美保神社『青柴垣神事』前篇:八雲ニ散ル花 番外

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空は青く、桜花は優しく身を散らす。
そのかみごとは切なく、 悲しき過去を語るも、一夜過ぎれば陽は昇り、小さな港町に幸せの風が吹く。

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2025年4月7日、深夜0時に目が覚めた僕は、外に出て夜空を見上げた。
漆黒の闇に浮かぶ月は、まるで勾玉になる前の翡翠のよう。
そうだ、島根に行こう!

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7時間のドライブの果てに、来たよ、島根・美保関へ。

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どうしても今日、美保関(みほのせき)の美保神社に来たかった、その理由があります。
僕は、2018年12月に美保神社の特殊神事『諸手船神事』(もろたふねしんじ)に参列したわけですが、そのまま翌年春の『青柴垣神事』(あおふしがきしんじ)にも参列する予定でした。
しかしその年、コロナパンデミックが発生。
以降、神事の一般参加は取りやめとなったのでした。シクシク。

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僕の休日はね、とても限られているんですよ。有給なんて、とれないとれない。
だから、神事一般参加の再開と、僕の少ない休日が合う日を待ち望み、耐え忍ぶこと6年。
もうね、このくらいの歳になると、1年の喪失もヤバいわけよ。それが6年よ、6年。
雨であろうと嵐であろうと、神事が行われるなら行くよ、どんな手を使ってでも行くよ、と思っていたら、

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晴れやん。めっちゃ晴れやん。
神様、仏様、クナト様、今日の善き日を、ありがとうございます。

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いつ訪れても、清々しい空気で迎えてくれる、小さな漁村「美保関」。

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その海には2艘の、四隅に榊を立てた垣根のある小舟が、浮かんでいたのでした。

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古代出雲王国の東王家「富家」によれば、紀元前3世紀末に、美保関に住んでいたヌナガワ媛と王家8代少名彦の事代主が結ばれて、タケミナカタとミホススミ媛が生まれたと伝えられます。
王家の一族の幸せは、末長く続くものと思われましたが、ある日唐突に、夫君・事代主の命が失われてしまいます。

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没後、妻君は実家の越後国に帰り、娘のミホススミ媛は祠を造って、事代主の霊を祀りました。

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この時の祠が、今の市恵美須社であると云われています。

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その祠とは別に美保港の中央に、向家(富家)は4世紀に美保神社を建てました。
元々の神主は、向家がなっていましたが、向家は多忙であったので、中世の頃(院政期から戦国時代までの11世紀後半から16世紀後半までの期間)に美保神社の管理を神職の横山家に任せることにし、今に至っております。

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比翼造りの2棟の本殿には、右殿に「事代主神」、左殿に「三穂津媛命」が祀られています。
三穂津媛は、公式では大国主の幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま)である「大物主神」の后神であるとされ、大元出版では事代主の娘・ミホススミ媛のことであると記されます。
大物主の正体は事代主であり、ミホススミ媛は事代主を祀った神主側の人であるので、僕としては三穂津媛こそが糸魚川の翡翠「ヌナガワ媛」であると主張します。
向家が美保神社を創建したとするのならば、サイノカミ信仰として、親子神を祀るよりも、夫婦神を祀る方が自然であると考えるからです。

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4月7日のこの日は「七日えびす」の例大祭の日でもありますので、午前中にその神事も行われていました。

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七日えびすは、毎月7日の御縁日、神恩に感謝し国家の安泰と氏子崇敬者国民の弥栄を祈る「月次祭」(つきなみさい)で、1月7日に行われるものを「初えびす祭」、4月を「例大祭」としています。

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この七日えびすの日にだけ体数限定で授与される人気のお守りが「金色の鯛守」で、場合によっては抽選となることもあるようです。
この日、僕は、幸運にもこの金色の鯛守をゲットすることができました。
早起き(0時起床)は三文の徳、ということです。

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青柴垣神事の前半は、手水舎の奥にある「神事会所」と呼ばれる場所を中心に行われます。

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神事会所の入口には、ちょっと変わった祭具が付けられていました。

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祭具の一つで、たくさんの御幣が付けられたものは「御祓解」(おはけ)と呼ばれ、「當屋」(とうや/神さまが存在する場所)を示すものと考えられています。

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龍の頭のようなものは「大龍」(おおたつ)と呼ばれ、これも一説には、取り付けてある紙垂が上下左右を知らせ、道しるべとなるものであると考えられているとのことです。
とてもサイノカミ的。

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美保神社の特殊神事、青柴垣神事と諸手船神事は、古事記・日本書紀に記される「国譲り神話」を神事化したものとなります。
大国主が天津神から国譲りを迫られた時、その是非を相談するため、事代主に使者を送ったという故事を再現したものが、12月に行われる諸手船神事です。

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4月の青柴垣神事は、これを受け、国譲りを決めた事代主が船を青柴垣に変えて、その中に身を隠したという様を儀礼化したものとされています。
青柴垣に身を隠した事代主は、再び神として甦り、神霊を一年に一度新たにする祭となっています。

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美保関氏子の祭祀組織の中心は、役前(やくまえ)の頭人(とうにん)・當屋(とうや/一ノ當・二ノ當)・客人當(まろうどとう)・休番(きゅうばん/上席・下席)の6人となります。
6人の役前は1年間、毎日欠かすことなく、深夜の子の刻に潮掻(しおかき、海に入って心身を清めること)をして美保神社本社や頭人宮・末社等に参拝します。
この時、途中で他人と出会えば“穢れた”として再度潮掻からやり直します。
これを日参(にっさん)といいます。

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そのほか、
「泊付きの出張で日参できなかった日は次の日に二度参り」
「食事は1人で神棚の下で専用の膳・箸を使い鶏肉・鶏卵を食べない」
「夫婦別床」
「仏壇を閉じ、死穢等の一切を避ける」
などといった、外にも多くのしきたりを守りながら日々精進潔斎し、神事を奉仕するための準備を行います。
中でも祭祀組織の長である頭人は、客人當から始まり4年間の潔斎期間があり、より厳しい戒律を守らなくてはなりません。
潔斎期間中は世俗との関わりを極力避け、また日参においては、口伝による「となえごと」など秘儀が多く、たとえ美保神社神職であってもそれを知ることは出来ません。そして頭人をおえる時はその秘儀は全て忘れなければならない習わしになっています。

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神事会所の手前右側にある建物は、頭人宮(とうにんみや)と呼ばれ、代々の頭人が守り継ぎ、日々欠かさず参拝する聖域です。
頭人が宮の中で祈る様子は、誰も見てはいけない秘儀となっていますが、4月7日の青柴垣神事の日だけ扉が開けられ、一般の人も中で参拝することが許されます。

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青柴垣神事は3/31の神楽参籠にて、両當屋がこれより世俗との関わりを絶つところから始まります。
神事は約2週間、4/12に及び行われますが、7日が本祭となります。

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AM9:00頃、偏木(ささら)と呼ばれる男児たちが、「御解除(おけど)で御座る、トーメー」と言いながら、美保関に祭りはじめの御触れを告げて廻ります。

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偏木とは元々、この男児たちが持つ竹や木の棒のことを言っていましたが、やがて男児のことを指す名称となりました。

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偏木一行が「トーメー七度半」に出る頃、神事会所では、両當屋、両小忌人、両供人、両脇當屋が大棚前にならび座って、「祗候」(目を閉じ、正座で御解除の行事まで備える)に就きます。

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小忌人(おんど)は通常、當屋の妻が務めます。當屋が妻帯者でない場合は町内女児がこれに代わり奉仕します。
供人(ともど)はお供の人で、脇當屋(わきどうや)は當屋を補佐する役です。この三役は午後過ぎの御解除(おけど)まで祗候を行いますが、當屋は神事終盤まで瞑想を解くことはありません。

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當屋は1年間の精進潔斎と前日からの断食でふらふらとなっており、これにより神懸かり状態となっています。
その當屋の手に、脇當屋が次々と金の扇を握らせていました。

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この扇は両面に紋が描かれていますが、二重龍鱗に三巴が二御前(にのごぜん)「事代主神」(ことしろぬしのかみ)の神紋で、

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二重龍鱗に渦雲が大御前(おほごぜん)「三穂津姫命」(みほつひめのみこと)の神紋となっています。
この扇は、一渋沢栄一を奉賛すると頂戴できます。
神懸かった當屋さん、すなわち事代主神と間接握手できます。

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さて、古事記では「八重事代主は…船を踏み傾けて、青柴垣に天の逆手を打って、(水中に)隠れました」となっています。
逆手を打つとは、指先を地下に向けて拍手(かしわで)を打つことを言います。
青柴垣神事は中世末に、太田政清が立案し儀式化したといわれ、出雲王の血を引く人々が、事代主を忘れないように、との思いで始めた神事であったと伝えられています。

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美保神社神職の横山家が、向家(富家)に寄こした『美保神社神職口上書』には、美保神社の氏子が、杵築大社のような派手な神事をうらやみ、外部と関わることを求めていた様子が記されます。

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これを受けて向家では、美保神社に立派な神事を作るため、京都から太田政清を招き二つの神事を古代的に儀式化することを依頼しました。
太田家は、事代主の息子クシヒカタが大和に進出し、大神神社の社家となった彼の末裔でした。
太田政清は古事記を参考に神事を構成し、古代の衣装や飾り物を使って、絵巻にあるような舟祭りを演出しました。
そうして元禄期(江戸中期)に出来た神事が、諸手舟神事と青柴垣神事でした。

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太田家の祖「太田田根彦」は、第一次物部東征陣を大和に引き入れた八咫烏とも考えられています。
このようにしてつくられた神事は、史実とは異なる内容ではあるが、出雲王国の歴史を人々に認識させる効果があった、ということです。

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7件のコメント 追加

  1. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    (追記)

    この記事でハッと致しました。

    裏手の若宮社のクシヒカタが祀られた年代が知りたいなあと。太田氏からの繋がりだとしたらなんとなく納得できたからです。

    あとは、秘社。秘密のベールですね。。確かに御神域だと感じます。

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  2. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    金色の鯛守とうとうGETされたのですね。6年越しの御守りですね。

    清々しく何とも言えない気持ちになられたことがひしひしと伝わってきました。こんなに必死、一途な思いで遠方から参拝してくださる五条先生のような方がいらっしゃること、地元の民は有り難く、自分たちの近くで護られている幸せを今一度、再確認せねばなりますまいm(__)m

    去年、淀江の姐さんと行った際には、1つだけ残念なことがありました。無許可のドローンが空を飛んでいて、途中、やめるようにアナウンスが入ったりしてインバウンドなのか心ない日本人の仕業なのかわかりませんでしたが、とても残念な気持ちになりました。

    そうだ、島根にいこう。

    ↑いいですねえ。。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      マナーは大事ですね。とくにご神前では。

      いいね

  3. よれ のアバター よれ より:

    金色の鯛守getおめでとうございます🎉

    福岡からだと、なかなか根性が必要な距離ですよね、、、(当方、京都から美保神社の方がだいぶ近い(つーても、300kmありますが))

    スケジュール通りには全く進まないという、これぞ『ホンマモンの神事』と思いました。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      ど根性ですわ🐸

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  4. よせふ のアバター よせふ より:

    九州大学に「天の逆手」を研究している先生がいらっしゃいますね。なかなか面白い視点です。

    「天の逆手 : 古事記の国譲りに現われた手拍(てう)ち の検討」矢向正人教授

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      なるほど、面白いですね。
      実際に事代主が逆手を打ったわけではありませんが、古事記の執筆者はそう記すことによって、天津神に呪いをかけた、という事なのかもしれません。
      彼もまた、天上人に苦しい目にあわされていました。

      いいね: 1人

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