「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」
ー 小野小町 『古今集』 ー
小野小町は平安時代前期9世紀頃の女流歌人と伝わり、六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人として今に知られる人物です。
彼女は絶世の美女として数々の逸話が伝えられますが、生没年不詳、その生涯自体が謎とされています。
一説には、地獄へ行き来したと云われる「小野篁」(おののたかむら)の息子「小野良真」の娘とされており、また出雲王家の子孫の「富家」では、記紀の編纂に携わった「柿本人麿」とのつながりを示唆していました。
とにかく何もかもが謎の女性なのですが、秋田県湯沢市に、小野小町の伝承地があるというので訪ねてみました。
最初に目についた、小野小町の伝承を示す看板の先にあったのが「向野寺」です。
ここには小野小町の、晩年の自作とされる木像が安置されているのだそうです。
当地の伝承では、小野小町はここで生まれ、京に行った後再び戻り、当地で亡くなったと伝えられます。
小野小町は、湯沢で、小野良実と大町子が出会い、生まれました。
幼少期の名は「比古姫」と呼ばれたそうです。
田んぼの中にポツンとある遺跡、ここは小野小町が産湯に使ったとされる井戸「桐木田の井戸」です。
田んぼの持ち主に不幸が続き、神託を受けると何か埋まっていると言われ、掘ったら出て来たと云います。
そのすぐ近くにも似たような遺跡があり、こちらは小町の母「大町子」の墓地または墓碑と伝えられています。
「姥子石」(ばっこいし)と伝えられる遺跡、
見れば石がいくつかあり、どれが姥子石かわかりません。
梵字が彫られている石もあるのだとか。
湯沢の「熊野神社」は小町の父「小野良実」が建立した神社と云われています。
かつては小町が幼少の頃より詠んだ歌を収めた和歌堂もあったそうです。
しかし最上義光と小野寺氏の戦いの中で焼けてしまったのだそうです。
参道には愛嬌のある狛犬。
小さいながらも立派な社殿です。
簡素で小さめな本殿が鎮座していました。
天長二年(825年)、比古姫16歳の時に宮中に仕え、そこで「小野小町」と呼ばれるようになります。
やがて小町36歳の頃、故郷が恋しくなり当地に帰って来ました。
その小野小町を忘れられず、追って来た男がいました。
名を「深草少将」と言いました。
深草少将は小町に恋文を送り、小町はその返事に歌を送りました。
「忘れずの 元の情の 千尋なる 深き思ひを 海にたとへむ」
その返事をもらった場所が「御返事橋」(おっぺぢはし)と呼ばれていました。
返歌をもらって嬉しさ爆発の深草少将は、さっそく小町に面会を求めました。
しかし小町から返された言葉はこのようなものでした。
「あなたが本当に心から、私を想ってくださるのなら、これから毎晩一株ずつ、芍薬を私の庭に植えてください。芍薬が百本になった時、あなたの想いに応えましょう」
なんと美人を鼻にかけた高飛車な女なのか!
と思いましたが、実は、小町はその時、疱瘡を患っていたのだと云います。
深草少将が百夜通ってくれる間に、顔を綺麗に治したいという、なんとも健気な乙女心だったのです。
そして深草少将が、せっせと百夜通い続ける間、小町が疱瘡が治るようにと通ったのが「磯前神社」(いそざきじんじゃ)です。
当社には、顔を洗うと疱瘡が治ると云われた泉がありました。
この泉は「小町泉」あるいは「小町姿見の池」と呼ばれましたが、残念ながら、今はその面影もありません。
さて、いよいよ百日目の夜、少将が訪れるのを待っていた小町の元に、悲しい知らせが届きました。
ここ数日の大雨でが川が増水し、深草少将は橋もろとも流されてしまったのです。
小野小町は、自分の我儘が少将を殺してしまったと、嘆き悲しみました。
小町は深草少将の亡骸を「二つ森」に葬り、供養のための板碑を長鮮寺に建立しました。
その長鮮寺は無くなってしまったので、今は板碑を、この「桐善寺」に移したと云います。
深草少将が九十九本の芍薬を植えたと伝わる場所が、残されていました。
「小町堂」です。
小町堂は「芍薬塚」とも呼ばれています。
今は真新しい御堂が建つだけで、芍薬のその姿もありません。
毎晩芍薬を植えに通う深草少将の姿を見て、小町は次の歌を詠いました。
「かすみたつ 野をなつかしみ 春駒の 荒れても君が 見え渡るかな」
また少将がなくなった後は、彼を想って、風になびく九十九本の芍薬に、九十九首の歌を詠じました。
「実植して 九十九本(つくもつくも)の あなうらに 法実(のりみ)歌のみ たへな芍薬」
その後小町は、ひっそりと人前から、姿を消したのでした。
傷心の小野小町は世を儚み、死ぬまで「岩屋堂」で過ごしたと云います。
「二つ滝」は小町が水浴びをしたと伝わる滝です。
「岩屋堂」があるというので訪ねてみましたが、車を停めてみたものの、この景色、嫌な予感しかしません。
10分ほどで着きますと案内板に記されていましたが、やっぱり山です、登山です。
ひいひい登っていくと、何か見えて来ました。
どうもこれが「岩屋堂」のようです。
岩屋堂とは「岩屋洞」とも書かれるそうで、そんなん早く言ってよって感じで山の中の洞窟に到着です。
しかしあの赤い柱は何の意味があるのでしょう。
演出?
小野小町は晩年、死ぬまでこの山の中の洞窟で暮らしたと云うのです。
老婆がこんなところで一人で暮らしていけるのだろうか。
実際は麓の小野寺で過ごしていたのではなかろうかという説もあるようで、そちらの方が現実的です。
小町はここで、木仏を作ったそうで、それが「向野寺」に祀られているようです。
洞窟の中はとても寂しげ。
ぽつんと小町の像が祀られていました。
小町は深草少将の死から俗世を去り、岩屋堂で一人余生を過ごしました。
そして九十二歳でその生涯を閉じます。
小町を憐れんだ里人は、その亡骸を深草少将が眠る二ツ森に葬ったと云います。
桜の花の色は、むなしく衰え色あせてしまった。
春の長雨が降っている間に、
ちょうど私の美貌が衰えたように、恋や世間のもろもろのことに思い悩んでいるうちに。