深い深い渓谷を抱く祖谷郷。
そのような秘境に、あえて住み続けた人たちがいます。険しいV字の谷の、山の斜面を切り開き、石垣を積んでわずかな平地として家や畑を築く人たち。
奥祖谷と呼ばれる落合集落もまた、そのようにして作られた東祖谷山村集落の一つです。
この東祖谷山村集落はどのようにして生まれたのか、その正確な起源は定かではありませんが、南北朝時代の三木氏、菅生氏、西山氏、落合氏、徳善氏といった祖谷の南朝武士たちの存在が記録されており、中世の頃には、力ある集落が祖谷にあったことを窺わせます。
そのような集落の一角、徳島県三好市東祖谷下瀬に「栗枝渡八幡神社」(くりしどはちまんじんじゃ)は鎮座しています。
こちらの神社には鳥居がありません。
代わりに杉の木が二本、参道の真横に聳えています。
鳥居がない理由は、当社が安徳天皇の御陵であるため、鳥居を立ててはならないという掟があり、ずっとこれまで守ってきたためだということです。
祭神は「安徳天皇」「誉田別命」「天児屋根命」。
安徳帝はまあいいとして、ホムタワケもまあ八幡宮だしいいとして、なんで小屋根さんなのか。
息長・中臣氏と関連する一族が、創建に関わっているのでしょうか。
栗枝渡八幡神社の名称である「栗枝渡」(くりしど・くりすど)というのは、この地区の地名だそうです。
この名が、美馬市の白人神社や「ソロモン王の秘宝埋蔵伝説」のある剣山からほど近いことから、栗枝渡はキリストから来ているのだという説も、まことしやかに囁かれています。
ぐぬぬ、出たわね、キリスト伝説。
青森のキリストの墓にも行きましたが、まあなんでしょうね、ロマンってやつですかね。
ゴルゴダの丘に張り付けられた人は、キリストのお兄ちゃんだったって話でしたっけ。
で、本人は日本に逃れて来たと。なぜ、日本なんだろう、と僕は思ってしまいます。
拝殿の横に杉の木に囲まれた場所があります。
そこには、小さな石積みがありました。
どうやら、ここが安徳帝の火葬場跡と呼ばれているようです。
壇ノ浦で海へ沈んだ安徳帝は影武者で、本人は三種の神器とともに密かに四国山中へと逃れたという説。
そして186年、幼帝はこの地で病で崩御し、火葬にて清め奉られたということです。
火葬を執り行った場所は、本殿裏の禁足地だという話もあるようです。
またなぜか、その火葬場は冬でも雪が積もらないのだと云われています。
それにしても、白人神社の磐境神明神社でも思いましたが、この石積みは対馬を彷彿とさせます。
つまり安曇族と同系統の祭祀ではないかと。
それに上に乗せられた石、
蛇ですよね。
あそこで似たものを見ましたね、伊勢稲荷のあこねさん。
他にもなんだこれ?って石が、いくつか置かれています。
いやほんと、何なんだ、これ。
南朝武士にゆかりある土地に伝わる平家伝説。
ここも出雲散家が住んでいたのでしょうか。
謎深い山村集落は多くを語らず、今も静かに営まれているのでした。