宇田姫神社:八雲ニ散ル花 アララギ遺文篇 番外

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今を去ること千数十年の昔、延喜17年(917年)の頃、藤原仲平が天皇の命令を受け、九州筑前国太宰府に安楽寺を建立するために下向し、豊後国緒方庄館をかまえた。
その頃、緒方庄宇田の里に塩田大太夫といふ歴代同名を称する富豪が住んでおり、仲平は大太夫の女を側女として一人の女の子ができた。
その女の子の名前は「華ノ本」(はなのもと)と名づけられて、成長するにつれて絶世の美人となり、余り美しいので里の人々は「宇田姫」と呼んだ。

近郷近在の若者達が、この天女の如き姫に何かの機会にふれようとしたが、寄り付くことができなかった。
ところがその頃、この娘の心を強く引きつけ、娘をして瞬時も忘れさせることのできない若者が現れ、夜な夜な二人は寄り添い、母親もそのことを知り若者の素性正体を確かめさせた。
結果は、不幸にして若者は蛇身であったので親娘は動転するほど驚きようだったが、娘は若者の分身を身籠っていた。

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大分は豊後大野市にある「宇田姫神社」(うたひめじんじゃ)を訪ねました。

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足を踏み込むのも躊躇われる緑の絨毯が敷かれた石段を、優しく昇ります。

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当社の祭神は「華ノ本」という女性。
そう、穴森神社で大蛇の子を宿したという娘になります。

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華ノ本は絶世の美女だったらしく、宇田姫と呼ばれたのだとか。
なぜ美女だと宇田なのかよく分かりません。
華ノ本の方が、よほど美女らしさを伝えていると思われるのですが。

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高台の上の、狭い境内にはヤブツバキの立派な御神木が屹立しています。

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穴森神社と宇田姫神社に出てくる大蛇は、祖母山に坐します「姆嶽大明神」(うばだけだいみょうじん)の化身であると云われています。

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姆嶽明神で思い浮かぶのは、その娘にして鬼八(きはち)の妻「鵜ノ目姫」です。
鵜ノ目姫も絶世の美女として、高千穂にやってきた三毛入野に横恋慕されています。

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大蛇にまつわる「緒環伝説」(おだまきでんせつ)は、当地を開発した大和国の大神氏(おおみわし)の傍流「豊後大神氏」によってもたらされたものと思われます。

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緒環伝説を当地に浸透させ、自らの威厳を根付かせるために地元伝承を絡めたのだとしたら、華ノ本の大元は鵜ノ目姫の伝承だったのかもしれません。
鵜ノ目姫=宇田姫ではないかと。

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目の大きなことから鵜ノ目姫と呼ばれていたそうですが、当時の美的感覚で、目が大きいことを美しいと言わしめることに違和感がありました。
往古の美人の条件は、柳目ではなかったかと。

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鵜ノ目姫=宇田姫=歌姫だとしたら、美声の姫君であったのではないかと、ちょっとロマンチックに妄想してみました。

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さて、当社の御神体が、境内奥のちょっと鬱蒼とした場所にありました。

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そこにある、少し塗り込められた洞穴が、宇田姫の御神体です。

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この洞穴は、穴森神社のあの洞窟につながっていると云われています。
よもやそのようなことはないでしょうが、地図で見てみると、祖母山を頭として蛟のような地形で繋がっていることに驚きました。

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御神体の穴をよく見ると、中からパイプが通してあります。
これは祖母山に通じていると云われている水源から、こんこんと湧き続けている水を通したもののようで、

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この水は境内入り口横に「宇田姫様の御神水」として溢れんばかりに汲み出されていました。

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ほうほうこれが絶世の美女の体液か、とにやけ顔で口に含んでみましたが、よくよく考えてみると祖母山から湧き出ている水な訳で、むしろ大蛇のそれであったと気がつきました。
バカなことはさておき、あと口に甘みを感じる良い清水です。

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ところで、境内に豊後大神氏の始祖「大神惟基」(おおがこれもと)生誕の地というものが案内されていました。

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てくてくと緩い上り坂を300m歩いていきます。
すると田園の中にそれらしきものを発見。

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大樹の下に鎮座する、小さな社。

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これは「萩尾様」と呼ばれています。

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萩尾様の近くには、いくつもの石が無造作に置かれていました。

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この辺りで発掘されたものかもしれません。

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さて、娘と夜な夜な契りを交わす男の素性に疑問を感じた母親、そしてそれを確かめさせた時に知ったのは驚くべき事実でした。

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母娘は過ぎ去った悪夢であったと気をとりなおすことにしましたが、娘のお腹にはいとおそろしきものの子種が宿っていました。

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娘はついに、その子供を産むのですが、この時のお産どころが萩尾様であると云われています。

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姫は、多くの萩の小枝を産褥に敷きつめて出産の潮時を待ったところ極めて安産することができました。

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しかも生まれた子供は武勇に優れた大神惟基で、かの有名な緒方三郎惟栄の祖となったと伝えられています。

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現在でも、萩尾様へは安産祈祷の神としてお参りが多く、人間だけでなく牛馬のお産の時でも萩の枝をもらい、お礼参りをしている姿を見かけるのだそうです。

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