大己貴神社〜神功皇后紀 11

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3月末、冷えた空気は神聖さをさらに引き立てた。
夜空がにわかに明るくなる頃、大勢の兵達を前に、一人の女性が立っていた。
神功皇后である。

「我が民よ聞きなさい。王の兵士らよ、我らが王に弓引く者どもは目前である。
我らはこれより荒海を渡り、神の指し示す大地を求めなければならない。
しかし憂いを残したまま、先に進むことも叶わぬ。」

「今ついに我々は、この国の英雄、八千矛王の威光さえもここに召喚した。
見よ。」

その時、山間から昇り始めた太陽の光が差し込み、
皇后の手にした神鏡に眩く反射する。
兵たちの間から感嘆の声があがる。
大王の死は隠されていたが、兵たちの間でそのことを知らぬ者はいなかった。
実際それを知って逃げ出した者もいた。
しかし今、ここに集う兵たちに迷いはない。
自分たちの目の前に立つ若く神秘的な女性には、
我が命を捧げるに十分なカリスマと美しさがあった。

「今こそ勝機、我が軍隊には不敗の道が示されている。
いざ、出陣ぞ!」

朝倉の地に、一斉に兵たちの声が響き渡った。

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【松峡八幡宮】
砥上岳を制し、中津屋神社を中宿とした皇后軍はさらに羽白熊鷲の拠点に迫ることになります。
「松峡八幡宮」(まつおはちまんぐう)は神功皇后が「松峡宮」をここに建て、本拠地としたところです。

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鳥居の先の石段を上ります。

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松峡八幡宮の眼前は筑後平野が広がっています。
筑後平野は今は田園が広がっていますが、かつては「中つ海」という浅い入り海でした。

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なので、ここは岬になっていたのでしょう。

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階段を上ったところに御神木の大楠があります。

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拝殿は経年による侘びた佇まいです。

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堂内には額絵がたくさん掛かっていました。

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本殿裏はえぐれたような崖になっています。

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皇后と重臣たちは、ここである作戦を思い立ちました。

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松峡八幡宮の裏手には「目配山」(めくばりやま)があります。
皇后がここで目配らせたという山で、山頂には皇后の腰掛石も残ります。

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目配山の山中に「御手洗滝」があり、皇后が手を洗ったとされます。
その滝から流れる川は「御化粧川」と呼ばれ、この川で皇后が化粧をしたと伝わります。

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【美奈宜神社】(林田)
皇后軍は軍を二つに分けて攻める作戦を立てました。
本体は後述の「大己貴神社」から熊鷲の本拠地を狙いますが、その前に一計を案じます。

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佐田川が筑後川に流れ込むあたりに林田という地区があります。
そこにある「美奈宜神社」(みなぎじんじゃ)は素戔嗚尊、大己貴命、事代主命の三神を祀っています。

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ここはかつて干満の差激しい、浅瀬の海でした。
そこで皇后は「川蜷」(かわにな)を呼び、一晩のうちに城を建ててほしいと頼みます。

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伝承では、皇后は「塩干珠」(しおひるたま)「塩満珠」(しおみつたま)を使ったとされますが、
中つ海の干満を利用したのでしょう。
夕暮れ、潮が引くと再び海が満たさないよう入口を堰き止めます。
そして約束どおり、川蜷が一夜にして見事、城を築きあげるのです。

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いきなり目前に現れた城に慌てたのは羽白熊鷲の軍隊です。
すぐに城を攻めおとそうと一気に軍隊を差し向けました。
そこで皇后軍は今度は堰を壊し、一気に海水を流れ込ませます。
いわゆる水攻めを行ったのでした。

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この川蜷が一夜で築いた城は「蜷城」(になぎ)と呼ばれ、
白鷺が舞い降りた場所に社を建てて祀ったのが「蜷城神社」となり、
「美奈宜神社」と呼ばれるようになったようです。

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御神木の楠は落雷で痛み、腐食が進んでいたところ、「KBC緑キャンペーン」で復活を果たしたそうです。

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ずらりと並んだ、本殿背後の式内社も圧巻です。

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この蜷城の水攻め作戦は、これから進軍を進める本体から目をそらさせる役目も果たしました。

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【大己貴神社】
いよいよ皇后軍本体は敵の本拠地目前へと迫ります。
その時、その恐怖に打ち勝てず、逃げ出す兵が出てきたと言います。

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皇后が原因を占うと、祟る神がいると言います。
名を「大己貴命」(おおなむちのみこと)、出雲大社のご祭神「大国主命」です。

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そこでこの神を祀ったのが「大己貴神社」(おおなむちじんじゃ)です。
扁額に「大神神宮」とありますが、ここは奈良の「大神神社」の元宮ではないかと言われています。
創建が奈良より古く、奈良と同じ町名などが付近に沢山伝わるからです。

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ただ、奈良の三輪山信仰は、古代出雲王朝期に大和へやってきた出雲族により創始されています。
社殿の創建はこちらが古いのかもしれませんが、祭祀の始まりはやはり奈良の三輪山にあったとみるべきでしょう。

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風情ある参道には石橋もあります。

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社殿はきらびやかで豪奢です。

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鮮やかな色彩の彫刻に目を奪われます。

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本殿も美しいです。

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地域の人たちは「おんがさま」とよぶそうです。

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こちらも、奈良の大神神社と同じように、御神体山を遥拝しています。

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その遥拝所では、爽やかな風が吹いていました。

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さて、僕は、ここ朝倉が「邪馬台国」だったのではいかと思っていました。
しかし富家の伝承によると、筑前・筑後平野一帯は、どうやら渡来人「徐福」の子孫たちが住まう物部王国だったようです。

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大己貴神社の派手な社殿は、もとはここが渡来人の聖地だったことの名残かもしれません。

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徐福は中華「秦の始皇帝時代」、始皇帝の命を受けて不老長寿の妙薬を求めて日本に2度渡来します。
一度目は西出雲に上陸し、「火明」(ほあかり)と名のりました。
二度目は佐賀に上陸し、「饒速日」(にぎはやひ)の名で、一帯に王国を造り上げます。

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神功皇后は羽白熊鷲を攻める上で、ここから陣を敷く必要性を重視しました。

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【老松神社】
陣営を整えた皇后軍本体は、羽白熊鷲包囲網を敷きます。
その七つの陣を「七ヵ森」と言います。
七ヵ森のひとつ「三府の森」があったところが「老松神社」です。

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大己貴神社から1キロ半ほど進んだ田園の中にあります。

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「七ヵ森」は「后の森、宮園の森、関谷の森、三府の森、会所の森、宮岡の森、梅園の森」とあったようです。
その多くは、もとは熊鷲側の陣営だったのではないでしょうか。
それをじわじわと制圧していったのでしょう。

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シンプルな社です。

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広大な田畑と山に囲まれた神社は気持ち良い風が吹き抜けていました。

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この近くに皇后の「丈競岩」(たけくらべいわ)というのがあるそうです。

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背後の奥には、目配山がありました。

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近くのそれらしい岩といえばこれしか見当たりませんでした。

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豪胆な羽白熊鷲もいよいよ押し迫られていくことになります。

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