桑野内:常世ニ降ル花 天之高原篇 序

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「高千穂の雲海は秋ですが、桑野内は夏なんです」

『雲の上に住んでいた』と話す彼女の言葉に「このコ、ちょっと天然はいっているよな」と僕は思っていたけれど、
なんだ本当にそうだったんだ。

…そこに高天原は、在った。

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2025年7月4日、彼女から一通のメッセージが届いた。

「五条さん、
橋本の二神が昨日の朝からザワザワしています」

僕は基本的に、あまりこの手の話を鵜呑みにしない。
神が人に語りかけるなんていうのは、人の奢りか、とんだ勘違いか、たいていは妄想の類であって、そういった絡みのお誘いは、僕の時間を費やすに値しないと考えている。
しかしごく稀に、神に愛された本物がいる事も認めている。
世に溢れる自称霊能者や、自称チャネラー、自称スピリチュアリストらが決定的に持ち合わせていない、いにしえからの真の歴史の片鱗を、本物は持ち合わせている。
ある日突然、突発的に覚醒する、そういった類ではなく、気が遠くなる長い長い時間の中で、常に神に添い遂げてきた血筋の、そんな家柄の中の一部に、稀に本物がいるのだ。

彼女の「橋本家」の存在は、自らも歴史検証に生涯を捧げた先生の、富家伝承の正当性を実証する可能性が高い。
僕が”橋本”を知れば知るほど、それはより確実なものとなっていったのだが、ともあれ、彼女がいてくれたこと、隠されてきた橋本家を公にした勇気に、僕は感謝堪えない。

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「7日の七夕に、神に参れと
二神たちがザワついています」

彼女は七夕の日に、織姫の名を持つ彼女と、彦星の名を持つ僕が、とある聖域へ行けと、二神がザワついていると言うのだった。

「佐織さんはそうでしょうけど、僕は違くないですか?彦と言ってもペンネームですよ。僕が行ったら怒られるでしょ、お前じゃないって神様に」

彼女の名は、”佐織”という。
今まで『偲フ花』では”媛さん”と呼んでいたけど、彼女自身が名を明かしているので、今後はきちんとその名で呼ばせていただこう。
“佐織”という名前は大切なもので、重要な意味がある。

「大丈夫です。織姫や彦星の名で呼ばれていることが大事なんです」

僕にとって佐織さんの言葉は、100%信じるに値する。彼女のために僕の時間を使うことに、ためらいはない。

「私を連れて行ってくれませんか?
もし、五条さんが大丈夫なら、お願いします」

「了解、大丈夫ですよ。
どこえなりとお連れします😊」

僕は思いがけないサマーバレンタインのお誘いに、若干浮かれていたのか、メッセージの最後で噛んでしまった。

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人は日々、多くの違和感に接しながら、それを気に留めることをしない。
違和感の正体とは、人の思惑であり、日常に巧みに隠されている。
しかし思惑を溶け込ませようとすれば、そこには僅かに歪みが生じる。
その歪みが、違和感となる。

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思惑など気づかない方が、ひょっとすると人生幸せなのかも知れないが、一旦スイッチが入ってしまえば、なかなか切ることができない。
僕はある友人に世の不条理を教えられ、このスイッチを入れられてしまった。
また歴史は、人の思惑そのものであり、歴史の真実を探究しようとすれば、この違和感に敏感にならざるを得ないところがある。
佐織さんの話す彼女自身の話は、世間から隔絶されてきた視点によるものなので、ブログを見ても奇想天外だと感じる部分が多い。
でもだ、
彼女の背景を知って彼女の話を聞けば、そこにはあの、違和感が一切ないことに気が付く。
彼女ほど、純真無垢な人を、僕は知らない。

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そんな天真爛漫な佐織さんは、助手席でなんてことない話に花を咲かせる。
佐織さんが住んでいる近所のこと、息子さんのこと、ご主人のこと。
親族の話や、歴史研究グループに参加した時のこと、などなど。

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僕は運転に集中しつつも何気なく、朝の小鳥の囀りを聴くように、佐織さんの話を聞いていたのだけど、
あれっ?今の話、おかしくない?
って、ちょっとした違和感に気がつき、ある思惑の可能性に思い至ってしまった。

「佐織さん、それってヤバいんじゃないの?」

二神のザワつきの理由は、それなのかも知れなかった。

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2025年7月7日のこの日は、僕は佐織さんの望む場所に出向き、彼女の望むままに行動した。
これと言って大したことはしていないけれど、それはとても重要なことだったと、後に佐織さんは僕に告げた。

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それから程なくして驚いたことに、桑野内でとある墓が見つかった。

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桑野内の雑木林の中から、偶然に見つかったその墓は、佐織さんも所在が分からなくなっていた、秘密の墓なのだということだった。

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その墓は、昔昔から偉い方の秘密な墓だと教えられており、佐織さんが若い頃、御叔母につれられて、この林の中に入り、ゴロゴロしている墓の石の主をあててみろと言われた場所なのだと、教えてくれた。

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その墓を実際に見てみると、確かにゴロゴロとした石が積まれており、その姿は、対馬の裏八丁郭のようだと、僕は思った。

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石碑には

「法名 釈教林不返?
南無阿弥陀仏位
元禄 申」

と彫られているらしい。
橋本でも、この墓の主が誰かはわかっておらず、ただ偉い人の墓とだけ伝えられているという。
「元禄」は江戸第5代将軍 徳川綱吉の時代を指し、「申」は干支の「さる」を指す。
したがって、「元禄 申」は、元禄年間(1688-1704年)の申年、つまり元禄5年(1692年)と元禄17年(1704年)を指すことになる。

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元禄5年は特筆すべき事柄はないが、元禄16年には「元禄の大地震」が起きており、翌年の元禄17年に宝永へと改元を行ってる。
そしてその4年後、宝永4年(1707年)にはM 8.4-8.6と推定される宝永地震、および宝永大噴火が発生した。
佐織さんによれば、元禄16年あたりは高千穂神社と橋本が祭祀を一緒にしている頃のようだという。
秘密にされてきた橋本の偉い人の墓と、不自然に建てられた石碑。
それは古墳のようにも見え、ひょっとすると、古い橋本の王の墓に何かメッセージのように、元禄17年に石碑が建てられたのかも知れないと思った。

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2025年8月4日AM6:00
僕は桑野内にいた。

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出会えたらいいな、と思っていた景色が、目の前にあった。
ありがたい。

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この丘は、かつては橋本家の敷地であり、ここから阿蘇山の夫婦の神体、イザナギ、イザナミを祭祀してきたのだという。
桑野内に雲海が発生すると、雲の海にぽっかりと、阿蘇の根子岳と中岳が、浮かび見えるのだという。

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僕が訪ねたこの日は、夫婦の神はお隠れになっていたが、

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ヒルコの神がちょこんとご挨拶してくれた。
なんて可愛らしい。

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口伝では1300年前、しかし実際には遥か古代から、この雲の上にて祭祀をしてきた橋本一族。
桑野内では子持ち勾玉も発見されているという。
彼女らの一族にとって、この雲の上の景色は日常であり、彼らは『雲の上に住んでいる』と言い、外界に降りると『雲の上から降りてきた』と言っていた。

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この景色を見れば、佐織さんが言っていたことは本当のことで、この場所が紛うことなき「高天原」なのだということが分かる。
彼女のふるさとの純粋さが失われる前に、それを見ることができて、僕は本当に嬉しかった。

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2025年8月5日AM6:00
実はこの日も、僕は桑野内にいた。

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桑野内に宿を取ったのではなく、片道2時間をかけて、2日連続で訪れてみた。
この日の雲海は、薄いヴェールのように広がっており、

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やはり、ヒルコの神が僕を出迎えてくれた。
今度は、父母神に見守られながら。

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なんと神秘的な世界だろう。
この雲の景色の下には、アシュラさんが連れて行ってくれた、あの多氏王国がある。
未だ溢れんばかりの砂鉄を含む白い川も、白水の里も、そこにある。
そう思うと、この場所が本物の聖地であることがわかる。

歴史とはこの雲海のように、幾重にもヴェールが張られ、その奥底に、ひっそりと真実が眠っている。
ヴェールの神秘に気がつき、それを1,2枚めくったところで、僕ら古代史研究家は真実を知った気になっていたりする。
ところが、実際のアビスは、もっと深いのである。

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橋本家、および真の興梠家は、神を祀ったら斬り殺された時代に、それぞれの名前に神の名を隠したという。
「韻を踏みながら隠します」と。
佐織の”佐”は、代々の祭祀者に付けられてきた一文字だと、彼女は言った。
僕の知る限りで、最も古い祭祀者でその文字を持つ人は、出雲の母神「佐比売」(さひめ)である。
佐比売は幸の字を当てて、「幸媛」(さいひめ)とも呼ばれる。
“佐”の字は、”イ”と”左”に分けられ、並び替えると”サイ”となる。
“サイ=幸”は、”コウ”とも呼べる。
コウロギとは、”幸の岐”ではなかろうか。

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佐比売は出雲の佐比売山に祀られる、出雲の母神ではあるが、出雲クナト(岐)王に嫁いだ媛巫女であり、出雲出身ではない可能性がある。
彼女の里はどこだったか。
この国の始まりの場所、と僕が考える、母系王国の姿が思い浮かぶ。

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麗しくも母なる聖地、その景色。
それはもはや、失われゆく運命なのかも知れない。
日本を壊すのは、高架道路や太陽光パネルばかりではなく、精神的な信仰汚染もあるのだと、近年の状況を見ればよくわかる。
たかだか人如きが、神の神聖性を塗り替えることなど出来はしないが、僕らから見える神の在り方、歴史は変えられてしまうだろう。

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僕が昨年末から、佐織さんや、様々な人と出会った神意は、ここにあったのかも知れない。
だから僕はこれから紡いでいこう。
雲の上にあったという、最後の天の高原の物語を。

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2件のコメント 追加

  1. Nekonekoneko のアバター Nekonekoneko より:

    🐥神秘的ですな…それにしても、佐という文字が祭祀者にあてられた名だというのは興味深い🐣佐織…ヒヨコの旧姓は宮﨑織江というのですが(今は田城織江)、織という文字が一緒なので多少親近感を持ちますな🐥

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      織という字も、古代には深い意味があったと思います。僕の大好きな女神の名が、常世織姫です。

      いいね: 1人

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