高田神社:常世ニ降ル花 抓津夏月篇 03

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その昔、隠岐の島町都万中里の地頭・佐々木隠岐次郎左衛門に、小花姫(こはなひめ)という娘がおった。
娘が西郷町の旧家へおつかいに行った帰り、菜踏坂(なぶみざか)のあたりにさしかかった時、どこからともなく、神楽の音が聴こえてきた。
その音に耳を傾けると、不思議なことに、気持ちがふわりと軽くなり、そのまま神楽の音のする方へと誘われていった。
小花姫はそのまま、聴聞坂(ちゃもざか)から高田山へと登っていったという。

翌朝、父親は娘が帰ってこないことを心配し、村人と共に探しに出た。
どこを探しても娘の姿はなく、それで高田山に登ってみることにした。
すると、鳴沢(なるさわ)の池のほとりで、なにやら御神像めいたものを抱いた小花姫がいるではないか。
父親は駆け寄って語りかけてみたが、娘は虚な目をしたかと思えば、狂ったように取り乱すのであった。
佐々木隠岐次郎左衛門は小花姫を家へと連れて帰り、持ち帰った御神体について村人と話し合った。
そしてその御神体をお祀りしたものが、都万の高田大明神であるという。

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島根県隠岐郡隠岐の島町都万に鎮座の「高田神社」(たかだじんじゃ)を訪ねました。

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場所は民家の細道を抜けた、高田山の麓にあり、行くのも、車を駐めるのも苦労しました。

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参道入口にいた狛犬さんは、溶けております。

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こちらは、もはや何が何だか。

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高田神社は、至徳2年(1385年)に時宗金蓮寺の関与によって、都万頼清(佐々木頼清)が創建したもの、とのことです。

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しかし南北朝末期の至徳年間(1384~1387)に、佐々木隠岐次郎左衛門の娘「小花姫」に神託があって、高田山頂の鳴沢の池からご神体が現れたという伝承もあり、高田神社の右手の小山には小花姫の乳母の墓があり、子孫に当たる佐々木氏がこれを祀っている、といいます。

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では、都万頼清(佐々木頼清)と佐々木隠岐次郎左衛門が同一人物かというと、違うようで、なかなかその辺りの詳細が掴めません。
「隠岐次郎左衛門」とは、隠岐守であった佐々木義清の次男(次郎)であった佐々木泰清(ささき やすきよ)のことであろうと思われますが、さらに泰清の次男にも「佐々木頼泰」(ささきよりやす)という人物がいます。
この辺りの人間関係がごっちゃになっているのかもしれません。

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ちなみにこの佐々木頼泰は、後に出雲守護となり、出雲の塩冶氏(えんやうじ)氏の祖となった人物とされます。

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高田神社の祭神は「国常立命」(くにとこたちのみこと)と「小花姫命」で、神紋は日御碕神社の「三ツ柏」と同じもののように見えます。

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拝殿の横から、本殿側に回る道があります。

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そこには古くも荘厳な隠岐造りの本殿が鎮座していました。

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隠岐島前・島後神社Map』では、この辺りにカラフルな龍の彫り物があるように書かれていましたが、見当たりませんでした。

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こちらの龍は立派。

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本殿の横には、上から落ちてきたのか、そこそこの密度を感じさせる大きめの岩が祀られています。

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そして本殿裏、

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そこには、水を流し溜める溝のような窪みがありました。

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これは神社創建以前からある、水を使った祭祀の痕跡ではないでしょうか。

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水の祭祀に関しては、当地の地名に由来する女神の聖地が、この先の山中にもあるのでした。

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また、京都四条にある金蓮寺の浄阿上人が、この高田神社に泊ったとき、夢の中に「花にいま鳴沢池の蓮(はちす)かな」という発句の神示をうけたのだと伝えられます。

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上人はこれを受け、都で二条良基など公卿、僧侶などの歌人にたのんで、百首和歌と千句連歌をつくってもらい、至徳4年(1387年)に高田神社へ寄進しました。
千句連歌はすでに失われていますが、百首和歌の方は「紙本墨書高田明神百首和歌」(しほんぼくしょたかだみょうじんひゃくしゅわか)として残り、現在でも高田神社の社宝(県指定文化財)となっています。

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百首和歌は冒頭に関白二条良基の「春寒き山は高田の高ければ雪の下より立つかすみかな」という一首で始まり、この春を詠んだ和歌から、夏、秋、冬、恋と、百首の和歌が整然と配列されているそうです。

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このいにしえの雰囲気を持つ高田神社は、総社・玉若酢命神社にも、その分霊が祀られていた時期があったとのことでした。

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7件のコメント 追加

  1. Lincol Martín のアバター Lincol Martín より:

    Una leyenda con tintes de espiritualidad profunda, donde el destino humano se entrelaza con lo divino, y donde la belleza y el dolor coexisten en el encuentro con lo sagrado. Y qué preciosas imágenes que asocian la historia al lector.

    Saludos cordiales.

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      Me alegra que la gente del extranjero pueda entender los cuentos populares japoneses de esta manera.
      gracias.

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  2. Nekonekoneko のアバター Nekonekoneko より:

    🐥女逢(ほう(漢字が出ません))戌とは何か。なにやら魔物のような石像ですが…不気味ですな🐤

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      戌年女ではないでしょうかな。
      戌年の女性が、ありがたやと奉納されたのでしょうな🐶

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      1. Nekonekoneko のアバター Nekonekoneko より:

        🐣何か誤魔化されたような気がするけど…魔界の戌年女ですかな…

        いいね: 1人

        1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

          美魔女かもしれませぬな🦹‍♀️

          いいね: 1人

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