
「宇佐若宮と称される下照姫は、松江の式内社、女月神社で祀られます」
そんな謎めいたアドバイスを元に、松江市雑賀町の「賣豆紀神社」(めづきじんじゃ)を訪ねました。

旧社地は西津田にあり、旧社家の売豆紀家では、今も「賣豆紀社元宮」が祀られているそうです。

主祭神は「下照比賣命」(したてるひめのみこと)で、伊勢宮として「天照大神」「豊受比賣命」「倭媛命」を合祀します。

下照媛といえば、大国主・ヤチホコ王と曳田の八上媛との間に生まれた、いわゆる木股媛のことですが、宇佐若宮と言って思い浮かぶのは豊来入媛のこと。
両者は同一人物だとでも言うのでしょうか。

いや、さすがにそれはあり得ない。時代も何もかもが一致しません。

下照媛はアジスキタカヒコの異母妹にあたり、健葉槌(天稚彦)に嫁いだとされます。

ただ、この辺は口伝も曖昧で、はっきりとしません。

賣豆紀神社では、下照媛は子宝安産の神として、信仰されていました。

境内にある石灯籠を頭に乗せた狛犬は、「病気平癒の唐獅子灯籠」と呼ばれており、祈願時には銀紙を貼り、成就時には金紙を貼って報謝する習わしがあるのだと云います。

「玄松子」氏のブログによると、「賣豆紀」には『出雲國式社考』では「姫をいつき祭る」という意味あがると記されており、また、「三代実録」には「女月神」とあることから、『神話傳説辞典』においては「異形の月神」としているとのこと。
豊来入媛に繋がるとすれば、この辺りでしょうか。

面白い伝承としては、下照媛はとても美しい媛神であると有名で、神在月に佐太神社(さだじんじゃ)に集まった神々が、その姿を一目見ようと目を付けられたので、「目付」から「賣豆紀」になったとも。

また、和歌が上手な女神としても、有名です。



後日、賣豆紀神社の元宮があるというので訪ねてみましたが、それは住宅街の細道の先、個人宅の敷地内にありました。

門は空いておりましたが、朝早い時間でもあり、門の外から失礼して参拝させていただきました。
ありがとうございます。

💚
いいねいいね: 1人