月波神社にて:上州逢引物語⑧

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人皇二十七代安閑天皇の、元年甲寅三月十五日創祀と言う。上野国神名帳所載の古社で、従四位下月波明神とあるのはこれである。古く来留末の里、延喜式上野九牧のうちの治尾牧の古称のある治尾の清水の源泉地で、車川の岸辺である善地の中央の丘に鎮座する。 榛名山の山裾開けて、小平野をなす一帯で、この治尾の牧は即ち榛尾野で上毛君豊城入彦命の後裔の後、車持君の領治せられた関係は、やがて群馬の起源を物語るものであって、昔上毛野に仕えた群馬勢の内、善知の姓を給った某が、社辺に住んでいた。 其の後延暦年間、坂上田村麻呂に従って京都に上った後、此の地の住民其の姓氏を堕さず善地と号した。明治四十二年、神饌幣帛料供進の指定村社となった。

『月波神社 箕郷町誌由緒』

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群馬県高崎市箕郷町、のどかな山村の一角に、「月波神社」(つきなみじんじゃ)があります。

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ここを鈴さんが訪れたことは無いかもしれませんが、橋本と関係があるのかも、と思い参拝しました。

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当地は古来「榛名神社」(はるなじんじゃ)の参道にあたり、同社の月並(月次)祭に遥拝し、この社名になったと考えられています。

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位置的にはこのようになります。
なるほど、うっすら参道の道が見えてこなくもありませんが、なかなか険しそうな道です。

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足元の花に心癒される、中年のお年頃。

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月波神社の参道は梅林になっていて、とても心地よいです。

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まだ日中は暑さを感じますが、木花は秋の訪れを知らせてくれました。

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で、なかなか神社が見えてこないなーと思っていたら、

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道を挟んだところに隠されていました。

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ちょっとわきに行くと、ヒエ~っ!こんな道、軽自動車でも無理だよ~。
グンマー恐るべし。

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月波神社の階段こんなだからね、

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だいぶ寂れちゃっているのでしょうか。

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由緒によれば、八世紀末に当神社の近くに住んでいた車持君の子「風の三郎」が、国司の交代の時の勘解由使に任じられ、当社の前身である車持神社を建てたとあります。

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風の三郎は、坂上田村麻呂の蝦夷討伐のとき上野勢の総帥として功をあげ、恩賞として「善知」の姓を受けました。
この三郎の徳を慕って、村民はこの地を「善地」(ぜんじ)と呼ぶようになったと云われています。

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この風の三郎なる人物は「車持氏」(くるまもちうじ)の子であると、『月波神社 箕郷町誌由緒』に記されます。
車持氏は『新撰姓氏録』によると、上毛野朝臣と同じ祖先であり、豊城入彦命の8世の子孫、射狭君の末裔で、雄略天皇の時に乗與を供進したことから、「車持公」の氏姓を賜ったとあります。
車持・風三郎は豊彦の子孫なのです。

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当鎮座地は古く”来留末”(くるま)の里と呼ばれ、治尾牧の古称のある治尾の清水の源泉地で、車川の岸辺である善地の中央の丘となっています。

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群馬県史通史編2』によれば、「群馬郡」は七世紀末までは「車評」(くるまこおり)と書き表されており、和銅六年(713年)五月甲子に出された制によって「車」から「群馬」に改められたものとみられる、とあります。
そして、10世紀頃に作成された『和名類聚抄』(わみょうるいじゅうしょう)」によると、「群馬」は「久留末」(くるま)と呼ばれていたとのこと。

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つまり、群馬の名の由来は豊彦の子孫「車持氏」に関係があり、車は「久留末」とも表記されていたということです。
久留末は福岡の「久留米」によく似ており、さらには”久米氏”にも通じるのかもしれません。
『日本書紀』には、履中天皇5年(推定404年)10月、天皇が急死した皇妃葛城黒媛を埋葬した際に、神の祟りで妃を失ったことを悔やみ、その原因を探ったところ、車持君が筑紫国で調査した車持部をほしいままに検校し、さらに宗像神社に割き充てられていた車持部も奪い取ったことが発覚した。天皇は、この2つの罪状で車持君を糾弾し、摂津国長渚崎(現在の兵庫県尼崎市長洲あたり)で供え物と禊ぎをさせ、「今後、筑紫の車持部を管掌してはならない」とされた、という記事が記されています。

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また、車持国子の娘「車持与志古娘」は中臣鎌足に嫁ぎ、不比等を産んだという話も伝えられます。
車持氏は歴史に、大いなる影響力を持っていたのかもしれません。

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八世紀末に当地に住んでいたという「風の三郎」ですが、この名で思い浮かぶのは、長野県の伊那郡・大草黒牛に鎮座の「風三郎神社」(かぜのさぶろうじんじゃ)です。
nari氏お気に入りというこの神社では、「風三郎大神」としてシナツヒコとシナトベ(シナツヒメ)が祀られていました。
nariさんによれば、シナツヒコは伊勢津彦と同じ神であるとも考えられているようです。

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当、月波神社の祭神は大山津見神とされています。この神はクナト王なのでしょうか。
風三郎=シナツヒコ・伊勢津彦との関連が気になります。

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月波神社は彫刻も素晴らしいのですが、特に拝殿で一番目につくのが ”鶴”の彫刻。
鶴はアシュラさんによれば、蒲池族の裏神紋なのだとか。

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このように何かと九州との絡みが見えてくる当社ですが、B氏によれば、

「筑波が月波の意味だと考えていて、筑波神は諏訪神と高千穂の豊姫という高良大社の伝承。
筑波山の北側には、神門系の新治國造がいた新治郡。新治郡月郷、新治郡から分割された真壁郡の月波郷。月波郷は、筑波村と呼ばれたそうだ」

とのこと。

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実は鈴さんの遺骨が埋葬されることになるお寺の近くに、「強戸」と書いて「ごうど」と呼ばれる地名があります。
佐織さんの父方の曾祖母さんが、この強戸の出身なのだとか。
伊勢津彦はホヒ家に系図を書き換えた、神門家の人。
群馬は豊彦王国ではありますが、その影には九州系神門家の存在があるのかもしれません。

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この月波神社は、群馬発祥の地なのか。
群馬⇦久留末⇦久留米という流れも、あながちと言ったところです。

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本殿左側に、境内社がいくつかありました。
『国内神名帳』の1つである『上野国神名帳』に「車持明神」「車持若御子明神」の名が見えますが、これらのどれかが、その社だといわれています。

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本殿右側にも、境内社が一つと石碑のようなものがあります。

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境内にある石の塔が由緒にあった「十三重の塔」でしょうか。
五重塔にしか見えませんが、上部の縞々も重に加えるのか。

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初詣の時にこの小さな穴に米粒が入るとご利益があるそうですが、ノーコンの僕には、入る気がしないのでした。

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6件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    読み仮名が高橋=高崎で、思い出した事がありまして。

    更に九州にも高崎がないか調べてみました。時々大嘘をつくAIですがこんなのが出てきました。
    九州に「高崎」という地名が存在します。宮崎県都城市には「高崎町」があり、この町名には、高天原が転訛して「高原」となり、祭事や皇居の地を「崎」と呼んだことから「高崎」になったという伝承があります

    高橋氏=高天原一族ww

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      なるほど、高崎町の北に高原町までありますな。

      いいね: 1人

      1. 不明 のアバター 匿名 より:

        narisawa110

        なぜか肝心な処がコピーされませんでした。

        →高崎地名 語源(宮崎県の旧高崎町)

        高崎地名の語源は、天上界の神々が常駐する高天原(たかまがはら)が転訛して高原となり、祭事や居住される皇居の地を「崎」と呼ぶことから高崎になったと伝えられています。また、高崎川の最下流に架かる地点が高崎地名の由来とも考えられているそうです。

        いいね: 2人

    2. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

      🤔東霧島神社から霧島岑神社にかけてのエリアですね。高千穂峰を擁する…

      いいね: 1人

  2. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    善地とくれば長野県民は善地鳥(峠)、そして立山になります。青森県、長野、立山と、群馬も関係ありそうなんですね。

    そして、立山の雄山神社と多賀神社は、神紋が違い鷹の羽になっており、阿蘇、四国の種穂神社、そして群馬のTとK家と同じ。山岳信仰時期からではないかと思います。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      長野にも善地がありましたか。
      違い鷹の羽も原点は何処なのか。阿蘇ではないのかもしれません。

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