
岡山県倉敷市児島稗田町、道路脇の丘の上に、ぽつんと鎮座する「磐長姫神社」(いわながひめじんじゃ)があります。

イワナガヒメは大山祇神の娘で、妹のコノハナサクヤヒメと共に邇邇芸命(ににぎのみこと)の元に嫁ぎましたが、花のように美しい妹に対して姉は醜女(しこめ)であったため、父親の元に送り返されたと神話に語られます。
大山祇はコノハナサクヤヒメが「花のような繁栄」、イワナガヒメが「岩のような永遠」を天孫にもたらすであろうとの誓約をたてており、姉を拒否したことで、天孫の子孫たる我々の寿命が短くなったということです。

この話を改めて考察すると、薩摩の阿辰姫(コノハナサクヤ)を娶った物部王朝は、越智族の姫(イワナガ)を拒否したので、大和での支持を得られず短命王朝(3代で終焉)になったとすることができるかもしれません。

磐長姫神社の社殿の横には、いかにも磐座であると言わんばかりの巨石があります。

ゴトビキ岩のようなでっぷりとした岩。

イワナガヒメが越智族の姫であるとする考えは、伊予(愛媛)の阿奈波神社を見た時に思い浮かびました。
「岩のような永遠」を意味する彼女の名は、変若水の信仰にも当てはまります。

阿奈波神社、及び伊豆大室山の浅間神社では、イワナガヒメが父の元に送り返されたとき、彼女は邇邇芸の子を懐妊しており、産屋を作って出産したと伝えられています。
また『古事記』において大山津見神の娘で、八島士奴美神と結婚する「木花知流比売」(このはなちるひめ)は、イワナガヒメの別名であると考える向きもあるようです。

八島士奴美(八島士之身)は、郷戸家の祖神で、出雲王国2代目大名持になった方です。
イワナガヒメとは、 八島士奴美と物部イニエ(邇邇芸)に嫁いだ二人の姫君を重ね合わせたものなのかもしれません。
ところで当・磐長姫神社の神体はこの磐座かと思いきや、

社殿の裏に本殿となる石の祠があり、

それは半分以上が土に埋もれた巨岩の上に建っていました。

白蛇の磐座、これが当神社の真の神体でしょう。


倉敷市福江、磐長姫神社より車で5分の場所に、「木華佐久耶比咩神社」(このはなさくやひめじんじゃ)も鎮座していました。

由緒によれば、千数百年の歴史を有しているとのこと。

磐長姫神社に比べれば、はるかに立派で大きな神社です。

しかしあの白蛇の磐座を守る磐長姫神社に対し、こちらは後付け感を受けました。
物部イクメ王は瀬戸内を進みましたので、ここに阿辰姫が祀られていても不思議ではありませんが。

30分ほど登った福南山山頂に奥宮があるそうですが、ここはまあ、いいか。
福南山の福って、徐福の福かな。

倉敷近辺にはイワナガヒメ関連で改めて気になる場所が出てきたので、またいつか、散策してみます。


磐長姫神社、磐座そのものが磐長姫!
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磐長姫は不老の象徴ですからね😌
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narisawa110
アタツ姫に関しては、一般的には隼人説があるんですね。
現在の大元本の系図には八神姫のところが消された丸になっていたと記憶しています。
当時の政略結婚的な視点から見ればサクヤヒメとチルヒメは別の家という考えも出てくる気がしますね。同じ家から姫を二人もらってもなんの得にもならない気がする
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僕も別の家だったのではないかと考えています。あるいは本家と分家、西王家と東王家のようなものなのかもしれません。
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