静岡県三島市大宮町に鎮座の「三嶋大社」(みしまたいしゃ)。
伊豆国一宮にして伊豆国総社のその神は、伊豆諸島の女神たちとウハウハで、最後に超絶美人のイコ奈ちゃんをモノにしたのだとか。
どんだけ色男神だったのか。そんなん僕だってウハウハしたい。
この三嶋神に次々と后を探しだしたスーパーコーディネーター(マックイーンさん曰く)が、「見目」(みるめ)さんなのだといいます。
見る目があるだけに。
しかし、三嶋大社の境内社「見目神社」(みるめじんじゃ)には、「見目6柱」と総称される「波布比売命」「久爾都比咩命」「伊賀牟比咩命」「佐伎多麻比咩命」「伊波乃比咩命」「優波夷命」の 后神だけが祀られているという謎。
もう一つ、境内社の「若宮神社」の祭神を見てみると、「物忌奈乃命」(ものいみなのみこと)「誉田別命」(ほんだわけのみこと)「神功皇后」「妃大神」と、八幡系の他には、物忌奈だけが祀られています。
若宮というと、子神が祀られることが多いのですが、三嶋神の正当な後継は彼だけだということでしょうか。
うむむ、謎。
富知六所浅間神社では見れなかった富士山が、この日は見れました。
いがいと、おっきい♡
それで、静岡県裾野市にある「見目神社」を訪ねてみることにしました。
三嶋大社近辺には、見目と称する神社が数社あります。
時間の関係もあり、この裾野市の見目さんに会いにきたのですが、
祭神は「高倉下命」(たかくらじのみこと)となっています。なんでじゃい。
由緒によれば、創建は不詳。
初代天皇東征説の丹敷戸畔(にしきとべ)遭遇時、神剣を献上した高倉下の伝承に基づき、熊野信仰に由来し祭神として祀られたと思われるとかなんとか。
また、三嶋大社の御手洗川にあたる大場川が付近を流れており、対岸の伊豆佐野に鎮座する見目神社とともに川が穢れぬよう見張っていたとも。
「見張る目」ゆえに「見る目」になったと伝えられます。
高倉下祭神説はさておき、見目神の事を考察してみたいと思います。
伊古奈比咩命神社では、見目は三嶋神の随神のような立ち位置で語られ、彼と伊古奈比咩を結びつけたとして見目弁財天が縁結びのご利益とともに祀られていました。
また、見目(みめ)とは「御妃」(みめ)を意味するともいわれています。
しかし、先の境内社に祀られていた6柱の三嶋神の后神の中には、本后の阿波姫はおろか、後后の伊古奈比咩も名を見ることはありませんでした。
では、その他大勢の妃たちの状況を見てみると、波布比売は大島に、久爾都比咩は新島に、優波夷は八丈島に、伊賀牟比咩・佐伎多麻比咩・伊波乃比咩は三宅島に祀られています。
『続日本後紀』には、三嶋神の本后として阿波姫、その御子神として物忌奈乃が記されており、その他には後后(伊古奈比咩命)があった旨だけが記載されています。
伊豆諸島の神々を訪問したわけではないので何とも言えませんが、神津島の阿波命神社と伊古奈比咩命神社の本来の祭祀状態を見れば、それが霊峰富士と一直線につながっている事を示しており、富士大山祇としての三嶋神の后は、このお二人だけだったのではないかと推察されます。
この見目神社の社前には、6個の自然石が祀られており、これが見目6柱を表しているのではないかと思われます。
「舎護社」「愛宕社」「八幡社」
「姥社」「風神社」「耳石社」、これらは三嶋神に連なる、何かなのでしょう。
もうひとつ、三嶋大社の境内社「若宮神社」にも興味深い伝承がありました。
祭神の「物忌奈乃」は三嶋神と阿波姫の御子神ですが、古くは「元ツ神」と呼ばれた地主神で、大社西の二ノ宮町に鎮座したという話です。
社家は西大夫で、『吾妻鏡』では「二宮八幡宮」に料所を付す記事が見えるとのこと。
社地移転に関する伝承として、三嶋神が地主神の若宮八幡に藁一把分だけの土地を譲るよう頼み、若宮八幡が了承すると、三嶋神は藁束を解いて一本ずつ輪にして広大な社地を占有するに至ったということです。
これによく似た話は、春日大社、高良山玉垂宮など、いくつかの神社で見かけます。
この手の伝承が意味するのは何なのか、気になるところです。