「年魚市潟(あゆちがた) 火上姉子は 我れ来むと 床去るらむや あはれ姉子を」
ヤマトタケルは東征からの帰路、甲斐国の坂折宮で「宮簀媛」(みやすひめ)を恋偲び、この歌を詠いました。
年魚市潟とは名古屋の干潟のことで姉子は「夫のない乙女」を指します。
過酷な東征で愛する人々を失ったヤマトタケルの拠り所となったのは、尾張で婚姻を約束した宮簀媛に他なりません。
尾張に戻ったヤマトタケルはそこで、ささやかながらも至福の時を過ごしたことでしょう。
「氷上姉子神社」は「熱田神宮」から南に10kmほど先にあります。
杜に囲まれた重厚な社は「熱田神宮」境内にある別宮「八剣宮」の古宮を移したものです。
倭姫から神剣「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ/草薙の剣)を渡されたヤマトタケルは東征から尾張に帰り着いたのち、愛する宮簀媛にその剣を託します。
宮簀媛が神剣を最初に奉ったのが父神の館があった場所、この「火高」の「火上」でした。
この場所では民家に度々火事があったため、火難を避け、火高は大高、火上は氷上に名を改めます。
神剣「天叢雲剣」はこの後、尾張の祭儀場があった熱田の地で祀られることになります。
やっと訪れた幸せな日々。
しかしなぜかヤマトタケルは尾張を後にし、伊吹山の荒ぶる神を征伐に一人出かけてしまいます。
しかもこれまで尊の身を守ってきた神剣を妻に託して。
「やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる やまとし うるわし」
彼の心には若くして離れた美しいふるさとへの望郷の思いがあふれていました。
どうしてもふるさとに帰りたい。
しかしその前に為さなくてはならない使命があありました。
これまで亡くした愛しい人々、その中には荒海への生贄に飛び込んだ「弟橘比売」、また海で亡くした宮簀媛の兄「建稲種命」らへの思いがあったことでしょう。
これ以上最愛の人を失いたくないと言う思いから、大切な神剣を自分代わりのお守りに妻宮簀媛に託したのではないでしょうか。
「氷上姉子神社」の正門を出て向かい側に「元宮」へと続く道があります。
やや勾配のきつい坂を登ります。
木漏れ日が気持ち良いです。
「神明社」という小さな社を過ぎた先に、「元宮」があります。
簡易な玉垣に囲まれた素朴な社。
隣の石碑には
倭建天皇(やまとたけるのすめらみこと)皇妃「宮簀媛命宅趾」とあります。
そう、ここは宮簀媛の住まいがありました。
帰らぬ人となった愛しきヤマトタケル。
彼は白鳥となり、天空を羽ばたいて大和を目指したと言います。
桜の花咲く小さな宮を見て、姫の魂はまだこの地にいらっしゃるように感じました。
亡き人を今も恋偲んでいるのか、
また白鳥となった彼はやがて最愛の姫の元に戻り、悠久の果てに再会を得たのか。
青い空の下に咲く可憐な花だけが、その秘密を知っているように思えてなりません。