神蹟 隠ヶ丘/月讀神社:常世ニ降ル花 神門如月篇 01

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日の本の夜を守る神社「日御碕神社」のその先、

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島根県出雲市大社町日御碕、島根半島のほぼ最西端に位置する高台に、「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)の終焉の地と呼ばれる神跡があると聞いて、訪ねてみました。

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それが「隠ヶ丘」(かくれがおか)。
入口にある由緒書きによると、出雲の国造りを終えたスサノオが、後のことを大国主に譲渡し、自らは根の国に渡り、熊成の嶺に登って柏葉を拾い、
「私の魂は、この柏葉の止まる所に住もう」
と言って投げたところ、その柏葉がひらひらと舞い降りた場所がここだということです。

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「スサノオ=徐福」という考えは限定的であり、そろそろその発想を改めようと思っています。
根の国に渡り、スサノオが登ったという「熊成嶺」(くまなしのみね)とはすなわち「熊野山」のことであり、あの「天宮山」のことになります。

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つまり、ここでいうスサノオは、出雲王国初代「菅之八耳 」(すがのやつみみ)王のことであり、その御魂を当地に祀ったのが「天之葺根命」(あめのふきねのみこと)、別名7代大名持「天之冬衣」(あめのふゆきぬ)である、ということになります。

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緩やかなカーブを描く参道を少しばかり歩くと、目的の地が見えてきました

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が、その前に、境内社と思われる社に参拝します。

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「稲荷大明神」ですか、なるほど。

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箒がかけてあったので、僕自身の穢れ祓いの意味も込めて、境内を軽く清掃しておきましょう。

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きれいな五条桐彦となったところで、いざ、隠ヶ丘を参拝します。

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おお、確かに古代祭祀跡を思わせる雰囲気です。

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安寧天皇13年(紀元前536年)に、天之冬衣の5世孫である御沼彦(みぬまひこ)に命じて、今の日御碕神社の「神の宮」(上の宮)に社殿を建て遷座したということです。
この社が『出雲国風土記』に「美佐伎社」、『延喜式』に「御碕社」と記される社となります。

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おお、ここ隠ヶ丘は、富家ファンにとっても、聖地中の聖地と言えるのではないでしょうか。
菅之八耳王のご遺体は天宮山の磐座に埋葬されたのでしょうが、言わばここは、出雲王国初代王の拝み墓があった場所なのかもしれませんから。

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この日御碕の場所は古代出雲王国の東王家と西王家の、ちょうど境界ラインになりそうです。
天之冬衣さんは富家のひとではありますが、

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かのB女史さんは、こうおっしゃいます。
「和邇氏の実態は、神門系です。日御碕神社の小野家の末裔であることが、この小野家の方との対談でわかりました。天之冬衣の末裔ですね。
天冬衣自体は、冨家ですが、その後に神門系になります」

…ど、どゆことー???

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賽銭箱に大きく描かれる神紋は「三ツ柏」。
スサノオが「吾が神魂はこの葉の止まる所に住まん」と投げた柏の葉にちなんだものだと言いますが、葉の形がギザギザになっています。これは梶の葉ではないのでしょうか。

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柏の葉はこのように葉先が丸く、梶の葉はギザギザです。梶の葉の写真は、良いフリー素材が見つかりませんでしたので、検索してみてください。

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また、隠ヶ丘の三ツ柏と須佐神社の神紋が同じ柏紋であると説いてあるサイトを見かけましたが、須佐神社の神紋は葉先がなだらかで、隠ヶ丘のものとは別物と見た方が良さそうです。

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どちらかというと、一般的にいわれる「えびす紋」に近いものと思われます。

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まあ、そもそも紋というのはデフォルメありきなものであり、柏紋か梶紋かと区別するのもあまり意味がないのかもしれませんが、この杜には、深い秘密があるのかもしれません。

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日御碕神社には、アマテラスを祀る日沉宮(ひしずみのみや)とスサノオを祀る神の宮があります。
そうとくれば、ツクヨミさんはどこにいらっしゃるの?と探してみれば、ちゃんとありましたね。

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で、29号線脇の小さな入口を見つけ出し、突進してみたのです。突撃!

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いきなり行き止まり。ガーン。
でも大丈夫。これはイノシシなどの動物避けの柵であって、戸を開けて進むことができます。
開けたら、ちゃんと閉めましょう。

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なだらか道を歩み進めます。

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途中、脇道の先に、墓石を発見しました。
後から聞くと、ここは日御碕神社宮司家代々の墓地なのだとのこと。

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月讀神社への道は続きます。

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また脇道の先に遺跡のようなものを発見。
ここも小野家の御陵であったと聞いています。

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深淵へと続く道を独り歩きます。

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しばらくすると、少しひらけた場所に、社殿が見えてきました。

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やったー着いたー。

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Googleマップで見た時は山中の社で苦労するかと思いましたが、意外に楽勝でした。

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2礼2拍手1礼の後、顔を上げます。
ん?

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月讀神社やないんか~い。。
推惠神社(すいけいじんじゃ)とあります。

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なるほど、月讀神社への参道(山道)はあちらということね。

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あと180m、ちょろいな。

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そう意気込んだのですが、この後壮絶な参道が、僕を待ち構えていました。もう帰りたい。

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さて、先ほどの末社「推惠神社」の祭神は「尊俊道命」(たかとしじのみこと)と「清操辺命」(すがみさべのみこと)でした。
この尊俊道命とは、日御碕神社68代宮司「小野尊俊」(おののたかとし)のことですが、語られる彼の壮絶な人生を、僕の壮絶なトレッキング風景を背景に紹介したいと思います。

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ある時、松江藩松平家2代目の綱隆は、日御碕神社を訪れることになりました。この時、彼を饗応したのが検行で宮司の小野尊俊でした。
尊俊は妻の花子と共に、綱隆をもてなしました。すると綱隆は、尊俊の妻の美しさに魅入ってしまい、これをモノにしたいと考えました。
綱隆はその後、花子の実家・神谷家に、娘を離縁させて側室として城へ参内させるよう強く求めましたが、神谷家は固く断りました。
そこで綱隆は、尊俊にあらぬ罪を被せ、隠岐に流罪としたのでした。

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尊俊が流罪となったあと、綱隆は再三神谷家へ、花子を城へ連れてくるよう命じました。悲嘆に暮れた花子は、夫への操を立てるため、ついに自害に及ぶのでした。
そのことを知った尊俊も、三日三晩の呪詛を施し、自ら絶命したといいます。
延宝2年(1674年)のことでした。

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そのようなことがあって後、松江城内では異変が続き、騒ぎとなります。そして翌年、綱隆は45歳で急死したのでした。
これは尊俊の祟りである、と噂され、さらに出雲では厄災が続き、財政は逼迫、藩主にも不幸が続いたと云われます。
尊俊が亡くなって60年近くが経った享保18年(1732年)、6代藩主の宗衍は命じて、松平家の土地であった松江の楽山に尊俊を祀る推恵神社を建てさせました。
さらに隠岐島の海士町に設けられていた尊俊の廟にも、推恵神社が建てられました。

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隠岐の知夫里島に鎮座する「天佐志比古命神社」(あまさしひこのみことじんじゃ)には、小野尊俊が悲嘆に暮れて座り続け、中心がへこんだといわれる「検校の石」がありました。
中ノ島・海士町では「隠岐神社」境内のはずれに、小さな箱のような推恵神社が残されているそうですが、昭和15年(1940年)に隠岐神社の改築が行われた際に石棺が発掘され、中にはミイラ化した白骨体があったとのことです。この報を受けた当時の日御碕神社宮司は、現地に赴き、小野尊俊の遺体であると確認したとの逸話が残っているそうです。(日本伝承大鑑

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推惠神社のもう一柱の祭神「清操辺」は、夫への操を立てて自害した小野尊俊の妻・花子のことであろうと推察されます。
つまり推惠神社の中でも小野尊俊夫妻が揃ってまつられるのがここであり、切なくも、サイノカミとしての形を残すものなのです。
彼らの御魂が常世で安らかであるようにと願いつつ、腰まで及ぼうかという藪漕ぎの黄泉路の果てに、ようやく僕も辿り着きました、

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「月讀神社」へ。

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人を寄せ付けぬ雰囲気の山頂に、ひっそりと佇む小さな社。
祭神は「月夜見尊」(つくよみのみこと)と「高皇産霊尊」(たかみむすびのみこと)。
後者は後付けのものと思われ、本来はおそらくツクヨミ一柱のみが祀られていたことでしょう。

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古来、月は常世の入口であると考えられ、月に坐すツクヨミの神は命の源泉たる変若水を持っているとされていました。
変若水は、竹のヨ(節)とヨの中を満たしたのでカグヤは竹から生まれ、龍宮を満たしていたのでウラシマは海中でも息ができたのです。
常世とは、命が生まれ、命が還る場所。

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小野家の御陵・墓地があり、小野尊俊夫妻の御魂を鎮めるこの山は、磐座こそ見当たりませんが、小野族における天宮山なのかもしれません。

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僕は思います。日本の夜を守るという日御碕神社、その謂れの本来の聖地はここ、月讀神社なのではないでしょうか。

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隠ヶ丘と当地を知って改めて、小野族の何たるかを考えてみる次第なのです。

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3件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    いけ新撰姓氏録的に考えると、クシヒカタ→磯部氏→宇治土公氏になるんですね。

    更には、猿女の役職が小野や、ワニから出ていた時期もある様です。

    匂う、ニホフぞw

    いいね: 1人

  2. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    本日も破壊力のある記事を有り難うございますwwwww

    ウズメに関して考えてみました。ウズメやサルタヒコは都合よくつかわれてきた経緯があり、白髭神社などの朝鮮系の神社の上書きに使われてたりします。

    神門臣に関して考えてみました。椿大社はどうも神門臣家、タキツ彦系かなと想像します。そして大山の社家も神門臣系、春日家や花田家に近いという印象。

    ヤマトの加茂家に関して考えてみました。神門臣、富家の境が曖昧でわけわからなくなっています。

    和邇氏に関して考えてみました。クニオシヒトからの別れですが、実際には出雲系であることが口伝本には書かれていました。

    此処からが大事件なんですが、小野家で継承されてきた「稗田流」って、つまり神門臣家の語り部の資料がベースになってるって事になりませんか?よく考えたらその方が地域的にも矛盾がありません。王家は婿や嫁を贈りあってたでしょうから、本質がどちらにあるのかは後年の人の解釈ですものね。

    わぁーぉ、他の記事の事が全く頭に入ってこないwww

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      確かに椿大神社が神門なら、猿女由来の稗田流がしっくり来ます。

      いいね

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