比々多神社:常世ニ降ル花 神門如月篇 21

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神奈川県伊勢原市三ノ宮に鎮座の「比々多神社」(ひびたじんじゃ)を訪ねてきました。

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延長5年(927年)の『延喜式神名帳』に記載されている小社の一社「比比多神社」とされ、古くは「冠大明神」とも称していました。

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所在地名の「三ノ宮」は当社にちなみ、古くより「三ノ宮さま」とも呼ばれています。

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また、相模五社の一つに数えられ、毎年5月5日に神揃山(かみそろいやま)で行われる「国府祭」(こうのまち)に参加します。

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社殿は立派で、二宮の川勾神社(かわわじんじゃ)よりも風格を感じさせます。

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祭神は「豊斟渟尊」(とよくむぬのみこと)、「天明玉命」(あめのあかるたまのみこと)、「雅日女尊」(わかひるめのみこと)、「日本武尊」(やまとたけるのみこと)となっており、
相殿神(あいどのしん)として、「大酒解神」(おおさかとけのかみ、大山祇神)、「小酒解神」(こさかとけのかみ、木花咲耶姫)を祀ります。

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非常に気になる祭神群ですが、おそらく重要なのは豊斟渟尊で、またの名を「豊国主尊」(とよくにぬしのみこと)と呼ばれます。

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国府祭のハイライトである座問答では、一宮の寒川神社と二宮の川勾神社が一宮争いをし、三宮の比々多神社宮司により「決着は翌年に」と仲裁が入ることで締めくくられます。
これは、「相武」(さがむ)と「磯長」(しなが/師長)があわせて相模国となったとき、寒川神社と当社のいずれを相模国一宮とするかで争った故事による象徴劇のようなものですが、この三社の立ち位置に、古代の歴史を紐解く秘密があるような気がします。

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天保5年(1834年)に書かれた『比比多伝記』によれば、当社は初代天皇の天下平定の際に、人々を護るために建立されたとしており、社側はこれをもって、初代天皇6年(紀元前655年)に大山を神体山とし豊国主尊を日本国霊として祀ったことを起源としているとのことです。

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しかしながら、豊国主尊という名前は、豊家を彷彿とさせる名で、東国に流れてきた豊玉媛の息子「豊来入彦」のことではないだろうか、と思われます。
であれば、豊国主尊=豊斟渟尊が祀られたのは、古くとも紀元後250年から350年頃になるだろうと思われ、社側の主張からは大きく後退することになります。

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ただ、僕はスルーしてしまいましたが、境内に縄文時代中期の祭祀遺跡と推定されている環状列石が存在しており、祈りの場としては確かに日本最古クラスの聖地であると思われます。

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ブリュ氏による話では、ヒビタの語義は豊後の「比多」(日田)を強調したものといい、相武国造の漆部と関係があるのだといいます。

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これは、東国系出雲神族である、葛城出身の「伊勢津彦」も関係があり、要は西出雲「神門家」(郷戸家)が勢力を伸ばした結果であるということになろうかと考えられます。

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漆部とは漆間のことで、西出雲のサワケに由来する伊勢津彦の系列から、草部吉見神の漆間へと続き、そこから豊国造にも繋がります。

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比々多神社は、大山の東南山麓に鎮座しており、当初は大山を遥拝する宮だっただろうと考えられます。
大山の神といえば、やはりクナト王を祀っていると考えるのが正しいかと。

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当社境内から1kmほど南東の場所にある「神戸」(ごうど)の地名も、さらに確証付けるものとなりうると思われます。
(神戸村の名称は往古に封戸であった遺名であるといわれている)

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比々多神社の境内には、古墳もありました。

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さらに、数分歩いた先に、元宮があるというので、行ってみます。

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のどかな道を、てくてく歩きます。

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後半は、少し傾斜になっていて、額に汗が滲みました。
そこへ吹く風の、心地よいこと。

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どうやら見えてきました。

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元宮の地には、ちいさな石の祠が鎮座していました。

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当地は、縄文時代中期の遺跡があることからも、かなり古い時代から聖地として崇められてきたことがわかります。
それだけの何かが、この地にはあったということでしょう。

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そこに神門系の一族が移住してきて、背後の霊山を大山と名付けて祖神を祀った。

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彼らは豊国にも繋がりがあったので、物部イクメの裏切りによって追われた豊来入彦を匿い、東国に導いたのではないでしょうか。

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この元宮の高台から望む相模の風景のように、広大な心をもって。

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4件のコメント 追加

  1. 三九郎 のアバター 三九郎 より:

    一、二、三ノ宮ときたら、次は四ノ宮の前鳥神社ですね(^^♪

    菟道稚郎子がピンポイントで祀られているのは東国ではかなり珍しんじゃないでしょうか^^

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      前鳥神社は行かなかったですね。菟道稚郎子が祀られているんですか、ちょっと気になります。

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  2. 不明 のアバター 匿名 より:

    出雲のMです。

    相模三ノ宮、知りませんでした🤔

    辛うじて一宮の寒川神社のみ。

    相模原に仕事で10年近く居て、初詣に大山阿夫利神社に行っていた時期があります…、当時は、出雲の大山と何か関係あるのだろう位の知識でしたが。

    ところで、お伽噺〜の中に、伊勢津彦は神門臣家アジスキタカヒコの子·タギシミミが伊勢に行った際に使っていた名、云々の記事があるのですが、同じ人ですよね。

    阿蘇九州系との系図の繋がりが不案内で、まだまだです。

    関東の出雲系国造は、神八井耳の子孫が多いように記憶してますが、相模はまた違う感じですね。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      Mさん、こんにちは。
      その節はお世話になりました😊
      僕は『お伽噺〜』は読んでないのですが、タギシミミ=タギツヒコだとすると、彼が果たして葛城から伊勢に移住しただろうか、と疑問になります。
      高鴨神社の社家は本家だろうと思われますし。
      でもまあ、伊勢津彦が神門家の血が濃い人だと言うのは納得です😌

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