
三重県南牟婁郡紀宝町の大里集落に「斎ヶ丘神社」(いつきがおかじんじゃ)というのがあるそうなので、行ってみました。

民家の間の細道を歩いていくのですが、うっかり入口を通り過ぎてしまいそうになりました。

丘の上にチラ見させる、赤い鳥居が目印です。

ちなみに、斎ヶ丘神社は「京城跡」(みやこのじょうあと)の下あたりにあります。

京城は古代山城なのでしょうか。普通に登っていくと墓があるだけで、よく分かりませんでした。

では斎ヶ丘神社に参拝いたしましょう。

しばし石の階段を登っていくと、

おおっ、

おーっ!!

なんか巨大な磐座が、

横たわっています。

ひゃぁ~圧倒的じゃないか。

オヌシ、サクヤハ熊野牛、喰ットッタナ。

これはまた、見事な爬虫類型の磐座です。
これって、人工的に手が加えられているんじゃないでしょうか。

磐座の前に、熊野地方独特の白い浜石が敷きつめられ、赤い社が3つ並んで建てられています。
祭神は「天之御中主神」(あめのみなかぬしのかみ)、「高御産巣日神」(たかみむすびのかみ)、「神産巣日神」(かみむすびのかみ)、「宇迦之御魂神」(うかのみたまのかみ)、「菅原道真公」(すがわらみちざねこう)。

とは言っても、創建は昭和26年2月7日となっており、祭神もその時充てられたもの。

本来は社殿など無い、原始的な祭祀の場であったのでしょう。
では太古の人々は、ここでどう言った神に祈りを捧げていたのか。

それはどうみても、龍神の類ではなかったか、と思われるのです。

しかし熊野地方で、これほど生物を象った磐座は、珍しく思います。
ゴトビキ岩はヒキガエルだという説もありますが、あれはどちらかというと、母神の子宮でしょう。

「斉ヶ丘とは七里四方に一か所という霊地で、昔日の如く祀らば郷内繁栄すと霊夢を見ること度々なれば、熱心な信者たちの総意によって報本反始の大礼を以て祭典を行っている」
-『紀宝町誌』紀宝町誌編纂委員会

日本の古代神とは本来、「見てはならぬ神」「触れてはならぬ神」、そのような存在であったと思われるのですが、斎ヶ丘神社の磐座は、まさに神の畏怖を感じさせるものです。

科学・文明・文化が、神殺しをしてしまった現代において、忘れてはならない何かを残してくれている。
斎ヶ丘神社もまた、そんな場所のひとつでした。
