
「呼ばれなければ辿り着けない」
そう噂される「サムハラ神社 奥宮」を訪ねてきました。

呼ばれなければ辿り着けない、というフレーズの場所を他にいくつか訪ねましたが、まあ辿り着けます。
そんな大仰なものではありません。が、そのいずれも遠く道は険しいのは事実。

サムハラ神社 奥宮は、岡山県津山市加茂町の日詰山山中にあり、「金刀比羅神社」の境内社になっていました。

祓戸でしょうか、ピリリとした空気を感じます。

こんぴらふねふねシュラシュシュシュ~♪
こんぴらさんは階段がお好き。

選ばれし者だけが登れる階段の行き着く先に、

おお、立派な社殿が建っております。

崖をくり抜いて埋め込まれるように建てられた本殿。

「寛文年中に大字中原住の某が、讃州金刀比羅宮を崇敬し浄財の寄進を享けて、御分霊を日詰山の山頂に奉斎した」とのこと。

昭和49年5月に全社殿が炎上し、昭和52年4月に現社殿が、氏子等によって再建せられたそうです。

本殿周辺の崖にもたくさんの摂社が鎮座しています。

厳かでとても良い雰囲気です。

さて、お目当てのサムハラ神社 奥宮は少し離れた場所にありました。

「サムハラ神社」といえば大阪市西区立売堀にある神社ですが、そこで授与される御神環(お守り指輪)が絶大なパワーがあるとのことで有名になった神社です。

サムハラの文字は「神字」とされ、この文字を書いた紙を持ち歩くだけでもご利益があると云われています。
その文字を刻印した指輪はレアアイテムとなり、高額転売される事態にも。
そこで大阪のサムハラ神社は指輪の授与を取りやめ、今まで授与した指輪の効力もエイヤっと取り払ってしまったということです。

訪れた奥宮は金比羅神社と対照的に質素というか、正直これ?って感じでした。
どうやら遷座されたようですが、元あった場所もさほど離れていないようで、なぜ遷座したのか疑問です。
「天之御中主神」「高皇産霊神」「神皇産霊神」の造化三神を祀り、昭和10年(1935年)に田中富三郎氏が故郷岡山西加茂村の荒廃した小社を再興、昭和25年(1950年)に大阪中之島の豊国神社隣接地に自費でに建立し、昭和36年(1961年)に移築遷宮されたのが今のサムハラ神社です。
田中氏は日清・日露戦争等で戦地に赴く時にサムハラの護符を持参、そして無事生還しました。
その後、戦時に向かう兵士にお守りを贈る活動をし、戦後も小判の形のお守りを自費で作成し無料で人々に配布していたと云います。
「信仰は万益有って一害なし」と常に提唱し、毎朝の参拝を欠かしたことはなく、昭和42年(1967年)12月3日に逝去。享年100歳でした。

ひとつ気になると、次々疑問が出て来ますね。
吉備国周辺は、いろんな歴史が重なっているので、考察が難しいです。でも、阿波村情報は拾い物ですね😊
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余談です。
津山市の加茂谷中心、金比羅のお社。消されようとした140年前の史実、美作騒擾(明六一揆)のことが、大和における出雲族の土蜘蛛、クズとされて迫害された惨事になぜかリンクというか、似てる気がします。
加茂川、そして金比羅という名前にも出雲族との因縁を感じます。古代から林業がさかんで、姫路や岡山に抜ける水路、そして加茂川を登れば鳥取、大山に行きます。
サムハラのお社は、歴史の生き証人(神)として、鎮座され、愚かな人間たちによる、哀しい過去の鎮魂のために、そして今尚、民を護っておられるような気がします。そこにミーハーな動機や(よくわからないけど)自分の運気を上げるためのパワスポとして行かれるのには、ここはそぐわない気がしますね。(八つ墓村のモデルの事件のことばかり表に出てきますが、そこではなくて。)
口伝を読むと、その地に根付く歴史が出雲族につながるかもしれないと思い、歴史を紐解いていくと。。なかなかの根の深さを感じます。
何度もすみません。敢えて匿名にします。
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関西のほうのお社も、事件は心ない穢れを持ってしまった人間の罪から起ったことであって、そこで古来から民を護っておられる神様の坐すお社にとって、参拝者が離れてしまうということがこれ以上起こらないことを切に願っております。
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誤解があるといけないので追記です。事件はこちらのサムハラ神社ではなく、関西のほうの神社のことを指して書いたつもりが、言葉足らずでした。すみません。
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こんばんは。こちらの三柱の神様のご神力や地元に愛されてるこのお社に敬意を持って参拝を心がけたいです。事件はこのお社に限らず、とても残念なことですね。
が、ちよっと穿った考え方かもしれませんが、(多様性ということで、容赦して下さい)最近思うことがあります。このお社のことを言ってるのではありません。
一部でブームになる傾向というか。。あまりこれまでとりあげられなかったような御神域に光を当ててメディア等で推奨し、そこをネタに商売されてる自称??それとも公認??の能力者さんでしょうか、そういう方々がコロナ前後からとても増えていると聞きました。それ自体は別に悪いことでもないと思うのですが。。
中にはツアーやセミナーを主催される方もおられると思うのですが、ずいぶん前に、祈りとか。。奥宮で皆さんが白い服着て踊っておられるのを見たことがあり。。唱えられてるあいだはこちらは、後ろで参拝を待たねばならず。。正直辛かった。。あれは許可を神社で得られているのかなあと疑問に思いました。
御神域と言われるスポット(パワースポットというのかな?)で何かを開催する能力者さんは多いとは思います、それらを否定するのではありませんが、敢えてこれまで触れられてなさそうなスポットを取り上げることで何か付加価値をつけてSNSなどで盛り上げて、そして特に女性参加者が多く、何万も出して。。セミナーにはまる。私の知り合いの身内もそれで、これまでとは人が変わったようになってしまいました。
更にお社でなにか低級霊や悪いものがついたんだと言われて、何万円もかけて別のお社でお祓い。それもたった5分。信じたほうが悪いとか、どうのこうのもあるでしょうが。。こういうのどうなんでしょうか。
信じる信じないは、救える救われるは人それぞれですし、需要と供給の世界の上で、第三者的になんとも言えませんが。。私はシンプルに切ないです。それは古代の神様とは関係がないから。なのに、あそこへ行くと祟られるとか、バチがあたる、という呪いを現世の人間が勝手に他人に言いふらして恐怖感を植え付ける感じなのは。。そしてそれを解決するから、お祓いします、◯円です。。。私はそれは神様にかなり失礼だと思います。サムハラ神社の禰宜さんもですが、立場を利用した罪は、それこそが穢れになってしまうと思いました。。
人はそこにある確かなものを大切にせず、ないものを欲しがる。。うまく言えませんが、そこにつけ込む人もいるんですね。
不快に思われた方がいらしたらごめんなさいm(_ _)m なんか新聞にでも投稿したほうがよいやつでしたかね、これ。
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写真をパシャパシャ撮っている僕も、人から見れば不信心な者になるのでしょうが、僕は基本的に神様で商売する人と仲良くなれる気がしません。
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私もです☺
呼ばれる呼ばれないとか、これ見た人は幸せになれますとか、意味づけのオンパレード。
パタンッ、要らん。
可愛いお守りは好きですけどね、パワスポとかよくわかんにゃい(ΦωΦ)
写真はね、
「後学のために、もっと知りたいのです、ごめんなさい、撮らせて下さい」って、五条さんのことだから、いつもペコリしながら磐座に話しかけてることでしょう。(想像ですけど)应该没关系吧^_^
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こんにちは。
数年前に私が護持会役員を務めている神社でも、白い衣装を身に着けた集団が「荒神の舞を奉納させてください」と来たようです。護持会長からは許可を出した経緯を聞いていないのですが、web上に舞の写真が掲載されていました。
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Wonderful !
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大阪のサムハラ神社、指輪の販売は取り止めたという話は聞きますが効力を取り払ったと言うのは初めて聞きました。
こんな事件も起こしていますし、神社が効力を取り払ったというよりも神様が呆れて離れてしまったのではないかという気も。。。
https://bunshun.jp/articles/-/43217?page=1
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じゅむ様、ようこそ『偲フ花』にお越しいただきました。
効力を取り払ったと言う話は、たしか公式のSNSあたりで見た気がしたのですが、どうでしたか。
セクハラ事件は僕の印象にも残っています。雇われ禰宜の仕業であったようですが、どこにでもロクでもない奴はいるものだと思いました。
多くの神社を参拝させていただくと、御神職の崇高な佇まいに深く感心することもあれば、居眠りや不遜な態度に呆れることもあります。
ただ、そこに神が在るということに違いはないはずで、聖地が今も在り続けることに感謝する気持ちを、人の良し悪して違えることはしないよう心がけています。
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サムハラ神社や神字のことは個人的にはあまり気にならないのですが、、奥宮の金比羅神社がどうも気になります。始めから、元々そこにあったという小さな祠。荒廃していた祠を田中氏が立て直し、ここからサムハラ神社に発展したという記述を読みましたが。。まだ調べ中ですm(_ _)m
この金比羅神社は、古代は加茂中谷の村や加茂川を一望できるところに鎮座していたのではないでしょうか。加茂川を上がれば伯耆(出雲)下れば?播磨。瀬戸内にも行ける交通の要所だったのではないかと。そして水路でこの辺りの良質な木材を運んでいたのは。。。古代は出雲族なのでは?と思えてなりません。
金刀比羅宮の「コト」は、積羽八重事代主(境内社の祭神)の「事」にも通じる。そしてインドのトラビタをルーツとする出雲族は、クンピーラ。
だとしたら、本来祀られていたのは。。。
追記 よせふさんこんばんは。神楽とはなんか違う感じの白い服着た人たちを見たことがあります。不思議ですね。来週、波波伎神社に参拝させて頂きますね☺
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よく効くお守りって、本当に効きますよ!
前に京都に行った時、よく効く限定の学業のお守りを娘に買っていったところ、資格試験を100点で合格しました。まず、取れないそうです。
そちらのお守りも興味深々です!
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なるほど、僕はあまりお守りを重視していないのですが、三峯神社のお札を頂いてからのご縁の凄まじさには驚嘆しています。そういうこともあるのかもしれません。
サムハラ神社のお守りなどは、大阪の方でいただけます。指輪が人気だったのですが、現在は授与されておりません。また再開するのかもしれませんが、時期は不明とのことです。
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質素な造りの清潔で厳かな奥宮ですね🐥この小社には穢れた気が寄り付かない。これもサムハラに祀られた天之御中主神などによる強い邪気払いの神気のせいなのか…
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戦時中は弾除けのお守りとして、サムハラの神字を身に付けていたそうですから、邪気払いのご利益は強力なのかもしれませんね。
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サムハラの御守りは特殊な種類のものです。厄除けや邪気払いというよりも、身に付けた人の怪我を避けたり生命を守ったりする護符の役割を果たす故に”強力な御守り”と言われています。
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CHRICO様 おはようございます。
津山にサムハラ神社があるなんて知りませんでした。
昔々、父の会社が大阪・立売堀にあった関係でサムハラ神社のことは知っていました。
霊験あらたかな神社らしく、いろいろな御利益を描いた絵入りの看板が掲げられていました。
そういったことから、表通りから見る限り、ちょっと変わった神社かな、名前も聞き慣れないものだし・・・と思っていました。
ところが、私たちの結婚式に来てくれたのが、なんとそのサムハラ神社の神主さん。
え~っ!あの変な神社?とびっくりしたことでした。
でも、曲がりなりにも、なんとか夫婦共にこれまで来られたのはサムハラ神社のおかけかなと懐かしく思い出しています。
しかも、津山所縁の神社なんですってね。父からそんな話、聞いたこともないしで、二度びっくりです。
asamoyosi
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asamoyosi様、おはようございます。
創建者の地元が津山で、廃れた当社を復興なさったそうです。サムハラ神社の話は美容室のお客様から伺い、それで大阪の本社を訪ねた経緯があります。
神社入り口の前で写真を撮っていたら、大阪のおばちゃんがすごくフレンドリーに話しかけてこられて、サムハラ神社を推してあったのが印象的でした。地元からも愛されている神社なんだなと感じ入ったものです。
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