
萌神降臨☆

奈良県御所市茅原にある「吉祥草寺」(きっしょうそうじ)を、豪雨の中、参拝してきました。

大和盆地の南部に位置し、西に金剛・葛城の山並を間近に望む場所に伽藍を構える吉祥草寺は、山号が茅原山、金剛寿院吉祥草寺と称する古刹です。

この地は修験道の開祖「役行者」(えんのぎょうじゃ)の出生地とされ、また役行者により開基、舒明天皇により創建されたと伝えられます。
西に聳える葛城山系は、若き日の小角の修行の場であり、その主峰葛城山(金剛山)は、小角が鬼神を使って金峯山(大峯山)との間に石橋を架けさせようとした所と云われています。
まあ、雨で何も見えませんが。

役行者は「役小角」(えんのおずぬ)とも呼ばれ、はじめは葛木山に住み、呪術に長けていたので、人びとから称賛を受けていました。
外従五位下の韓国連「広足」も弟子入りし、師と仰いでいました。
しかしその後、広足が彼の能力をねたみ、あやしい言葉で人びとを惑わしたと触れて流言しました。
そのため、文武天皇3年(699年)5月24日、彼は伊豆大島へ配流されることになります。
その伊豆からも彼は様々な活躍をしたと云われ、今では「小角は鬼神を使役することができ、水を酌ませたり、薪を採らせたりした。もし鬼神が彼の命令に従わなければ、すぐに鬼神を呪縛した」と世間で伝えられています。

小角の母は、賀茂役氏の娘・都良女(白専女)という女性でした。
「役」は「賀茂の役の公民」であることを示します。
出雲の旧家の伝承では、役小角は出雲族の出身であったと伝えられており、同じ出雲族出身の賀茂氏に仕える家だったものと考えられます。

小角は若い頃より博学で、仏教の知識も豊富でした。彼の先祖は出雲出身で、サイノカミ信仰も持っていました。
当時は仏教が盛んになり、その勢力の圧力により古いサイノカミ信仰は廃れつつありました。それで彼は、仏教勢力の及ばない山岳で、サイノカミ信仰を守る宗教をつくろうと考えました。
それが、修験道の始まりであったといいます。
山陰地方では、斎の木に巻きつく竜神やサルタ彦大神などの守護神が荒神と呼ばれましたが、サイノカミを「幸神」と書くと、「荒神」と同じ音読みとなるので、「幸の神三神」は仏教の三宝にな
らって、「三宝大荒神」と名づけられ、小角がその信仰を広めたと云われています。
彼は表面上では仏教の一派のように装い、したたかにサイノカミ信仰を広げ守ったのです。

こうして生まれた修験道は、出雲のサイノカミ信仰とつながりがあったので、多くの出雲散家(出雲忍者)も入信するようになりました。
それで、彼らの忍びの技も、修験道に取り入れられ、やがて修験道が盛んな山々やその付近の地域では、忍びの技も発展するようになっていきました。
サイノカミ信仰のサルタ彦大神と、山々を身軽に駆け回る修験者の姿が結びつき、鼻高天狗の姿のイメージがつくられるようになったとも云われています。

役小角は、修験道の開祖として長きにわたって崇められるようになり、江戸時代には朝廷から「神変大菩薩」の論号が贈られました。
彼は空海にも影響を与えたと云われ、高野山で即身成仏を遂げた空海の伝統を受け継いだ一世行人一派が、山形の湯殿山周辺で木喰行(断食行)を行い、即身仏寺が多く存在することとなりました。

これらのことは、大元出版「富士林雅樹」著 『出雲散家の芸と大名』に詳しく書かれておりますので、ご興味ある方は一読されることをお勧めします。



さて、吉祥草寺では、本堂内には不動明王を中心とする五大尊が本尊として祀られ、この他薬師如来立像や地蔵菩薩立像といった平安から鎌倉時代の作とされる木彫像が安置されています。
また、本堂裏手の開山堂には、江戸初期の作と思われる等身を超える木造の役行者倚像・前後鬼坐像が祀られていますので、必見です。

この役行者像は顎髭がなく、若き日の役小角の姿を写した珍しい像で、同じく堂内に祀る木造役行者母公坐像も、他に遺品の少ない貴重な作例だとのこと。
当然ながら、本堂御本尊ふくめ、全ての像が撮影禁止となっていますので、参拝してその目で見る他ありません。

しかしながら、本尊で唯一撮影可能な神像があります。それが

役小角奈(えんのおずな)ちゃんです☆
吉祥草寺は世界で初めて、萌えキャラクターを信仰対象として祀る試みが行われている寺院なのだそうで、平成29年(2017年)1月17日、小角奈と役追儺(ついなちゃん)という2人の萌えキャラクターを役小角の子孫として公認。

さらに同年10月24日には役小角奈、11月12日の採燈大護摩供には役追儺の特大アクリルフィギュアを仏像とし、本山修験宗総本山の聖護院門跡から山伏を招いて入魂の儀が行われたのでした。
・・・なかなかヤりますな😎ついなちゃん、かわよ。

萌が神化したっていいじゃない。たぶん『古事記』や『日本書紀』が世に出た際も、飛鳥人も「あまてらすモエ~」「くくりひめモエ~」て言っていたはずです。
第一次産業も、モノづくり産業も、とことんダメにされてきた今の日本、もはや救いの道は「萌え文化」しかないのかもしれません。




🐣萌えは正義
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萌えは世界を救う🦑
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