
大阪府岸和田市に高野山真言宗の寺院「久米田寺」(くめだでら)があります。

当寺は、行基が開削指導したため池のひとつである「久米田池」を維持管理するため、天平10年(738年)に行基によって創建されたと伝えられます。
南北朝時代には天皇、皇族の帰依も深く、楠木正成とも密接な関係を持ち、手厚い保護が与えられたという久米田寺ですが、僕のアンテナが引っかかるとすれば、楠木正成くらいのことか。

実は、久米氏(くめうじ)を追ってここに来たわけですが、久米田池も行基の開削となればどうなんでしょうか。
ただ、久米田という地名は古くからあり、久米氏が当地に勢力を得ていたというのが由来だという可能性はあるのかもしれません。

久米田寺はなかなか広いお寺で、写真もたくさんあるので、せっかくですから久米氏についてまとめたいと思います。

久米氏は古代日本における軍事氏族の一つで、『新撰姓氏録』では高御魂命の8世の孫である味耳命(うましみみのみこと)の後裔とも、神魂命の8世の孫である味日命(うましひのみこと)の後裔とも伝わります。
味耳も味日も似たような系統で似たような名前ですが、タカムスビが物部系、カミムスビが出雲系であると考えると、大きな違いがあります。

久米氏は久米部(くめべ/来目部)の伴造(とものみやつこ)「久味国造」で、記紀の表記から、大伴氏と対等の立場であったが、久米部を統轄する一族がある時点で衰えたため、大伴氏がかわりに久米部を管理するようになったと考えられているようです。

クメの語源としては、クメ=クミ(組)説、軍隊のムレ(群れ)説、クメ=クマ(肥)説、クメ=クベ(垣)説、クメ=西南島々の地名説、など様々ですが、先日訪れた島根の隠岐島島後では、黒曜石の主要な産地である久美は元は久米であったという話を聞きました。

また久米氏には、
・大和国高市郡久米郷より起こる、春日氏の傍流の久米氏
・尾張国の八甕命を始祖とする久米氏
・武蔵国の桓武平氏村山支流の久米氏
・常陸国の藤原北家秀郷流小野崎氏流の久米氏
・常陸国の清和源氏義光流佐竹支流の久米氏
・出羽国の藤原氏南家武智麻呂系二階堂支流の久米氏
などがあり、混乱します。

この中で尾張系の久米氏は、熱田神宮の元宮たる「氷上姉子神社」の祠官も努めているとのことです。

この久米氏ですが、松山の高家八幡神社に、久米氏の出自が草部吉見系であることを暗示する伝承があるのだと教えていただきました。
「健磐龍命の後裔が伊予に来て、健磐龍命を祀り、阿蘇宮と称した。また、社記によれば、健磐龍命の第三男子の健岩古命が伊予の賊を征伐し、伊予に住み(岩古山)、久米部山部小楯の遠祖となるという」

このほかに、
・広島県安芸高田市の大宮八幡神社(中山城跡)には仲県神社が境内にあり、久米系。
・新見の明石神社も中県國造の神社で久米系。
・山口県の阿武国造は日向襲津彦の末裔と、久米の末裔の二つの伝承が残っていて、とりあえず久米系國造。
などという話を伺いました。

僕が以前訪ねた、奈良県宇陀郡曽爾村の「門僕神社」(かどふさじんじゃ)も久米氏に関わり深い神社だということでした。
その日泊まった木治屋のご主人によれば、曽爾(そに)という場所は「漆部の郷」(ぬるべのさと)と呼ばれており、奈良から平安期にかけて漆(うるし)産業を司る「漆部造」(ぬるべのみやつこ)が置かれていたとの話です。

漆部、つまり漆間(うるしま)ということですね。

淡道国造であった波多門部にも久米の名が見え、門僕神社とは氏族的に近いことが窺えます。

久米田寺の近くには、和泉の淡路神社があり、山直神社があります。
山直氏は伊勢津彦の末裔で、播磨鴨国造族。そして久米も播磨では山部連であるという。

ということで、久米氏考などとサブタイ振った割に、受け売りを連ねただけですが、要は漆部氏と久米氏は草部吉見に通じるのだということのようです。たぶん。

そこから建筒草の末裔・丹部などとも関わりが出てくると、キハチ伝説の裏話に関わってきたりするのかもしれません。
建筒草命は、葛城の県主の一族「賀奈良知姬」の子とされ、母系では神門系となります。

久米氏について以前調べたとき、武蔵国桓武平氏系久米氏は桓武平氏系金子氏のお隣が領地で同じ入間郡内、久米川駅や金子駅など現在駅名にも残るほどですが、我が家とは関係なし(記念に駅で入場券きっぷ買っただけ😅) ここの久米から草部吉見へ繋がるのでしたら俄然面白くなってきます。
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久米氏については受け売りばかりで、個人的な考察が及んでいません。
しかし、福岡に久留米があるように、九州に久米一族がいた可能性は高い。
松山の高家八幡神社を訪ねてみなければなりませんが、僕に教えてくれた方は「久米氏の出自が草部吉見系であることを暗示する伝承がここにある」というのですが、伝承にあるのは草部吉見神ではなく健磐龍なんですよね。
健磐龍が草部吉見神のカモフラージュということが分かれば、武蔵国の久米氏にも繋がっていくのかもしれません。
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