馬見原:常世ニ降ル花 天之高原篇 07

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「馬見原ハ シャレタ町ナリ」
明治35年(1902年)に当時17歳の歌人”牧山牧水”が延岡から熊本までの旅の道中、馬見原の若松屋に泊まり、日記にそう記しました。

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「馬見原」(まみはら)は熊本県の北部、阿蘇郡にかつてあった町で、日向住還の宿場町だった集落です。

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当地は「九州のへそ」と呼ばれており、五ヶ瀬川の上流に位置しており、東は太平洋に、西は有明海に水が流れる分水嶺(ぶんすいれい)になっているとのこと。

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馬見原は東の延岡藩との藩境で、九州の中央部を東西に通る日向往還と、北の阿蘇から南の椎葉を経て人吉に連なる二つが交叉する交通の要害でした。

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そのため、肥後細川藩にとって馬見原は、豊前街道の南関、薩摩街道(水俣市)、豊後街道の坂梨(阿蘇)とともに、最も重要な関所となっていました。

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そんな馬見原ですが、ここは天空の女神ちゃんたちの数少ない遊び場の一つだったという話を聞き、今まで通り過ぎていた僕ですが、今回立ち寄ってみることに。

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天空の女神ちゃんとは、桑野内にいた頃の、少女だった佐織さんのことです。

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佐織さんが”サオリちゃん”だった頃、大のお気に入りの店が「肉のみやべ」さんです。

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最近では数少なくなった、町のお肉屋さんですが、新鮮なお肉、特に”馬刺し”を求めて、

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有名人もこっそり訪れる名店です。

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いたいけな天然少女・サオリちゃんは、ここの”馬肉コロッケ”を頬張りながら、馬見原の町を食べ歩きするのが大好きだったようです。

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僕も馬肉コロッケを求めてみやべさんに来たわけですが、これを見たら一択ですね。

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出てきたバーガーは、写真と寸分違わぬボリューミーさでした。

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もう一件、昔ながらの懐かしい味にも出会いました。

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これは素通りできない。

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ちょっとクセのある”くじらの竜田揚げ”は、ペロリと胃袋に消えていきました。

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馬見原を流れる美しい川は「五ヶ瀬川」。
この川は、この先の鞍岡に水源を持ち、高千穂や日之影町を通過して延岡に至り、太平洋へと水を注ぎます。
五瀬命(いつせのみこと)はまさに、この川を下って大和を目指したものと思われます。

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その五ヶ瀬川の上に架かる”しめ縄”。
これは何かというと、

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夫婦岩に架かるしめ縄でした。
陸の夫婦岩って、少し珍しいかも。

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馬見原に夫婦岩があるという情報も、佐織さんからいただきました。

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苔むしちゃって、パッと見はよく分かりません。

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夫婦岩のところに「生目神社」の参道と、

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「明神の本」なる神域の湧水があるそうです。これは気になる!

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まずは生目神社を目指して、歩いていきます。

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こっわ~。。

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先ほどまで雨が降っていたこともあり、参道は鬱蒼として怖すぎます。

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すると、朽ちたお稲荷さんを見つけました。

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こ・・・これが生目神社?

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いや、ちがいますよね。
それにしても怖すぎる。

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さらに少し歩み進めると、ようやくそれらしきが見えてきました。

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これが生目神社のようです。

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生目神社といえば、物部イクメ(11代垂仁大君)を祀るものですが、

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一般には”目に良い”御利益の神社として、信仰が厚いです。

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本殿横の水たまりは、目に効く霊水なのでしょうね。

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本殿正面から、五ヶ瀬川方面に下る道がありますので、これを進んでみます。

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すると、

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やはり狙い通り、「明神の本」に出てきました。

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明神の本は、「熊本名水百選」にも選ばれる湧水地です。
1929年に上水道が整備されるまでは、馬見原町民の生活用水として使われていたといいます。

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巨大な岩壁に囲われたここは、黄泉の国から帰ったイザナギが、「高天原・日の宮”幣立宮”」に上がる前に禊ぎ祓いを行った場所だと、案内に記されていましたが、

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どう見ても、サイノカミの磐座です。

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こちらもサイノカミ。

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岩の割れ目から水が流れる、女神の磐座ですね。

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と、いうことは、先の夫婦岩は男神ということになります。

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そもそも幣立神社は、日の宮ではなく火の宮であったと、アシュラさんが暴露しています。
イザナギ云々ではなく、阿蘇に関わるカムロギの宮だったと。

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それはさておき、五ヶ瀬川にそそぐ、明神の本のなんと清らかなことか。

岩から滲み出る命の水を見ていると、馬見原も古代から、特別な場所であったことが分かります。

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馬見原の町は決して広くはありませんが、

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散策するのに楽しい場所でした。
今までスルーしていたのがもったいなかった。

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幼き天真爛漫美少女・サオリちゃんの幻影を追いかけて、馬見原の東端にきてみたら、

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なんかすごい階段がありました。

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明徳山。
太古より山伏の修行の場であったと、書いてあります。

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幻影のサオリちゃんが「イケっ!」というので、行くほかありません。ひぇ~。。

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階段の脇に、明徳山山頂への道がありましたが、道はなかったので、行かなくてヨシ。

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シックな上水道貯水池を脇目に眺めつつ、

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ひいこらと、登ってまいりました。

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先ほどたらふく食べた、馬肉バーガーとくじらが、喉からコンニチワしてきそうです。

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それにしてもすごいな、ここは。

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明徳山は、明治19年の明(めい)十(と)九(く)に商人らが馬見原の繁栄を願ってお稲荷さんを祀ったことに由来するのだとか。
なるほど、ダジャレ~。

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馬見原は桑野内と鞍岡の境目にあり、いわば町自体が境界の神「サイノカミ」的聖地だったと思われます。

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桑野内が「橋本」の領域であるなら、かつては鞍岡が「興梠」の領域であったのではないか、と僕は思うのです。

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2件のコメント 追加

  1. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

    ご心配おかけいたしました。今日はいくぶん良好です😊 橋本と興梠の境。自然と引き寄せられ、美少女サオリちゃんとすこーしお姉さんのユカちゃんはニアミスしていたかもしれませんね。15年以上前でしょうか、まだ馬見原バーガーはなく、コロッケだけでしたが、それと一緒にユカちゃんは昭和の思い出の給食のくじらを、たいそうおいしそうに食べておりました。 中原鮮魚さんはアユも美味しかったです😉   先祖の第二次東征期のルートとほぼ判明し、豊国の方も五ヶ瀬川沿いに海に出られ、一部が嵐で難破し今の日向から門川・日之影町と戻って高千穂町三田井に住み着いたていた事が今年判明し(様々な方々の情報のおかげ様です)点と点の離れていた部分が一気に線で結ばれました。

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      kanekoさん、ご無事で何よりです。
      1日も早い全快を、こころより祈っております。

      バーガーなどシャレたものは当時は無かったでしょうね。なるほど、鮎を見かけた時は、ぜひ食してみます。

      点と点が少しずつ繋がって来ましたね。サオリちゃんとユカちゃんのセッション、見てみたかったですね☺️

      いいね: 1人

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