鮭神社:常世ニ降ル花 土雲歌譚篇 番外

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福岡県嘉麻市にある「鮭神社」(さけじんじゃ)再訪です。

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山に近い、内陸部にある神社。

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何故ここが鮭神社なのでしょうか。

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今の福岡人には理解できませんが、かつてはここまで鮭がやってきており、それを奉納していたからだというのです。

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我が国は、なんと幸豊かな国であったことか。
減反だとか、エコエネだとか嘯いてきた大人たち、畜舎を燃やしている人たちは、神の怒りに触れなさい。

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祭神は「葺不合尊」(息子)・「火火出見尊」(夫)・「豐玉姫命」(妻)という構図です。
しかし主祭神は豊玉姫だと思います。

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由緒によると、社の近くにある俎石と呼ばれる岩に、毎年旧暦11月13日に遡上してきた鮭が鱗をくっつけるという俗説が伝えられているそうです。

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この鮭は龍宮の使いと考えられており、毎年の献鮭祭のある頃に鮭がこの神社まで無事に上がってくると米が豊作になると言われ、逆に、この鮭を捕えてしまうと目がつぶれ、家系が断絶すると言い伝えられていたといいます。

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そのため、この土地では昔から、鮭を食べないしきたりがあり、誤って鮭を食べてしまった時は「いま食べたのは鱒だ」と言い訳したともいわれています。

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実際には、集落の人たちのほとんどが、今では気にせず鮭をたべているそうで、この地域の約70世帯の集落のうち、2世帯のみがこの言い伝えを家訓にしており、また、鮭を食べないことにはシーチキンなども含んでいるとのことです。

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「鮭を食べない」で思い出すのが、佐賀の「與止日女神社」(よどひめじんじゃ)で、そこの祭神「與止日女命」 (よどひめのみこと)は神功皇后の妹となっていますが、まあやはり「豊玉姫」なわけです。
その使いである「なまず」を当地の人は食べないのだと伝えられていました。

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また、岡山の「鯉喰神社」(こいくいじんじゃ)は、吉備津彦が地方の賊「温羅」(うら)と戦った時、温羅は鯉となって逃れ、鵜となった吉備津彦に捕食されたと伝えられます。

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おそらくここは、豊玉姫を祀った、いわゆるヒミコ神社の一社だったのでしょう。
古事記・日本書紀で豊玉姫が龍宮の乙姫とされて、その使いが魚になり、海から山へ遡ってくる鮭が神格化されたものと思われました。

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「鮭神社」は全国に1社のみかと思われていましたが、実はもう1社、島根にもありました。

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そこは島根県雲南市大東町阿用、あの素敵なテラス付きワンルームの「塩竈神社」からほど近い場所です。

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たまたま島根県の鮭神社の関係者の方が、大分県の親戚の家に行く際、通り道に嘉麻市の鮭神社の看板を見つけ、その方が大分県からの帰り、嘉麻市の鮭神社に立ち寄り、それ以来親睦を深めたというエピソードのある神社です。

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おお、なんと素朴で、胸ジュンな神社なのでしょう。

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鮭神社と名のつく神社はこの2社のみ。
正確には、昭和58年(1983年)建立された、嘉麻市の鮭神社の分社がもう1社ありますが。

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蚊帳のかかった拝殿に、お邪魔させていただきます。

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素敵。
祭神はやはり「豊玉姫」。

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ここも、「氏子は鮭を食べてはいけない」「鮭をお供えする」など、同じ風習が伝えられています。

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この川にも、昭和の初めまで鮭が遡上してきていたそうです。

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「阿用」といえば、「目一つの鬼」の伝承がありました。
「目一つの鬼」は製鉄に由来するものだと思われますが、岡山の「温羅」もそうなのではないでしょうか。

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鬼とされたのは、大和にまつろわなかった民たちでした。

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失われたのは、幸豊かな国土ばかりでなく、心豊かな人々の存在もあったのです。
そうしたものを、少しでも再発見できれば、旅の意味合いも深くなるものです。

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