ざりっ、ざりっ
草を踏む足底に小石が擦れる音がする。かなり登ってきたはずだが山頂はまだ見えない。迷ってしまったか。
「ふう」
岩に腰掛け、竹筒を取り出す。栓を抜き口元に近づけるが水は出てこない。分かっていたことだが、筒の中の水はとうに空になっていた。汗ばむ肌に柔らかな山風が吹く。その風に乗って、微かに水の流れ落ちる音がした。
「おお、天の恵か、まるで絹糸のような滝よ」
鬱蒼と覆っていた大樹の枝葉が薄らぎ、空から太陽の日が差し込む。そこにきらきらと光を反射させながら、一筋の水が滝となって流れ落ちていた。
今年は酷い干天なのだと言われ、麓の里では十分な水も分けてはもらえなかった。私の喉はからからで、滝の水を口に含もうと近づいた。いっそ体中で浴びてしまっても良い。
すると滝の岩陰から声がした。
「無礼者、御滝にそれ以上近づくでない。この場所は聖域ぞ」
私は立ち止まり、声のする方を見た。そこには年端もゆかぬ少女がいた。濡れた髪は照り返しで、一瞬銀髪のように見えた。そして驚くほど肌の色が白い。狐に騙されているのだろうか、少女は裸であった。
「こ、これは大変失礼した、人がいるとは思わなんだ。しかしここまで迷い登ってきたがゆえ、喉がからからに乾いてしもうた。どうか一口だけも水を含ませてはいただけないだろうか」
私はあわてて背を向け、少女に話しかけた。彼女から返答はない。水の音と鳥の鳴き声、葉の擦れる音だけが辺りに響いた。
刹那の時が流れ、不安になった私はそっと滝の方を振り返ろうとした。
「これを飲むが良い」
すると少女は私の背後に立っていて、竹筒を手渡してきた。まるで気配がなかった。
彼女から受け取った竹筒の中には、滝から汲んだであろう清らかな水が満たされていた。
「ありがたい」
一口含むとその水は、冷たく甘く喉を潤す。二口三口と続けて飲み干すと、体の芯まで癒された。
「ふう、これまでの疲れがすっかりとれたよ。大切な聖域の水をありがとう」
「よい。ここは妾の禊場じゃ、男子は立ち入ってはならぬ決まりなのじゃ」
「そうであったか、知らずとはいえ大変なご無礼を」
少女は急いで衣を纏ったのか、髪も体も濡れたままだった。幼なさ故か、裸を見られて恥じらっている様子はない。
「おぬし道に迷ったのか」
それどころか、その雰囲気は妙に大人びて落ち着いてみえた。
「いや、この大根地山に住むと言う越智の巫女を訪ねてまいった。君は巫女の身内か」
すこし間が空き、少女が答える。
「妾が”をち”の姫巫女じゃ」
「えっ、君が?ちょっとまってくれ、越智の巫女は熟女だと里で聞いたぞ」
「そうであろうな、妾が巫女となったのは最近のことじゃ。熟女かは知らぬが、里人が言ったのは先代のことじゃろ」
「先代に会わせてくれ。どうしても変若水を譲っていただきたい。私は変若水が必要なのだ」
「”をちみず”のことを知っておるのか、ふうん」
自らを越智の姫巫女だというその少女は、じっとりと値踏みするように私を見た。
「だめか、会わせてはもらえぬか」
「おぬしの会いたがっておる熟女は上におる。案内してやるからついて来い」
少女はニヤリと笑うと、そのまま獣道のような草の上を歩きはじめた。よかった。
「道を踏み外すなよ、気がつけば崖の下ってこともありうるからな」
「おお、それは怖いな」
しばらく無言で二人は歩いた。道は険しいというほどではなかったが、傾斜はそこそこきつく、すぐに額から汗が噴き出る。
「なんだ、もうへばったのか、案外ひ弱じゃな」
「普段は都暮らしでな、体力はある方だとは思うが、山は勝手が違う。というか、この山はことのほか体が重く感じるぞ」
「ははっ、お山さまに嫌われたな。妾の裸を盗み見たりするからじゃ」
「うっ、それは本当にすまんかった。あんなところでおなごが水を浴びておるなぞ、普通は思わんぞ。ここに他の者は来ないのか、お主はその先代と二人きりで暮らしているのか」
「ああ、ずっとそうじゃ。月に一度だけ、祭りの時に里の人が作物を運んでくれる。代わりに病人に煎じるための薬草と”をちみず”を渡したりもする。あと暦を伝える」
「月讀みか」
「そうだ、詳しいなおぬし。名は何というのじゃ」
「与四郎だ」
「そうか、妾は朝近じゃ」
「”あさちか”、良い名だな」
「お、おぬしの名は平凡じゃな」
ふむ、唐突に大声になったかと思えば、それきり急に静かになった。あれ?ひょっとして、
「朝近姫よ、照れておるのか?裸を見られても平然としておったのに、名を褒められると照れるのか」
「ひ、姫じゃと」
「そうさ、朝近は姫巫女なのだろ。だから姫じゃ」
それから朝近は完全に黙りこくってしまった。
さわさわと木の葉を揺らす風が吹く。時おり木漏れ日が先を歩く少女を照らす。朝近はひ弱な私に合わせてか、あるいは照れてそれどころではないのか、歩む速度をゆるめながら、ちらりちらりとこちらを盗み見ている。バレておらぬとでも思っているのだろうか、それともやはり白狐に化かされているのであろうか、そんなことを考えつつ、私は耳を真っ赤にさせた不思議な少女の後ろ姿を眺めていた。
九州国立博物館方面から[65]筑紫野筑穂線を走っていると目につく看板「大根地神社」(おおねちじんじゃ)。
最初の頃は「おろち神社」と読み間違えていた僕でした。
また、そのあとは大根地とはオオナムチのことだろうかと考えていたものです。
朝倉には大己貴神社がありますし。
しかし今では大根地とは「越智」だろうと確信しています。
富家の交差紋が大根(丁子)に変えられたのと同じように、ヲチを大根に変えたのだろうと。
その根拠となるものを探るべく、大根地山に再登拝することを決意したのでした。
車で行けるところまで行ってやれ!と思っていましたら、早々に止められました。
前回は冷水峠方面から登ったのですが、今回はその反対側、香園方面から登ることになります。
なんか新たな発見があったらいいな的な意味で、こちらを選択。
しかし大根地神社まで2.5kmの登山となりました。遠いな。
前回の冷水峠方面はある程度上まで車で行けたので楽でしたが、途中崖から車ごと転落しそうになって死ぬ思いをしました。
ぎゃ~細いひと発見!!
いやぁ、ぼつりぼつり歩いておりますが、もう少し先まで行けたんじゃないの、車で。
道ばたに湧き水が引いてありました。
飲めるんかいな。
まだまだ歩きますが、坂はゆるやか。
山頂の方から流れる大根地川から涼しげな風も吹いてきます。
うわーアレかなー、アレじゃないといいなー。
ビンゴ、南無三!
大根治山は綺麗な三角錐の山です。
そして大根地山と宝満山は隣同士に仲良く鎮座。
標高は宝満山が829.6m、大根地山が652m。
山容は宝満山がすり鉢状の豊満なおっ◯い型で大根治山はそそり立つ三角錐。
つまりサイノカミの山になっているのですよ、ぐふふ。
しかも宝満山に祀られるのは玉依姫。
彼女が嫁いだのは豊玉姫の息子・豊彦。ということは玉依姫は越智家の常世織姫(とこよおりひめ)である可能性が高いです。
ならば大根地山に祀られる神も越智系なんじゃないの、だから越智山でしょ、だぶん、きっと。
などと考えていたら、どうやら本格的な登山道に入ってきました。
傾斜もキツくなっていきます。
石や木の根があって少し歩きにくい。
石垣もありました。
神仏習合期のものでしょうか、過ぎ去った栄光の片鱗です。
さらに石段を歩き登ると、
オーマイゴッド!
なんと美しいことでしょう。
太陽がちょうど真上にあり、光のシャワーが降り注ぎます。
奥からは水の落ちる音。
光と緑と水のコンチェルト。
水の氣が豊富で、植物の濃厚な氣配に圧されます。
この滝は修験の御滝場となっていたのでしょう。
畏れ多さに自ずと歩みがゆるみます。
この滝は「扇滝」と呼ばれているようです。
なるほどその美しい滝の全容は、扇を逆さに広げたように見えます。
時間限定のアマテラスのギフト、
それは滝壺に転がる枯れた樹木さえも美しく、幻想的に演出します。
山道はこの扇滝の前を通り抜けるように続いていましたが、かなりの時間、僕はこの光景に釘付けになっていました。
後ろ髪を引かれながら、やっとの思いで足を踏み出すと稲荷社がありました。
荒熊稲荷、
そこは扇滝に続く巨大な岸壁の洞穴を祀っています。
が、白い陶器のお稲荷さんはほとんどが顔を欠いており、ちょっと不気味でした。
扇滝から山頂の大根地神社までは距離はさほどないはずですが、傾斜はますますキツくなります。
足を踏み外せば大惨事になりかねない道もあります。
澤渡りの鎖場がありました。
鎖を使わずとも渡れますが、足を滑らせないように細心の注意が必要です。
岩肌が赤くなっているのは、鉄が採れるということでしょうか。
さらにどこまでも登っていくと、
なにかコンクリの建物が見えてきました。
トイレかな?でも鳥居があるし。
中を覗くと、斬新なスタイルの水場がありました。
土足厳禁。。
床は濡れているので、裸足で入れということでしょうか。
稲荷と
う~んこれはどう見ても風呂桶。
つまりここは水行の場所なのでしょう。
鳥居には「雲閣神社」とあります。
1992年(建久3年)に大根地山は須佐之男命、大市姫命を合祀し、雲閣(雲鶴)大明神と称したと云われています。
そこからぐるりと半弧を描くように登ると、大根地神社の奥乃院が見えてきます。奥乃院までは前回来ました。
つまりこれまでの行程の雲閣神社から下の聖蹟は、今回が初の参拝でした。
相変わらず、不気味な存在感を放つ奥乃院。
こちら側に奥乃院があるということは、今回登ってきた参道は裏参道ということになろうかと思われます。
建物の中は薄暗く、ひんやりとしています。
この奥乃院にはいくつかの石祠があるのですが、
その中で名前が記されているのが「朝日丸神社」。
朝日丸、これも稲荷だと思われるのですが、どういった謂れの神なのか。
宝珠の浮き彫りが見られますが、宝珠といえば干珠と満珠。しかし稲荷社にはこの宝珠紋がよく使用されます。
よく使用されます。
そう、よく使用されるのです。
ところで、稲荷神というと狐神と勘違いされやすいのですが、狐は本来、稲荷神の神使となります。本来の稲荷神は蛇神だと伝えられます。
伏見稲荷大社の御神符ではそのことがよく表されており、主祭神「宇迦之御魂大神」(うかのみたまのおおかみ)は蛇神です。
しかし宇迦之御魂の別名に「御饌津神」(みけつのかみ)があり、狐の古名が「けつ」であることから、稲荷神=宇迦之御魂=狐神と変化していったという説もあります。
また狐は穀物を食い荒らすネズミを捕食すること、狐の色や尻尾の形が実った稲穂に似ていることから、食物神としての性格を帯び、農業神・穀物神であった稲荷神と習合した側面もあったと思われます。
その稲荷神と宝珠の関係は、豊川稲荷でしられる荼枳尼天(だきにてん)と狐の関係に見出されるとする説があります。
ダキニとはインド密教系の夜叉鬼のことで、人の死を予知し、その肉を食らうとされています。また、インド仏教の閻魔天の使いとして死肉を食らう野干がいますが、野干はもともとジャッカルの音訳ですが、中国や日本にはジャッカルは生息しないので、狐と混同されるようになったと云われています。
このダキニが日本の密教に取り入れられると、「宝冠を被る女神が狐にまたがり、右手に宝剣、左手に宝珠を持つ姿」で表されるようになりました。
やがてダキニと狐(野干)は同一視されるようになり、稲荷神と宝珠の関係が構築されたといえます。
宝珠はまた霊力や神通力の象徴として扱われることもあり、霊的な狐との相性も良かったのだろうと推察されます。しかし、そもそも宝珠がどのような過程で生まれたのか今ひとつ不明瞭なのです。
如意宝珠という仏具があり、現在の認識はこれが強いと思います。
しかしいくつかの豊系神社などでは干珠満珠を宝珠として表していました。
僕は豊族と関係の深い越智族は、本来「オロチ族」と呼ばれていたのではないかと考えており、月神を信仰していて干珠満珠にも関係していたとも考えています。
稲荷の本神は蛇神(龍蛇神)であることを考えると、稲荷信仰を興したのが越智族であるとするなら、稲荷と宝珠の関係にも納得できるものだと思われてきたのです。
さて、大根地神社本社が近づいてきました。
稲荷社によく見られる赤い鳥居のトンネルを潜ります。
連なる鳥居の扁額の多くは大根地神社ですが、中に「朝近神社」と書かれたものがありました。
いよいよ到着、大根地神社本社です。
お盆に大元本の事をおさらいして籠神社に行きまして、思ったことがあるんです。
そういえば出雲色どこに行ったかと
確かに奥宮の磐座は出雲っぽいと言われればそうです。
しかし薄い。
吉田大洋本には、出雲大神宮の宮司さんとの暴露大会で、籠神社の本来の祭神、真ん中の本殿は現在空位になっているが、本来は出雲の大神を祀っているとあります
そして、大元本ではどういうわけか籠神社がシャショクの神を広めたくて、トヨウケの神、宇賀の御霊を下宮に収める際に一枚噛んでいると出ています
私は御朱印の蛇が、男系女系の象徴の両方を扱うのなら、出雲だと思うわけです。
お狐様はいつから入ったんでしょうね
いいねいいね: 1人
白蛇、白狐は越智から始まったんじゃないかな〜って思ってます。
先日ダンブルドア先生に言われて気づいたんですが、太宰府天満宮には白い狛犬が本殿前に鎮座しているんですよねぇ。
いいねいいね
つぶらな瞳がかわいい白い狛犬、嘉永年間のものですがとてもスタイルが良くて丁寧な仕事がされていますよね。
菅原道真公の子孫が代々太宰府から隠居して来たという水田天満宮にも同様の白い狛犬が居て、ずっと気になっています。
いいねいいね: 1人
はい、あらためてじっくり眺めてみると、本当にバランスよく丁寧に作られています。
水田天満宮ですか、そちらも今度訪ねてみます。情報ありがとうございます♪
いいねいいね
トイレ=風呂桶=水場…🦑( ゚д゚)
いいねいいね
失礼=失敬=不敬…😌
いいねいいね: 1人
失礼→モノ的に:失敬→場所的な入浴に:不敬→意味不明な水溜まり的に🦑
いいねいいね: 1人