名前のない島とローソク島(隠岐島 島後)

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2024年末から2025年にかけては、なんだか呼ばれ続けている気がする僕ですが、この日もお呼ばれして、島根の空を飛んでいました。

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クナトの大神さんも、見送ってくれています。

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そして見えてきたのが、あゝ、あれが神の島よ。

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やって来ました、隠岐島。

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隠岐島(おきのしま)は、島根半島の北方40~80kmの日本海に浮かぶ約180を数える島々の総称ですので、隠岐諸島(おきしょとう)または隠岐群島(おきぐんとう)と呼ぶのが正しいと思われます。
その中でもメインとなる有人島が4つあり、島後水道を境に、3つの島からなる「島前」(どうぜん)と、1つの島の「島後」(どうご)に分けられます。

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令和4年に国土地理院は、電子国土基本図による我が国の島の数を、北海道、本州、四国、九州、沖縄本島を含む14,125であると発表しました。
それらの島々は小さな岩礁にいたるまで、ほぼ全てに名前が付けられています。
それは領土問題に大きく関わり、国家安全保障上の観点からも重要なことなのです。

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島前の3島は、「知夫里島」(ちぶりじま)、「中ノ島」(なかのしま)、「西ノ島」(にしのしま)と名付けられ、それぞれ「知夫村」(ちぶむら)、「海士町」(あまちょう)、「西ノ島町」(にしのしまちょう)の町村があります。

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これに対し、島後は1島のみで、日本列島では徳之島に次いで大きく、15番目の面積を持つ島となります。
この島後ですが、実は「名前のない島」だと言われています。
島後は「隠岐の島町」(旧西郷町)という地方公共団体名が付けられていますが、「隠岐島」ではありません。
隠岐島は、先にも述べたように隠岐諸島を総称する言葉であって、隠岐島という名を持つ単独の島は、そもそも隠岐諸島内に存在しません。
島前・島後というのは、水道(海路)の前後という意味での名称であり、島の名前ではありません。
Googleマップを見てみると、便宜上「島後島」と表記されていますが、それは正しい名称ではないのです。

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そのことを教えてくださったのは、この『隠岐島前・島後神社Map』を製作された方でした。
この度の隠岐旅で、たまたま泊まった宿のご主人の紹介で、お会いできた方でした。
前回の島前旅の時もそうでしたが、極めて情報が少ない隠岐旅において、フリーペーパーのこの地図ほど重宝するものはありません。
ネットでPDFもゲットできますが、是非とも紙版を手に入れて欲しいところです。なにせ神Mapですから。

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今回の隠岐旅では「隠岐シーサイド岬」さんに2泊させていただきました。

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島旅では夕食にありつく困難さを数回経験した僕は、朝夕の2食とも岬さんに付けていただきました。

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これが正解で、美味しい隠岐の魚をたくさん堪能させていただきました。
部屋はリビングの和室と寝室の洋室を合わせたもので、とても広く快適でした。
窓の外は、西郷港が見渡せるオーシャンビュー。
お風呂は展望風呂とジェットバスに加え、露天風呂まで用意されていました。

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オーナーさんはじめ、従業員の方々も皆親切でフレンドリーでした。
僕は黒曜石の話で盛り上がり、そこで隠岐に詳しく、あの地図の制作者であるN氏をご紹介いただいたのです。

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隠岐諸島は「隠岐ユネスコ世界ジオパーク」(隠岐ジオパーク)として、2009年10月に日本ジオパークネットワークに、2013年9月には世界ジオパークネットワークに認定されました。
これに尽力されたのがN氏です。

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N氏は隠岐出身の人たちに、「世界の隠岐」出身であるという誇りを持って欲しいという願いから、世界認定されるまで頑張ったのだと胸を張られます。

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島後の中心部、銚子ダム近くに露頭する「隠岐片麻岩」(隠岐変成岩類)は、隠岐最古の岩石と呼ばれ、約2億5,000万年前にできたものとされます。

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隠岐片麻岩は、海底に堆積した砂や泥からなる岩石が、プレートと共に地下約15kmの深さまで沈み込み、高い温度と圧力を受けて、白黒の縞模様の岩石に変化します。
それが隆起したものがこの露頭となるのですが、

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さらに驚くべきことは、この岩石は、日本列島が今のような姿ではなく大陸の一部だったころに形成されたもので、日本列島がどのようにして出来ていったのかを伝える貴重な証拠となるものだ、ということです。

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同じ岩石が、能登半島や飛騨地方や、朝鮮半島にも分布しており、太古は隠岐を含めたこれらの地域が一続きであったと推測できます。
隠岐諸島にはユーラシア大陸の一部であった時代と、島根半島の先端であった時代とがあり、隠岐片麻岩はまるで「国引き神話」を彷彿とさせるジオサイトなのですが、隠岐では普遍的に見られる岩石の一つで、島前・島後の道路などの砂利として使われているということです。

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「あわわ」。

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隠岐国分寺は、奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のひとつ「隠岐国国分僧寺」の後継寺院にあたりますが、その境内に「後醍醐天皇行在所跡」が残されています。

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隠岐に流された後醍醐天皇の行在所が当地にあったという話は寺伝にあり、石碑が建てられました。

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隠岐島が遠流の地として定められたのは、神亀元年(724年)の聖武天皇の時代からで、江戸時代中期までは、天皇や公家、役人など、政治犯が主に配流されていました。
中でも有名なのが、承久の乱で敗北した「後鳥羽上皇」、鎌倉倒幕に失敗した「後醍醐天皇」のお二人で、平安時代に遣唐使の任命を拒否した「小野篁」も隠岐に配流されています。

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なぜ天皇の配流先に隠岐島が選ばれたのかというと、それは方位が関係ある、とN氏はおっしゃいます。
京の都からみて隠岐島は西北に位置しますが、これは吉方位(きっぽうい)になるのだということです。

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犯罪者にされたとはいえ、仮にも天皇です。
どこにでも流していい、というわけにはいきませんし、死刑というわけにもいきません。
祟られては困るからです。

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なので、吉方位にある隠岐島が配流先に選ばれたわけですが、隠岐はまた豊かな島で、雅さを除けば実に快適な島であったということです。

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隠岐と天皇家は、この配流された二人の天皇が関係しているかどうかわかりませんが、明治以降、歴代の皇族はみな隠岐に訪れており、隠岐を訪れなかった皇室で天皇陛下になれた者は一人もいないといいます。

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927年の『延喜式』によれば、天皇が即位した年の秋に行われる「大嘗祭」(だいじょうさい)には、隠岐のアワビを献上することとなっていました。
大嘗祭は、新天皇が即位した後に新穀を神々に供え、自身もそれを食する神事ですが、その神饌として重要視されたものが隠岐アワビでした。
そもそもなぜアワビが献上品として重要なのかはわかりませんが、一説には不老不死の象徴であるともいわれています。

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さて、この船のアパートは、隠岐の名所の一つ「屋那の舟小屋群」と呼ばれるものですが、この辺りの松原は、若狭の国から隠岐に来た八百比丘尼が一晩で植えたと伝えられています。

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その舟小屋の裏手に、

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石垣で囲われた聖域を見つけたので、入ってみました。

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そこは何ともいえない、優しい空気で満たされた場所でした。

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奥にあるストーンサークル。

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中央にある、この石を祀っているのでしょうか。

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出雲の藁蛇を思わせるしめ縄。

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小さな社の中には、

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「葺合客神社」という、謎の名前が記されていました。

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賑わいづくり喫茶 ゆらぎ」さんというお店でティータイムしていたら、

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ほうほう、なるほど。
たくさん置かれた本の中に、『出雲と蘇我王国』がありました。すばらしい。

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隠岐島といえば、島前・島後で黒曜石を拾うことができますが、黒曜石が産出されるのは、島後だけなのだそうです。

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古代、この島後で採れた黒曜石は島前の中ノ島「海士町」(あまちょう)に一旦集積され、そこから日本各地に、時には海外へと輸出されていました。

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N氏によれば、その集積場所が海士町の「諏訪神社」だったとのことです。
故に、当地の統治者は莫大な権力を持っていたと考えられます。

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その権力者が諏訪の祭神タケミナカタで、氏は国譲り神話でタケミナカタが遅れて来た理由として、彼は隠岐中ノ島にいたからだ、と考察されていました。
つまり、タケミナカタ・諏訪信仰は隠岐から始まり、出雲を経て長野に移ったのだと。
富家伝承としては、国譲り神話は史実ではないのですが、しかし事代主殺害当時、タケミナカタが隠岐の王で隠岐中ノ島の海士国の統治者であった可能性はあるかもしれません。

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アマ町ってのが海部氏を連想させ、それがまた微妙ではありますね。
さらに思い出してみれば、海士町の諏訪神社には、鶴がいましたよ、アシュラさん。

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まあ、それはさておき、隠岐の島町北方の福浦という海岸にやって来ました。

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隠岐島の代表的なジオスポット「ローソク島」を激写するためです。

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人気の観光スポットなだけあって、晴れの日の夕刻、福浦のローソク島遊覧船乗り場には若干の人だかりができていました。

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中に入ると、マチのほっとステーションがありました。
ローソ………………クんっやないかーいっ!

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鳥取にスタバはないがスナバはある。隠岐にローソンはないがローソクんはある。
はい、ギリギリアウト~!

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などという胸のざわつきをよそに、船は出港します。

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隠岐島の独特な海岸。
この岩崖、僕には龍神に見えました。

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島後は、隠岐諸島の中でも一番大きな島ですが、そうは言っても車で1時間強ほどで一周できてしまう島です。

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しかし大地の持つエネルギーは、僕がこれまで訪れた島々の中でも格別強いものを感じます。

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その大地に宿るエネルギーは、島の様々な植生にも影響を及ぼしているようです。
隠岐島に生息する固有種として、植物では「オキシャクナゲ」「オキノアザミ」「オキタンポポ」他などがあり、動物では「オキタゴガエル」「オキマイマイ」「オキヒミズモグラ」「オキサンショウウオ」他などがいます。
「オキノウサギ」という固有種もいますが、隠岐島は因幡の素兎が棲んでいた島だという説もあり、そのうさぎがこいつなのかもしれません。

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また隠岐島では、北海道で見られる植物と沖縄で見られる植物が同じ場所に生えていたり、大陸性の平地の植物、高山植物、さらには氷河期の植物までもが海岸の低地で共存していたりと、非常にミステリアスな植生を今に残しています。

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その要因のひとつは、隠岐の周囲を流れる対馬暖流にあると考えられています。
暖流によって発生した水蒸気を含む上空に、大陸からの冷たい北西の風が流れ込むことによって、蒸気が風にのって運ばれ、隠岐を含む日本海側にたくさんの雨や雪、霧をもたらすというものです。
しかし実際ははっきりと解明されておらず、いまなお多くの謎が秘められているのが、隠岐島の植生なのです。

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このような、ミステリアスな隠岐島後ですが、1番の謎は、なぜこの島後だけ名前がないのか、ということです。
あるサイトでは、島後に名前が付けられなかったのは呪詛をかけられないためであり、「島後は太古より封印された島だった」と記されていました。
確かに「名前」は個体を特定する「呪」のようなものですが、この説明はややオカルトに過ぎます。

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これに対しN氏は、『古事記』の「国産み神話」には、イザナギとイザナミが、淡路島、四国に次いで3番目に生んだ島に「隠伎之三子島」(おきのみつごのしま)と書かれてあり、これが現在の隠岐諸島だと説明します。
この隠伎之三子島の三子とは島前の三島のことで、いわば子供の島であると。つまり島後は親島になり、隠伎之三子島の意味は、「親島に率いられた三つの子島」という意味になるのだそうです。
それで島後に名前をつける必要がなかったのだと。

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また、国産み神話では、イザナギとイザナミが淡路島に先立って作った島があり、それが「オノゴロ島」(オノコロ島)だと呼ばれます。
この島後をオノゴロ島だと見立てる考えもあるようですが、国産みの順番が、日本人の太祖たる一族が移住していった順番だとすると、淡路・四国の前が隠岐島後というのは、少々位置的に無理があるように感じます。
柿本人麿が古事記に天の沼矛から落ちた雫が積もってできた島とイメージするのに、島後はやや大きすぎるとも思います。
オノゴロ島は、やはり沼島あたりが適当でしょうか。

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もし、島後にオノゴロ島っぽさを見つけるとしたら、このローソク島が正にそうでしょう。

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ローソク島は、鮮新世前期(約500万年前)に、海面上の高さ20mほどに噴出して出来た火成岩の小さな無人島です。

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溶岩による柱状節理と海食によって作り出された、奇跡の島。
日本にローソク島の名を持つ島はいくつかあるそうですが、夕陽が重なる島はここだけなのだそうです。

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そしていよいよ、ローソク島に陽が灯る瞬間が来ました。船の乗客は一斉にカメラを構えます。

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今だっ!
乗客はローソク島が見える片面に集中し、シャッターを切りまくります。
そりゃこの瞬間のために、乗船代3000円を支払っているのですから、皆必死です。

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この撮影ポイントあたりは岩礁だらけの海域で、船長の熟練の舵さばきをもってしても油断できない場所なのだそうです。
そこを15分ほどでしょうか、船を前後に動かし、皆が満足いく写真を撮れるよう、操舵してくれます。
が、難しい。。

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太陽の位置が、微妙にずれちゃいます。

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まあ、連写で50枚ほどは撮りましたでしょうか。
ローソク島の観光船は天候や海の状況にも左右されるため、出航されないことも多く、この絶景を見られる確率は69%ともいわれているそうです。
こんな1枚が撮れたなら、そりゃ満足ってものでしょう。

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9件のコメント 追加

  1. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    サワケさん何者?オミツヌの御子、とだけの見解でよいのかどうか。。。天津甕星、あなたは一体どこから?

    で、カオス(笑)

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      母系が語られませんし、オミヅヌさんも養子でしたよね🤔

      いいね

  2. よせふ のアバター よせふ より:

    「N氏」って、おそらく私も何度かお世話になったことがある方だと思います。とても饒舌・フレンドリーな方ですよね?私が所属する会の団体研修で隠岐を訪れた際に、全面バックアップして頂きました。

    その際、ローソク島も訪れる予定だったのですが、海が荒れて船が出せないということで断念しました。N氏に「次回訪れた時の楽しみが出来ましたね」と大変ポジティブなお言葉を頂いたのですが、まだ行けてないです💦

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      N氏は確かにそんな印象の方でした。
      ジオパーク関連の施設にお勤めの方です。
      旅はうまくいかない時もありますが、それはそれで、次のご縁をいただけたということで。
      ぜひ、リトライしてください!

      いいね: 1人

  3. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    ありです。建御名方が王。

    諏訪湖は古代、黒曜石の産地ですし、大瀧神社は諏訪大社の祭神 建御名方命を祀る神社。そして御神体は巨大な黒曜石。。

    なるほど。。。

    黒曜石って、星。。。

    天香香背男は最期まで天孫、大和に逆らった神。。ここにきて建御名方が被ってきた。。。

    ヤバい。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      ただ、鉄が生まれてから黒曜石の重要度は減ったと思うんですよね。
      その後は祭具になったか。
      なので黒曜石の王は、出雲族より古い時代の人ではないだろうか、と。

      いいね

  4. Nekonekoneko のアバター Nekonekoneko より:

    🐥船小屋の裏手にある聖域…そんな静かな場所で誰と誰がもつれ合っていたのかという、そんな素朴な疑問🐤(烏賊と蛸のもつれ合いだったら面白いかも…)

    いいね: 1人

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