
「閑さや 巖にしみ入る 蝉の声」

「立石寺」(りっしゃくじ)は、山形県山形市にある天台宗の寺院で、「山寺」(やまでら)の通称で知られています。
詳しくは「宝珠山阿所川院立石寺」(ほうじゅさんあそかわいんりっしゃくじ)と称します。

元禄2年(1689年)に松尾芭蕉が旅の途中で訪れ、その時のことが「おくのほそ道」に書かれている寺でもあります。

さて、その立石寺、岩にしみ入る風景を望むなら、1015段の石段を登らなくてはなりません。

入口を少し登ったところにある建物は、国指定重要文化財の「根本中堂」(本堂)です。

ブナ材の建築物では日本最古と云われ、天台宗仏教道場の形式がよく保存されているとのこと。

堂内には、慈覚大師作と伝える木造薬師如来坐像が安置されています。

御堂入口には「招福布袋尊」という豪快な布袋像が鎮座していました。
体を撫でて願い事をお祈りするそうで、身体中がテカテカになっていました。

本堂の中では比叡山から分けた「不滅の法灯」が灯っていました。
織田信長の焼打の後、延暦寺を再建したときには逆に立石寺から分けたのだと伝えられます。

立石寺の創建に関しては諸説あるようですが、貞観2年(860年)清和天皇の勅願のよって慈覚大師が開いたということになっているようです。

慈覚大師・円仁が開山した東北の四寺「中尊寺」「毛越寺」「瑞巌寺」そして「立石寺」を巡る、「四寺廻廊」を構成しています。
気付けば僕も四寺廻廊を果たしていました。

根本中堂から進むと、芭蕉句碑がありました。
刻印はほとんど読めない感じでしたが、かの名句「閑さや 巖にしみ入る 蝉の声」が彫られているそうです。

またその奥には立石寺を勅願なされた清和天皇の宝塔があります。

なぜか聖徳太子の石碑もありました。


根本中堂からほぼ並行移動したところに「日枝神社」(ひえじんじゃ)があります。

参道入口から見るとこんな感じです。
5月17日には山寺山王祭が行われます。

後方にある大銀杏は、山形市で一番太いという天然記念物で、慈覚大師お手植と伝えられて1000年を超える樹齢だと云います。

「亀の甲石」は、小銭に名前を書いて石の上に置くと、願いが叶うと伝えられます。

松尾芭蕉と弟子の曽良の像があります。

「おくのほそ道」は松尾芭蕉の代表的作品であり、「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」という序文より始まります。

「奥の細道」と表記されることも多いですが、教科書ではすべて「おくのほそ道」の表記法をとっているそうです。

おくのほそ道は、芭蕉が崇拝する西行の500回忌にあたる元禄2年(1689年)に、弟子の河合曾良を伴って江戸を発ち、奥州、北陸道を巡った旅行記です。
作中に多くの俳句が詠み込まれていて、全行程約600里(2400キロメートル)、日数約150日間で東北・北陸を巡って、元禄4年(1691年)に江戸に戻りました。

念仏堂という御堂があります。

隣には立派な鐘楼。

ここの阿弥陀如来は、ころりと往生させてくれることに定評があるとか。

入口に渋いお坊さんの像があります。

彼は「おびんづる様」と呼ばれます。
おびんづる様は釈迦の弟子「ビンドラ・バラダージャ」のことで、十六羅漢の一人です。
このおびんずる様を撫でると除病のご利益があるとされ、多くの人に撫でられピカピカになっています。

実は立石寺では、なぜか奥之院手前の「中性院」にあるおびんづる様が有名なのですが、本当はこの念仏寺のおびんずる様が大師が安置した本物だそうで、中性院のものは後に作り置かれたものだそうです。

さて、念仏寺前の茶屋で染み染みの玉こんにゃくをいただいて、本格的な登拝へと向かいましょう。


山門です。
ここで入山料を支払います。

ここから大仏殿のある奥之院まで、800段を超える石段を登っていきます。

一歩足を踏み込むと、一気に雰囲気が変わりました。

おや!?
山寺境内では猫をよく見かけますが、彼らは当院の仏使ではないでしょうか。

なぜなら僕の歩む先を、光の猫が出迎えてくれたからでした。

そうこうしていると「姥堂」(うばどう)という堂がありました。
中を覗いてびっくり。

恐ろしげな老婆の像があります。
この堂の本尊は「奪衣婆」(だつえば)の石像。
三途の川で衣類を剥ぎとる老婆です。
ここから下は地獄、ここから上が極楽という浄土口で、そばの岩清水で心身を清め、新しい着物に着かえて極楽に登り、古い衣服は堂内の奪衣婆に奉納する、という意味だそうです。

一つ一つ、このきつい石段を登ることによって、煩悩穢れを消滅させ、

清廉な人間に成就していく修行なのだと云います。

大きな岩の壁面には、かつての修行僧が彫った経文や磨崖仏があり、

様々な仏像地蔵が安置されています。

ここが修行の道であることを、自然と理解していきます。

今は綺麗な石段が組まれていますが、かつてはもっと荒々しい道だったことでしょう。

その痕跡を残す場所が参道途中にあります。

それがこの「四寸道」というもの。
日本一狭い参道とも称されるこの道幅は約14cm。

両側の岩がどうしても削れず、山の自然にそってつくられたままに残す、昔からの修行者の道です。

開山した慈覚大師の足跡を踏んで、私たちの先祖も子孫も登るところから、「親子道」とも「子孫道」とも言われています。

なかなかきつい道ですが、あちこちに見所があり、

山の涼しさもあって疲れを忘れます。

中腹あたりに来ると「せみ塚」と呼ばれる石碑があります。
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の芭蕉翁の句をしたためた短冊をこの地に埋めて、石の塚をたてたものだと伝わります。



せみ塚より少し登ると、「弥陀洞」と呼ばれる場所があります。

無数の石塔が立ち、岩には無数のお賽銭が埋め込まれています。

この崖を見上げると、長年の風雨により岩壁が削られ、阿弥陀如来の姿が浮かび上がっていました。

立派な杉の木を過ぎたら、

仁王門が見えてきます。
いよいよ天空の聖域へとやってきました。

