福井市西木田に鎮座の「木田神社」(きだじんじゃ)に立ち寄りました。
龍を象った手水は珍しくありませんが、横向きなのは面白い。
貞観13年(871年)、常国守の発願によって尾張国津島神社から建速須佐之男を勧請して奉斎したのが始まりとされ、当初は牛頭天王宮(ごずてんのうぐう)と称したと云います。
しかし社記によれば、元の表記は「気多」であったとされ、いつしか「木田」と書き表すようになったとのこと。
ならば能登国一宮「氣多大社」との関連が気になります。
祭神が建速須佐之男ならば秦氏系の神社ということになりますが、氣多大社からの勧請であれば、真の祭神は出雲系であるということになります。
境内には蛭児宮(えびすのみや)があり、事代主祭祀も匂わせていました。
境内の絵馬のうち、「厄」と書かれたものは何故か逆さま。
古来より、絵馬を逆さにすることによって厄が落ちるのだそうです。
木田神社摂社のうち、蛭児宮は別格の扱いでしたが、もう一つ気になる社が。
「晴明神社」です。
「古老の話しによりますと、晴明が北陸巡遊のみぎり、木田東町に立ち寄られ、求めに応じて火伏せの法を厳修されました。
それ以来、不思議にもこの町内には家事が絶えましたので、人々は晴明社を建ててこれを祀りました。」
さて安倍晴明が実在か、非実在か、
それはともかく晴明のご利益とやらで、1日も早く元の気楽な旅日和が戻りますよう、畏み申すのである。