伊達家になじみの深い寺が松島にあります。
「瑞巌寺」(ずいがんじ)、詳名を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」(しょうとうせいりゅうざん ずいがんえんぷくぜんじ)と言い、古くは松島寺とも呼称されました。
背の高い杉の並木に挟まれた参道を歩きます。
瑞巌寺は天長5年(828年)に慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)が開山した天台宗の寺院です。
平泉中尊寺・毛越寺、山形立石寺と共に「四寺廻廊」という巡礼コースの寺院の一つでもあります。
瑞巌寺は瑞鳳殿と同じく、伊達家の菩提寺です。
「菩提寺」とは「死後の冥福を弔うお寺」という意味です。
政宗以下三代の位牌は瑞鳳寺にありますが、瑞巌寺は「愛姫」(めごひめ / 伊達政宗の正室)、「五郎八姫」(いろはひめ / 伊達政宗の長女)を弔ってきました。
風格ある門の先に寺の台所である「庫裡」があります。
そこには優しげな観音像がありました。
たくさんの供養塔が納められている岩窟「法身窟」の前には、
「鎮海」と
「楊柳」の観音像の模写が刻まれた石板が鎮座していました。
瑞巌寺の隣にある「円通院」は、伊達政宗公嫡孫「光宗」の霊廟です。
山門をくぐると、美しい参道があります。
石庭は白砂で松島湾を表し、白砂に浮かぶ岩を七福神に見立てているそうです。
石庭の先にある休み場は、壁に開いている丸い窓が印象的です。
そこだけ切り取った絵画のように見えます。
細長い回廊の先には、
幽玄な御堂があります。
「三慧殿」(さんけいでん)と呼ばれるこれは、伊達政宗の嫡孫「光宗」の霊廟です。
光宗は徳川二代将軍秀忠の孫にもあたり、将来を有望されつつも若くして亡くなり、その死を悼み建てられたのが三慧殿です。
霊廟の中にある厨子のいたるところに、支倉常長が西欧より持ち帰ったバラやダイヤ、クローバーが描かれています。
この厨子は伊達家が德川から必死に隠し続け、3世紀半もの間、扉は封印され開かれる事がなかったと云われています。
境内の再奥には、洞窟群があります。
松島はかつて、霊場でしたので、雄島や瑞巌寺、そしてこの円通院でも岩窟を彫って作られた石碑や石仏を多数見ることができます。
これらの洞窟群は円通院が建立される前、700年ほど前から存在していて、昔は骨が納められた骨塔だったものもあるそうです。
竹林を抜けていくと、
バラ園があります。
支倉常長が持ち帰ったとされるバラの縁で、境内には100種類200本ものバラが植えられ、バラ寺とも呼ばれています。
日本三景「松島」のすぐそばにある円通院。
そこは日本人の美意識に適う、安らぎを得る寺院です。
瑞巌時 / 円通院