上げられるのはよくあることですが、今の人の流れは極端なので、聖域が荒らされてしまうことが危惧されますね。
      九州でも、高千穂や太宰府が、その例です。
      偲フ花もそうした流れに利用されないとも限らないのが悩ましいところです。本当に大事なところは拡散されないように、鍵をかけておりますが。

      忌部はなかなか難しく、富先生に尋ねたことがあります。
      先生がおっしゃるには、忌部は確かに富家の親戚だけれども、その時の勢力に応じて、身を振り替えていたとのことです。
      ただ僕には、出雲系の忌部と阿波・四国系の忌部がいたように感じています。
      まだまだ考察が必要な分野ですね。

      千葉方面はまた行きます。
      玉崎神社の弓削宮司にもお会いしなければならないですし、ね😌

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      1. 不明 のアバター 匿名 より:

        返信ありがとうございます。

        忌部は知れば知るほど謎が深まりますね。富先生の貴重なお話もありがとうございました。

        五条さんの玉崎神社の記事を拝読し、行ってみたいなと思いました。

        そして願わくば、規制される前の恐らくは古代の円形祭祀場であったであろう古代から残る聖地を、この目で見てみたかった、感じてみたかったです…。とても残念( ; ; )柵の手前からそっとお祈りさせていただきたいと思います。

        宮司さんとの再会?出会い?も楽しみですね。ぜひまた千葉へいらしてください〜。^^

        そして気になっていた鍵がかかっている記事については、こちらももう読むことは叶わないのでしょうか?それとも何か登録すると読むことができるのでしょうか?

        お忙しい中でお手数おかけして申し訳ありません。

        お時間のある時に教えていただけましたら嬉しいです。

        いいね: 1人

  2. よれ のアバター よれ より:

    よれです。

    2週間くらい前にこの神社の前を通り過ぎました、、、

    ※テーマが『天比理刀咩命ツアー』なので行程はお察しw

    看板?見て気になったので、立ち寄っとけば良かった!と後悔中。

    いいね: 2人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      よれさん、こんにちは😃

      天比理刀咩命ツアーですか、洲宮神社は行かれたのでしょうね。
      僕は洲宮神社を行きそびれたので、再チャレンジしたいのですが、なんせ遠いんですよね😅

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  3. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    洲崎神社と違って、鳥居が神明鳥居と明神鳥居に綺麗に別れているのですね。洲崎神社は、クナトの大神なのに神明鳥居で謎ですね。

    船越氏の神様で、母型と父系のそれぞれの神様なのでしょうか?淡路島の鍛治遺跡のごっさかいと遺跡の隣の船越遺跡でしたっけ?

    ここの神様の組み合わせ、松本の信濃国三ノ宮、いさごだ神社みたいですね。スイジニーはおりませんが。

    諏訪化にちなんで、海南刀切

    四国の例のタケミナトネより、ミナトネとも読める気がします。

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  4. 不明 のアバター 匿名 より:

    日本各地にある横穴墓は、出雲族も手本にした風葬からの派生なんでしょうかね。シナドオクリ。

    風葬、洞窟葬は日本中にかなりありますよね。

    それだけ、クナの民が渡ってくる以前の、縄文時代からの古層の民族に関係しているのかもしれません。

    いいね: 2人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      先日訪れた、南房総半島にもたくさんありました。
      安房神社のものなどは有名ですね。
      クナ族よりも古い、インドネシア方面から移住してきた人たちの風習でしょうか。
      出雲王家の人は霊能的にも強い人たちだったようで、そうした葬儀の仕方が理にかなっていると知っていたのでしょう。

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  5. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

    前回の対馬からはるばるの道程をしみじみです。
    タケミナカタ-海南刀切 しっくり来ます。

    しかし、高千穂町のガマについては何らかのアクションが必要な時期になって来てると思います。💦

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      ちょっとやそっとでは、どうにもならない気もしますが、人が立ち入らなくなれば、自然と浄化されるのだと思います😢

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  6. Nekonekoneko のアバター Nekonekoneko より:

    🐥鶴と亀(四獣の朱雀と玄武)…蒼龍と白虎も居てますな…

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      さしずめ、青大将と白にゃんこというところでしょうな🐍🐈

      いいね: 1人

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