
前回はMA☆SA☆KAの島前内航船「フェリーどうぜん」が、超絶妙なタイミングでのドック入りで運休となり、騒然となったわけですが、今回は無事乗ることができました。

無事に乗れてしまえば、この島前内航船というのはとても便利で、1時間に数便運行されていて、各島へ片道¥300、車を乗っけても¥1,000とリーズナブルなのです。
1日何回でも乗れる周遊券もあります。

今回の隠岐諸島・島前の旅は、前回周りそこねた”忘れ物を見つける旅”。
隠岐諸島・島後で縁あってお会いした、『隠岐島前・島後神社Map』の制作にも携われ、「隠岐ユネスコ世界ジオパーク」の認定に一役買われたN氏からも情報をいただき、完遂すべく再び島前にやって来たのでした。

中ノ島の海士町大字福井、集落の外れに鎮座する「宮田神社」(みやたじんじゃ)も、そんな神社のひとつ。

ここ、気になっていたんだよねー。

「美食ヲ求メシ猛者ヨ、ツイニキタノダナ、ソノ時ガ」

当社創建は不詳ですが、元禄16年(1703年)の『島前村々神名記』には「十二所権現熊野十二社」とあり、宝暦7年(1757年)の『両島神社書上帳』、天保4年(1833年)の『隠州風土記』にも、いづれも同様に記載されているとのことです。
つまり江戸時代中期から後期にかけては、当社は熊野信仰の聖地であったということです。

しかし慶長年間に本拠地であった建興寺が中ノ島南部の崎村に移転したので、これを期に一新されたと考えられています。
そしてその祭神が、いわゆる「神世七代」(かみのよななよ)の全ての神となっていました。
神世七代の神とは、日本創世神話の「天地開闢」(てんちかいびゃく)後半に登場する神々のことです。

「いにしえに天地未だ剖(わか)れず、陰陽分れざりしとき……」
世界の最初に、高天原に相次いで三柱の神「天之御中主神」(あめのみなかぬしのかみ)、「高御産巣日神」(たかみむすひのかみ)、「神産巣日神」(かみむすひのかみ)が生まれました。
この三柱の神を「造化の三神」といいます。
続いて、二柱の神「宇摩志阿斯訶備比古遅神」(うましあしかびひこぢのかみ)、「天之常立神」(あめのとこたちのかみ)が生まれした。
以上の五柱の神は性別はなく、独身のまま子どもを生まず身を隠してしまい、これ以降表だって神話には登場しませんが、根元的な影響力を持つ特別な神であるといいます。
そのため「別天津神」(ことあまつかみ)と呼ばれます。

次に、二柱の神「国之常立神」(くにのとこたちのかみ)と「豊雲野神」(とよくもののかみ)が生まれました。
この神々も性別はなく、これ以降、神話には登場しません。
引き続いて五組十柱の神々が生まれますが、五組の神々はそれぞれ男女の対の神々となっています。
その神は
「宇比地邇神」(うひぢにのかみ♂)/「須比智邇神」(すひぢにのかみ♀)
「角杙神」(つのぐひのかみ♂)/「活杙神」(いくぐひのかみ♀)
「意富斗能地神」(おほとのじのかみ♂)/「大斗乃弁神」(おほとのべのかみ♀)
「於母陀流神」(おもだるのかみ♂)/「阿夜訶志古泥神」(あやかしこねのかみ♀)
そして、
「伊邪那岐神」(いざなぎのかみ♂)/「伊邪那美神」(いざなみのかみ♀)
です。
以上の七組十二柱を総称して神世七代と呼ばれます。

『古事記』と『日本書紀』で若干の違いはあるものの、だいたいこんな感じです。

宮田神社が熊野十二神から、なぜ神世七代の十二神に祀り変えたのか、たまたま数がちょうど良かったからなのか、それとも熊野信仰が来る前の形に戻ったのか、興味深いところです。


narisawa110
ホントかなあ〜。阿と麻が平安時代に同じだったかどうかを調べてみました。回答は以下の通り
平安時代において、「阿」と「麻」は音感(音韻)として、いずれも「あ(a)」の音を表す万葉仮名として、同じ音韻体系の中でほぼ同じように使用されていた。
万葉仮名は漢字の意味を無視して音(読み)を借りた表記であり、「阿」も「麻」も「あ」という頭子音のない母音音節を表す文字であった。
ウマシマジさん宇摩志阿斯さん宇摩志麻斯さん〜。
確か出雲伝承ではカミムスビは、神魂神=出雲族をさしてましたよね。設定的には同時期に物部氏が出ていてもおかしくは無いと思うわけであります。
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宇摩志阿斯訶備比古遅神、気になりますよね〜。
あと意富斗能地神とか。
人麿は天地開闢に、何を詰め込んだんでしょうかね😌
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