安房口神社:八雲ニ散ル花 忌部番外篇 13.5

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千葉県館山市洲崎にある「洲崎神社」(すさきじんじゃ)の霊石”コーヒー豆”。
彼の相方に会うため、三浦半島に出かけてきました。

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神奈川県横須賀市吉井に鎮座の「安房口神社」(あわぐちじんじゃ)です。

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ここは、明神山の山頂にあたり、かつては登山して参拝していたとのことです。
今はオシャンティな住宅街になっており、この日僕は珍しく、バスでやってきました。

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当地は古代の東海道の要衝であったとされ、ヤマトタケルや北条政子もやってきたと伝えられます。

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バスから降りた途端に汗が噴き出すほどの猛暑でしたが、

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境内に入った途端ひんやりと感じ、汗がひいていきました。

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当社はマテバシイという樹木が鬱蒼と生い茂っていて、狂った気温を正しく調整していました。

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先日出かけた椎葉村は、エアコン要らずで朝は肌寒く感じるほどで、これから僕が向かう島も、ずっと28~9度くらいの気温です。
多少温暖化は進んでいても、本来の日本が残っている場所は、まだそんなもの。

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日本の都市化によるヒートアイランド現象は僕がいたいけな少年だった頃から叫ばれていましたが、木を切り倒して生態系を壊滅させるメガソーラーはそれを加速させてるよね。
僕は、規模が小さかった頃から、アレを見ると吐き気がしていた。
狂った行政、狂った政治、狂った司法。
三権分立も全て狂えば、意味がない。
奴らの目を見てみろよ、欲の闇に堕ちた、亡者の目を、

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って、コマイーヌが言っている。

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「ヌシよ、今宵はアレを喰うのぢゃな」

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さて、安房口神社を訪ねてみると、そこに社殿はありませんでした。

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古代祭祀場遺跡のような雰囲気を纏わせて、鉄柵で覆われた御神体が置かれているのみ。

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御神体の霊石を拝見したいのですが、しめ縄がなかなかジャマンヌ。
しかしなるほど、なるほど、これは面白い。

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確かに口を大きく開けた石があるのですが、その上にも、杯状穴らしき穴があります。

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どこか人間味のある、神体の全体像。
この霊石は龍宮から洲崎大明神に奉納された2つの石のひとつとされており、洲崎神社では「神石」と称されていました。

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ある時、石の一つが洲崎からピューンと当地に飛んできて、2石で東京湾の入口を守っているのだと伝えられています。
洲崎神社の神石は裂け目の様子から「吽形」とされ、安房口神社の石は口を開いていることから「阿形」とされています。

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まあ、阿吽っちゃぁ阿吽ですが、こっちが男の子で、

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こっちが女の子ですよね、どう見ても。

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しかし大きさがコンパクトで、かつ加工がされた感じもあるので、古代祭祀遺物というよりは出雲サンカあたりの祭祀物だったのではないでしょうか。

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この霊石は、役小角が置いたとも伝えられていました。

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安房口神社の祭神は「天太玉命」(あまのふとだまのみこと)で、安房神社の祭神と同じであり、洲崎神社の「天比理乃咩命」(あまのひりのめのみこと)は太玉の后とされます。
祭神と霊石の性別が逆なのは、面白い。

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安房口神社は古来、三浦一族が航海の神として信仰してきました。
鎌倉幕府も大事のある時には、当地の郡主・三浦義澄を代拝させて奉幣祈願を行ったといいます。

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境内には石碑が並んだ一角があり、

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修験や講が盛んだった痕跡を残しています。

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夏目友人講もそのひとつ。

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当地を最初に聖地に定めたのは、忌部族だったのだろうか、
そんな疑問が残ります。

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洲崎神社の祭神・天比理乃咩も、本来は「天比理刀咩」(あまのひりとめ)であり、南房総一帯の女王であったのではないかと僕は考えています。
彼女は龍宮にまつわる媛巫女だったのではないかと。

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境内の奥の方に別の鳥居があり、そこは裏参道になっているのですが、

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そこから東京湾が見えていました。

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沖に浮かぶのは、猿島か。島からは縄文時代の土器や弥生時代の土器・人骨が出土しているそうなので、サルタ島なのかもしれません。
まあしかし、潮風が心地よく、今日も天気が良いのです。

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33件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    三九郎さま

    確か、色んな部民がありますか、物部氏のみ氏族的色彩が強くなり一定の血筋をイメージする様になった原因が「解部」「刑部」の掌握にあったと記憶しています。

    その中の特にハリマタケルの関係が建部で、その中心が神戸家という事であるのであれば、邪馬台国事件の戦後処理に関して関東方面には富家が出兵、九州方面には神戸家が駆り出された可能性がある事を示すと考えられます。

    それ以外は例えば允恭天皇がグンマーにおいて物部を募集したとある様に、本当は一つの氏族を表すとは限りません。また、允恭天皇は、氏族の名前の整理を行なった人で苗字の洗い出しを行なっています。その際に出自を明らかにする書類を提出させますがその中に忌部氏はありません。

    諏訪の物部守屋神社には弓を奉納する習慣がありますが、これは母親の弓削部から来ていると考えられます。(忌部氏系とも言われますね)

    この様な動きは最近の高橋(たかはし、たかべ)勢力の考察を発展させると、忌部氏の一部の人たち、大彦系の一部が途中で独立色を強めて忌部の主流になった可能性があることを示しています。

    大彦系、つまり海部王朝系の姫はは元々大神神社の卑弥呼にもなれましたゆえ。

    出雲北山山地の東側、鼻高山に行く前、一番最初の神社は建部神社であったと記憶しています。

    なるほど、建部=神戸家ですか。勉強になりました。(そういえば富士林先生の本にも出ていましたね)

    いいね: 3人

    1. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

      すっかりこの記事ばかりコメント長くなって恐縮ですが、
      かなり重要なキーが😅

      私感では物部って名を威光として残すことに終始し
      肝心な縁者のことには表では全く触れていません。
      「九州に神門」これがうちに繋がります。
      すっかり「グンマー」になりましたね💦S媛効果

      S媛と個人的に連絡した話の中で、特殊勾玉祭祀具が類似
      していることも上げられます。お違い「えーっ」でした
      元は出雲系のものが、五ヶ瀬でも日之影でも出土。
      我が家にもう一つある別の形状の物は宇佐周辺で出土、
      点と点が今春繋がった瞬間でした。
      女子しかさわっちゃいけない大切なものです。
      久しぶりに五ヶ瀬町に行ってみたくもあり、
      S媛とは密談でしょうか😜

      富家伝承で神門に余り触れないのは個人的経験から
      よく分かるものです。出雲王朝公式記録として
      しかも敵にもならざるを得なかった者と
      内部的に一部融和や血縁まで出来ていたとしたら
      (スパイでなく純真に)

      まさに近代に父の経験していたことです。
      連合国総司令部の親日派で原爆に反対しており
      3発目投下直前で終戦に導く班でした。
      戦後処理では神道の完全破壊を断固阻止したり
      強硬派トルーマンには目の上のたんこぶでしょうね。
      戦後ソ連と如何に戦争に陥らないか
      ネゴシエーターだった父を見ると
      米国公式記録に載せられない話だらけです。

      いいね: 2人

      1. 不明 のアバター 匿名 より:

        narisawa110

        S様にグンマー教えたのは私でありますww。

        群馬での生活など、色々ブログを見ていて、会見の際に群馬県という語感にどのような印象を与えるか慎重に言葉を選んだ結果で、万人受けする用語ではないのですが、個人的には思いのほか可愛さがあると思っております。

        元々、ネットミームが語源でグンマー帝国と言うものがありました。我が長野県側に数少ない帝国への入り口があるという事で、このようなページがあります。私のヤマレコも小串鉱山を纏めています。

        ttps://news.yahoo.co.jp/articles/154358a2ef7a4d63bc7b2936de8f5038a45a79c4

        長野県側からの入り口は毛無峠といい、県道大前須坂線から、廃道になっている群馬県側への侵入を規制する看板です。意外に景色が良いのです。かつては架空策動で高山村まで硫黄が運ばれ、長電で各地に運ばれておりました。

        今ではなくなってしまいましたが「あちゃ、ダンベの境界」という国境的な看板も隣にありました。

        話を戻しますとwwww

        子持ち勾玉は長野県からも出土しておりまして、S様にも報告しましたが、長野県の将軍塚古墳のある篠ノ井(勾玉作りの拠点もありました)の「玉依比売命神社」の社宝にもなっている物があります(大神神社)。大彦が亡くなったと伝承される布施神社もこの周辺です

        同名の神社は他に無く、諏方祭祀に上書きされていますが、境内の隣地には「宗像社」があります。

        近くの中野市では日本で唯一、銅戈と銅鐸が一緒に出土した遺跡があります。

        今では我が長野県は高橋、大彦、に加え、物部、郷戸の一大拠点ではないかと思うわけです。

        PS

        S様のご自宅では、お庭から普通に勾玉がザクザク出たそうです。今からでも掘りに行きたいwwww

        いいね: 2人

        1. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

          (;゚゚)なんと、グンマーを教えられたのはnari様だったのですか😂
          S媛はそういうネタ大好きだからすっかり自分のものにされてますねw
          毛無峠は美しいとは聞いております。

          あれっ?玉依比賣命神社って松代以外に篠ノ井市にもあるのですか。
          篠ノ井から近いとは言えますが松代出身の友人と知り合い
          当時まだ上野から国鉄屋代駅から長電湯田中まで直通の急行があり
          「妙高・志賀」号に乗って松代まで会いに行きました。
          40年も前の話です😅その頃から数回参っております。
          ダブルたまちゃんはうちの2媛依代でありますゆえ

          布制神社ではなく西側の古墳の布施神社ですね
          こちらは6年ほど前に参りました。

          ますます沼にハマりそうです。長野県も

          いいね: 2人

          1. 不明 のアバター 匿名 より:

            narisawa110

            >松代以外に篠ノ井市

            松代であっています。

            あのあたり、北信の人はテキトーに一緒くたに説明する事があります。私須坂市民でしてw

            玉依比賣命神社の名前の付く神社は日本に一つだけですもんね。

            いいね: 2人

    2. 三九郎 のアバター 三九郎 より:

      narisawa さま

      そういえば、智伊神社の神紋って、龍鱗枠に「弓」ですよね。

      弓削部と関係あるのでしょうか?

      いいね: 2人

      1. 不明 のアバター 匿名 より:

        narisawa110

        一般呼称だと「二重亀甲に弓」ですよね。実は、「松玄子さんのHP」でも早速に参照しましたが、理由は分からない様です。多聞院が旧社地との事でここも調べてみたほうが良いかもしれません。

        私も含め、稚拙に結び付けるのであれば、弓削部(弓を作る部民)ですが、大社関連の神社は、中身よりも龍鱗枠の方が重要と思われます。

        「大社の鍵」をとの事でしたので、郷戸家の分家の別火家に近い神社とは思います。(ちなみに別火家は日本に一件しかない名前だったかと)

        関連があるかは不明ですが、確か招魂社の奥の道を行くと確か3つの石の祠がありまして(旧遷座地か、遷宮の際の仮の宮?)があり、そのひとつに「龍鱗枠に大」の刻印がなされています。

        弓の旧字体は「」です。この字が変遷を経て最終的に弥彦の「弥」になることは興味深い点と思っています。

        弓が神になると「刀禰」の禰になります。

        弖になると、「テ」となりますが、よく見るとこの智伊神社弓の字、少し意味がいじってあるのかもしれないと思います。厳密にはどの書体にも当てはまらない字になっていると思いまます。

        いいね: 3人

    3. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

      三九郎様、巨大爆弾を投下されました😅 そこ解明できたらビンゴゲームダブルリーチなんです
      ジグソーなら殆ど埋まった状態。残念ながら我が家の伝承では弓削家のことが出ていません。
      ・・仲悪かったのかなぁ😂 物部系クセ強ですからね。 
      弓の字の紋、弓削なのか? だとしたら壮大なクエストになります!

      弓削家が豊から豊玉姫を勧進していたら? 智伊神社に豊玉姫の痕跡があリ
      なぜ、物部とはいえ単一弓削家の千葉県いすみ市中原の玉崎神社は御祭神が豊玉姫か。
      弓削家が代々守ってきた神社と、豊玉姫の特別な関係。
      ここにリーチが掛かる可能性があります。

      物部・都万・宇佐連合には弓削家も入っていた可能性になります。

      いいね: 2人

      1. 三九郎 のアバター 三九郎 より:

        さら~と、やっちゃいました!?😅

        いいね: 2人

      2. 不明 のアバター 匿名 より:

        narisawa110

        先生も爆弾をwww

        >残念ながら我が家の伝承では弓削家・・

        つまり、石見国の物部家は、守屋(母方が弓削氏)とは無関係という・・

        トオチネ~守屋以前に分化したと考えるよりは、もう少し後年に九州から母系を辿って戻ってきた物部氏の様が気がしてきましたね。

        増々、解釈としてはウマシマジは役職化するわけですね。

        蘇我王朝が始まった時には出雲地域は古墳含め色々テコ入れされたと考えられますが、いったい誰(郷戸家)が協力スポンサーで物部神社を建てたのか、うーむw

        いいね: 2人

        1. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

          非常に難しいもので.. 物部神社創建から関わっていたとは思い難いく
          (継体期からならこちらに残ってるはずです)金子にしても諏訪に多くおられる金子氏とは
          接点が書かれていません、時代が違うのは間違いありません。
          九州から母系をたどるとしたら、うちに繋がる線があったのにまた別のラインなのも時期の差かもしれません。
          物部都万豊の東征失敗組の一部が現在も宮崎県内に子孫がおられ、中には金子姓の方が高千穂町にお住いなため「ご親戚?」と訊かれるのの慣れました😂

          いいね: 2人

          1. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

            物部神社創建から関わっていたとは思い難く >弓削氏のことです
            >いったい誰(郷戸家)が協力スポンサーで物部神社を建てたのか
            西出雲王家スポンサードとしか思えません😅 金も出せば口も出す
            そこへ来て物部男衆が 「神ごとさっぱりわからんし怖いしw」といえば

            いいね: 2人

          2. 不明 のアバター 匿名 より:

            narisawa110

            >物部都万豊の東征失敗組

            うおおおおおwww

            実はですね、鬼八伝説で自分の勝手な妄想があるのですが。(第一次か二次かはこの際問わず)

            二上山の東方、現在の高千穂には五瀬の兄弟がおりました。このお方は叫びながら海に消えますが、他の伝承では五ヶ瀬か千穂に戻ってきており鬼八を倒したと伝承があるんでしたっけ。

            「他の一族が居なくなり」留守になった場所に戻ってきて、覇権を掌握したともとれるわけです。

            ただ、宮崎県名字ランキングで今調べました

            ttps://myoji-yurai.net/prefectureRanking.htm?pref=45

            302位 金子様 610人

            262位 弓削様 740人

            何と弓削様が宮崎県にいらっしゃいましたwwwwwリーチかもしれませんww

            トータルのランクとしては低いと感じるかもしれませんが、興梠さん橋本さんが約2200人ずつなので、比率としては大きい可能性があります。

            いいね: 2人

  2. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    ここでも九州行って国造神社の高橋神を見ると、一周廻った感が出てきますね。本日早くに起きてしまったので「高橋神社」「磐鹿六鴈ムツカリ」を調べておりました。
    まずは「高橋神社」で調べました。関連するのは「高家神社(千葉)高崎神社(栃木)、高橋神社(和歌山、奈良、熊本)」「高橋稲荷神社」→全てムツカリ(高橋氏文、日本書紀のみで古事記には出ない)が居ます。
    少し脱線しますが「高倍神(高部神)」も関連だそうで、→諏方の高部が大彦・安部の可能性が出てきます。つまり、事代主の伊豆建国に出てくる安倍系が諏方祭祀に関わったとされる話にもしかしたら高部家が突破口になる可能性があります。

    これを出雲伝承を軸に考えてみました。

    まず、千葉の先端ですが、律令国、淡路です。(東海道淡路国は、南海道淡路国の後とされます。)何と淡路も連れてきていました。淡島、淡路、出雲の淡島の語源は、やっぱり銅鐸祭祀の一族と関係しているとしか思えません。和歌山45個見る銅鐸、四国45個のうち半分が見る銅鐸。阿府史よりかつては阿閉臣が住んでいたとの記述とも合います。また四国の会津姫はほぼ全て村雲とセットで祀られます。阿波の地域は後年に安倍系が盛り返したと判断できます。

    忌部氏系図では千葉宿祢が早くに系図に出てくるので、私の私見としては後年に阿波と安房が入れ替わっていてどちらが先であったかが分からないとしましたが、セットの淡路からすると、やはり千葉の方が後になり、移動は銅鐸を捨てた後の可能性が高いと思う様になりました。(物部政権下=古墳時代→銅鐸を捨てて出雲兵と共に関東で豊国を追い払う)
    つまり、四国の歴史は弥生期以降は、南部四国剣山を流域とする土佐物部(物部川流域に星神社、聖神社が特徴的に多い)と、四国東部の安部、後年の四国北部吉備国の歴史となると思います。

    高橋家は、稲荷山鉄剣、日本書紀や高橋氏文からすると、膳氏(後に部民姓で膳大伴部)となっている事から、先生の調べた安房神社の古い系図の社家が本来は忌部ではなく、膳氏(大彦系)であるという事と一致します。北陸の膳氏は、国造時代なので、ほぼ同時期か、もしかしたら北陸の方が後年に膳氏を名乗った可能性すらあります。

    景行期に高橋氏の元になった出来事が起きたとすれば、景行天応は関東に行かずだったので、「安部の高橋化は九州で起きている事を考えなければならない」事になります。そして磐鹿六鴈からも、磐井の乱の磐井姓に無理なく繋がります。つまり阿波と安房が入れ替わっていて、どちらが先であったかが分からないというのは日本書紀の方だったのかもしれません。

    国造神社は九州にのみあるんでしたっけ。トベの男性版がトネで、タケミナトネの利根でありますから、九州の利根川と関東の利根川と言う関係からも、九州と四国、関東の関係がまるで韻を踏むように重なる気がします。

    そして、大彦の出自ですが、当初はクニクルの皇子でしたが、現在の「出雲と天皇政権」では、フトニやクニクルの代の並立した豪族ともとれるように書かれていますので、カツラギ国磯城家(尾張海部)なのか、出雲系なのか分からない状態になっていると思います。

    大彦、富彦は、もしかしたら天富命だったりしてwww
    この設定なら、四国において忌部氏(大彦系)が、習合していた物部のフリをしたという事とも寄せることが出来る気がします
    忌部氏系図も途中で二つの系図が一つに合わさりますよね。

    出雲伝承を素直に受け取るのであれば、「私は当初は大彦を出雲系と表現した富編集長は、単に富家を大きく表現しているのかも」と思っていましたが、本当に出雲系だったりするのかもとちょびっとだけ思い始めています。

    いいね: 2人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      安部の高橋化は九州で起きている
      なるほど、そうかもしれないですね。
      磐井は九州にいましたからね。

      なるほど、それで利根川神社なのですね。
      椎葉は五ヶ瀬川の源流に近く、耳川も流れています。

      富家もそうですが、神門家、多氏が絡んでいるのではないでしょうか、大彦は。

      いいね: 1人

      1. 不明 のアバター 匿名 より:

        narisawa110

        正直に書きますと、出雲伝承は神門家に配慮して、神門家側として書かれるべき内容は極力触れない方針でまとめているとしか思えない節を感じます。

        いいね: 2人

        1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

          確かに、そんな印象を受けた事がありました。

          いいね: 1人

          1. 不明 のアバター 匿名 より:

            narisawa110

            神門臣大滝が安房の・・でしたね。

            後に海部化して大伴になったと。つまり、四国における神門臣の海部化は、高橋化の事かもしれません。

            そうすると、古い古式銅鐸のことまで「宇宙人高橋さん」で説明がつくことになります。

            いいね: 2人

          2. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

            「宇宙人高橋さん」説😁

            いいね: 1人

          3. 不明 のアバター 匿名 より:

            narisawa110

            大元出版の本では、元々母系尊重の事が書かれておりました。その点において確かに今まで考察から放置したままになっていたことを九州に行ってみて痛感しました。

            そういった意味に置きますと、我が国の歴史は「男系物部+神門家」と、「男系物部+富家」の争いの歴史ともとれますよね。

            一地方においては手を握り、他の側面では見えないところで足をゲシゲシ蹴りあってたような気もしますので、本当は富編集長はもっと自由に書きたかった側面があるような気がしてなりません。

            奈良のヤマトの葛城国の分裂は、二つの出雲族の流入が後に深刻な分裂を招き、男系本家から王権証人の銅剣を渡してもらえなくなったので、最終的に困った物部氏が打開策の為に九州勢を呼び込んだという可能性も、「もう一つの家の側からすれば」十分に主張出来ると思います。そういう歴史を持ってる旧家があっても全く不思議でない気がしてきました。

            いいね: 2人

          4. 不明 のアバター 匿名 より:

            narisawa110

            五条先生・・・朝から目が驚いたエネルやトニーたけざきさんの漫画👀状態なんですが。

            もしかしたら五条先生は直接お会いになった際に聞かれてたかもしれませんが、KANEKO先生がゼロ距離からサラッと大暴露をww

            やっぱり松江と同じ様に物部氏は神戸家とのところで色々落とし所があったのですね。

            三瓶山の事とか書かれてましたので、そうなのかなーとか妄想は確かにありましたが、私はちゃんと教えて頂いたのは今回初めてなんですがwww

            果たして、豊彦系(菟上王、八網田)なのか、浅倉系なのか、トオチネ系なのか、二田物部(越智)なのか

            富編集長の動きは確かに不自然なところはあります。ヒボコの子孫や和歌山の橋本家、奈良の墨坂社にまで出向いて太田家にまで声をかけようとしているのに、富神社の花田さんのお姉様の春日さん(神戸家の親戚)にも、大仙の宮司家にも、また、鼻高山の神戸家、そして太田の物部神社にもきちんと焦点を当てた形跡が見られない様な気がします。

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          5. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

            これは予言なのですが、ナリ氏はきっと千葉いすみ市方面にも、宇宙人高橋になりに行くと良いと思われ。

            神門家に触れるのは禁忌なんかね🤔

            いいね: 1人

          6. 三九郎 のアバター 三九郎 より:

            大元出版『サルタ彦大神と竜』p94に、物部家と郷戸家の関係にかんして…..

            「八耳の命」から数えて、六代目が八束水臣津だった。このお方は、神門臣家の人だった。その家の宮は、斐川町神庭にあった。

            神門臣家は景行大王の次男と友好関係にあったので、その神庭に物部小碓命の名前を付けた。そこが「武部」(健部)となり、その地に神門臣分家・健部臣家が奈良時代まで続けて住んだことが、出雲国風土記に、書かれている。

            ……と、書かれていますね。もう絶版なので、持っていらっしゃらない方の知識底上げのために共有しておきます。

            僕も、ネットで検索したりしながら、会話の内容にしがみついてます。

            「磐鹿六雁」については、先祖が関わってくるかもしれないので、ぜひ知りたい。

            いいね: 2人

          7. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

            谷戸先生の情報は貴重なのです😌

            いいね: 1人

        2. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

          横からすみません🙇‍♂️ すぎゅーんと撃たれた気分です。そうなんです..
          神門の問題が未消化でして… 神門家の血を引いている者でも謎だらけなのです。
          そして最近あちこちで多氏と越智氏が絡んできて包囲されています(/–)/

          いいね: 1人

          1. 不明 のアバター 匿名 より:

            narisawa110

            ついさきほどまでヤマレコの情報を仕上げておりました。「高橋の違い鷹の羽紋」に関しての情報を調べて追加。忌部川田と橋本氏の繋がりはやはり強そうです。

            それなんですけどね、ちょうど今さっき、記憶の整理の為に高橋系の神社で、五条先生の他の神社を検索してたら「高家(たかべ)神社」が再浮上しまして

            そこにはB女子さんの説が。

            ムツカリ(高橋)=神門臣大滝(これに母系の判断が加われば解釈が盤石に?)

            が出ていましてww方々でシンクロ率が高まってるようでございます。

            この説を採用するのであれば、松江の玉造りエリアに前方後方墳がある事の説明になる気もします。

            九州に行ってみて宇宙人になって良かったwww正に神の御慈悲と思わされました。

            いいね: 2人

          2. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

            誰が神門家のことを隠しているのか、本人たちか、あるいは・・・

            いいね: 1人

          3. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

            男系物部+(神門巫女嫁)がうちなわけですが、大した時期を経ないうちに更に複雑化し、某政党の派閥のごとく個人レベルで動いていた面もありますね。 東王朝からの后を入れている者も身近であったり..

            >手を握り、他の側面では見えないところで足をゲシゲシ
            まさにここが物部の厄介な所だと思います😑

            いいね: 1人

          4. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

            むしろ()の方が重要ですね😌

            いいね: 1人

          5. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

            あれ😅あれ😅 大暴露でしたっけ(自覚なし)
            ブログも始めてから結構際どい事書いたりしていまして、
            どなたにどこまで・・が欠如気味です。

            もうその通りで、佐毘売山が信仰の拠点ですし
            金子家という名前はあと付けとは言え、
            出雲・石見国境とされる波根(端根)の生まれで
            今もJR波根駅前には直接の親戚ではありませんが
            金子旅館さんがあったり😂名前は海沿いに残っています。
            ただ、大田市全体で見ると大した人数ではないのが面白いです。
            むしろ大田中心より静間・五十猛・仁摩・琴ヶ浜のある馬路
            辺りの人?と訊かれます。 

            神門と言えば智伊神社絡みで都万豊連合の痕跡やらほじくると
            収拾がつかなくなりますのでひとまず🙇‍♂️

            いいね: 1人

          6. 不明 のアバター 匿名 より:

            narisawa110

            →都万豊連合

            wwwwwもはやお手配で喋らされてるとしかwww

            二上大明神参拝をお勧めいたします。きっと更にナニかが起きてくださる事でしょうww

            いいね: 2人

  3. Nekonekoneko のアバター Nekonekoneko より:

    🐥にゃんこ先生〜〜‼️

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      にゃんぱらり🐱

      いいね: 1人

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