
鞍岡の祇園神社から椎葉村方面へ南下すると、「冠岳」(かむれだけ)と呼ばれる山が見えます。
標高828mの山ですが、近くで見ると、なかなかな迫力。

祇園神社の境内社「古我牟礼神社」(こがむれじんじゃ)の祭神である「冠八面大明神」(かむれやつおもて)の神体とされる山ですが、この神が「鬼八」(きはち)ではないかと僕が思うに至った山容がそこにあります。
祇園神社では”らくだこぶの山”と表現されますが、いや、鬼でしょ。

この冠岳にヤマタノオロチが7巻半のトグロを巻いていたという伝説があるとのことでしたが、ヤマタノオロチってトグロ巻けるんかい!って思わずツッコミを入れてしまいます。
ヤマタノオロチって首は長いけど胴体は短いイメージ。
それはさておき、ヤマタノオロチは出雲族の象徴でもあり、八岐=八面神=鬼八ということではないかと思われます。

A氏に勧められた「妙見神社」を探して来ましたが、どうやらここのようです。

鳥居から鬼さんの方を振り返ってみたら、鬼さんのツノが1本になっていました。

こ、この道を降りるんかー。

この日は雨も降っており、伸びた雑草で足元はグジョグジョです。

それにしても、なかなかな下り宮。

石段を下り着くと、清らかな水が、勢いよく湧き出ていました。

これは「妙見神水」と呼ばれ、九州島発祥の地・祇園山の石灰岩層洞窟から湧き出ているとのことです。
故に「四億年の雫 」と呼ばれ、古くから「授乳の神水」と伝えられており、「妊婦が飲むと丈夫な子供が授かり母乳の少ない人が飲むと乳が良く出る」と伝えられています。

1日の湧水量は14,400t。

驚くべきその水量は、滝のような轟音を立てながら水路を流れる様に表れています。

この「四億年の雫」は近隣地域の生活用水として、古来より欠かせないものとなっており、本湧水を水源とした日蔭(ひぞえ)地区の水田は「日本の棚田百選」にも選定されています。

この水が湧く聖地に約1100年前の貞観11年(870年)、清和天皇時代に建立され、水神様として崇められたのが「妙見神社」です。
「奥宮の…」とあるのは、当社が祇園神社の奥宮であると言いたいのでしょうか。

祭神は情報がありませんが、祇園神社の境内社・妙見神社の祭神が「罔象女神」(みつはのめのかみ)でしたので、そうなのでしょう。
ミツハノメノカミは「弥都波能売神」「水波之女命」と書くこともあり、水波とは、水早、水走の意味で、耕地の灌漑用水を表すようです。

「冠八面大明神」は「闇龗神」(くらおかみのかみ)だと、祇園神社では説明されていましたが、鞍岡や日蔭という地名は、日が差さないような”昏き聖地”を思わせます。
いわば、”常世の聖地”とでも言いましょうか。

四億年の雫「妙見神水」は、勢いよく川となって下流に流れていきます。

これほどの豊かな水、水源は、我が国・日本の宝です。
近年はこれに手を出す外資や新興スピリチュアルもいるのだと聞いていますが、我々日本国民にとって大変な損失であることは言わずもがな、下手な思惑でそれを占有しようなどとは思わぬがよろしいかと思います。
日本の宝とは、いわば日本の神の宝。
水源を貶めて荒廃、痛い目にあった人たちは、少なくありません。
日本の神は、穏やかに見えて恐ろしいものです。



妙見神社の先に広い敷地があり、タイヤの跡もあるので、もしやと思いましたが、

あの鳥居の先に車で降りれる道もありましたYO。やれやれ。

まあせっかくの下り宮ですから、歩いて降りるのも一興だとは思います。
あの四億年の雫は、その先で五ヶ瀬川に注ぐ神なる水。
我欲なく頂けば豊かな穂を実らせ、子を育み、我欲に至れば身を滅ぼす、いと畏ろしき水なのです。

narisawa110
大分県由布市庄内町五ヶ瀬には、五ヶ瀬神社があります。祭神は「彦五瀬命 瓊々杵尊 大山祇命 御年神 大鷦鷯尊 豊玉姫 大年神 猿田彦大神 菅原道真」と何やら五ヶ瀬や鞍岡の様な、ご褒美の並びです。
平成二年の庄内町史では、古くは字桑原に鎮座していたとの事です。
その跡は一の宮と呼ばれ神塚という古跡があり、祭神の彦五瀬命が「冠を埋めた場所」という伝説が残っています。そのほかにも現鎮座地の東北に御供水と呼ばれる冷泉、腰掛石、冠石などがあり、いずれも彦五瀬命にまつわる伝説が残のこされているそうです。
そうみると冠岳って五瀬の事なんじゃないかなーと思います。
S様のお話ですと、高橋が鞍岡から追い出されたような記述になっている様です。最初は高千穂側にも高橋が居た様で、戦国期の高橋による高千穂討伐は旧領地の回復的な要素もあったのではないかと思っております。
冠稲荷は・・・違うかwwどうなんでしょうね。
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「冠を埋めた場所」なるほど。
しかしイツセは和歌山で死んだので、それとの辻褄合わせが必要ですね。
子孫がいて、イツセの名を継承したとかもあるんですかね。
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narisawa110
冠を置いたとか、埋めたというのは九州に伝わる地域伝承か、もしかしたら鬼八伝承に別の人物が何やらしたとかの記述があったりしませんですかね~。
五瀬に関しては明らかに他の兄弟とは別格で奥方の事も書かれていません。両親の話もありません。今のところもしかしたら興梠や高橋であったりするのかもと思っています。
ただし、橋本本家からすると、血統管理の観点から、私は五瀬が男系の家督をついで、五瀬の実家が橋本であった説を今のところとっています。不自然すぎます。
それゆえ、女系と一緒に五瀬の家族関係も書かれなかったような気がするのです。
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