川勾神社/六所神社:八雲ニ散ル花 東ノ国篇 22

投稿日:

img_5926-2024-12-4-08-23.jpg

三九郎さんに教えてもらった、ラーメンを食べてきました。

img_5927-2024-12-4-08-23.jpg

こういう店が増えてきた気もするし、減った気もします。
「人」に「良い」と書いて「食」。その誇りを失っていない飲食メーカー、飲食店、料理人、料理研究家がどれほどいるのだろうか。
アミノ酸系の代表的添加物は、一時期、石油カスから作られていたものを、今はサトウキビカスを発酵させて作られているそうです。
そのサトウキビは雑草を枯らす除草剤に耐えうるように遺伝子操作されたサトウキビなわけで、まあ残留農薬が懸念されます。
基準値以内だからというのでしょうが、ザルだからね、日本の基準値なんて。
あと、プラスチックや発泡スチロールを高温に加熱したり熱湯注いだりするのも、どうなんかね。

img_5928-2024-12-4-08-23.jpg

そもそもなんでサトウキビなん、って思う。旨み成分としてのグルタミン酸を取るなら、昆布から取るのが普通でしょ。
コストや手間がぁっていうのでしょうけど、食べる人の健康を蔑ろにするんだったら、「食」のプロを名乗る資格は無いよね。

c1d-2024-12-4-08-23.jpg

c030310-2024-12-4-08-23.jpg

さて、OSAMARUさんから情報をいただいていた、神奈川県中郡大磯町の「六所神社」を訪ねてきました。

c030318-2024-12-4-08-23.jpg

当社は相模国総社で、当地に元々あった柳田大明神社に、相模国の一宮から四宮まで、および五宮格の平塚八幡宮の祭神を合祀しており、六社の神を祀ることから「六所神社」と言うそうです。

c030317-2024-12-4-08-23.jpg

由緒によれば、崇神天皇(物部イニエ王)の時代、出雲国よりこの地に氏族が移住し、開墾したと伝えられます。
彼らはこの地を「柳田郷」と名付け、出雲の祖神である櫛稲田姫命・須佐之男命・大己貴尊を祀って「柳田大明神」と称し、現在地より北西1kmの石上台(伊勢神台)に社殿を築いたといいます。

c030319-2024-12-4-08-23.jpg

イニエ王の時代というのが正しければ、第一次物部東征と第二次物部東征の間の時期、ということになります。

c030313-2024-12-4-08-23.jpg

東国は、かなり古い時期から出雲族の移住が語られていますので、この時代にはすでにある程度地盤はできていたのではないでしょうか。

c030311-2024-12-4-08-23.jpg

祭神は、柳田大明神として「櫛稲田姫命」「須佐之男命」「大己貴尊」となります。
このスサノオは、スガノヤツミミでしょうね。

c030315-2024-12-4-08-23.jpg

ちなみに合祀された一から五の宮とは、

一宮:寒川神社
二宮:川勾神社
三宮:比々多神社
四宮:前鳥神社
五宮:平塚八幡宮

となります。

c030320-2024-12-4-08-23.jpg

c1d-2024-12-4-08-23.jpg

c030292-2024-12-4-08-23.jpg

生竜ラーメンさんの近くに、相模国の二宮さんがあるというので、足を伸ばしてみました。

c030293-2024-12-4-08-23.jpg

神奈川県中郡二宮町山西に鎮座の「川勾神社」(かわわじんじゃ)です。

c030294-2024-12-4-08-23.jpg

式内社で、『二宮川勾神社縁起書』によれば、垂仁天皇御世に余綾・足柄両郡の東西海岸が磯長国(しながのくに)であった頃、磯長国国宰である阿屋葉造(あやはのみやつこ)が勅命を奉じて当国鎮護のために創建したと記されます。
風格ある茅葺きの神門は、お怪我中でした。

c030295-2024-12-4-08-23.jpg

先の六所神社にほど近い場所に、同社の神領地であった「神揃山」(かみそりやま/かみそろいやま)と呼ばれる丘があります。
その神揃山では、毎年5月5日に、相模国の一宮から五宮、そして総社と言われた六所神社の神輿が一堂に集う「国府祭」(こくふさい/こうのまち)が執り行われます。

c030306-2024-12-4-08-23.jpg

これは古くは「端午祭」と呼ばれた祭りで、『吾妻鏡』にもその記事が見えるとのこと。
祭事の中心は正午から行われる「座問答」(ざもんどう)と呼ばれる神事になります。

c030296-2024-12-4-08-23.jpg

座問答は、一宮の寒川神社と二宮の川勾神社が一宮争いをし、三宮の比々多神社宮司により「決着は翌年に」と仲裁が入ることで締めくくられます。
これは、「相武」(さがむ)と「磯長」(しなが/師長)があわせて相模国となったとき、寒川神社と当社のいずれを相模国一宮とするかで争った故事による象徴劇のようなものですが、この三社の立ち位置に、古代の歴史を紐解く秘密があるような気もします。

c030300-2024-12-4-08-23.jpg

座問答が終了すると、六所神社へ迎えの使者が送られ、使者を受けた六所神社の神輿が「大矢場」(おおやば/高天原)と呼ばれる場所へと向かいます。
一宮から五宮の神輿も大矢場へ移動し、七十五膳の山海の幸を献上して六所神社の神輿を迎え入れ「神対面神事」などが行われるそうです。
これは五社の男神が、六所神社の女神・櫛稲田姫に神婚を求める祭りであるとする説もあるようで、なるほど意味深いものだなと感心します。

c030297-2024-12-4-08-23.jpg

川勾神社の祭神は「大名貴命」(おおなむじのみこと)、「大物忌命」(おおものいみのみこと)、「級長津彦命」(しなつひこのみこと)-、「級長津姫命」(しなつひめのみこと)、「衣通姫命」(そとほりひめのみこと)の5柱。
天保12年(1841年)成立の『新編相模国風土記稿 巻之40』では、祭神を「衣通姫命」「大物忌命」「級長津彦命」の3柱としているそうです。

c030298-2024-12-4-08-23.jpg

非常に気になる祭神ですが、出雲ゆかりであることは間違いなさそうです。
シナツヒコといえば、「神風」の神として有名ですが、当地が磯長国の中心地であったと考えられることから当てはめられたと考える向きもあるようです。

c030302-2024-12-4-08-23.jpg

社名及び地名の「川勾」(かわわ)は、『新編相模国風土記稿 巻之40』に往古にこの地で押切川が曲流していたことに由来するとあるそうですが、

554639-2024-12-4-08-23.jpg

“なんでも越智病”の僕なんかは、やはりあの方を連想してしまいます、「あわわ」。

c030304-2024-12-4-08-23.jpg

あわわの姫に関係があるかは分かりませんが、祭神の中の1柱「衣通姫」(そとおりひめ)について少しみてみます。
衣通姫は、その美しさが衣を通して輝くほどの美女であったとされ、本朝三美人の一人に数えられています。
和歌に優れていたとされ、和歌三神の一柱としても数えられます。

c030303-2024-12-4-08-23.jpg

彼女にまつわる話は、記紀の間で異なり、『古事記』では、19代允恭大君の皇女「軽大郎女」(かるのおおいらつめ)の別名とし、同母兄である軽太子(かるのひつぎのみこ)と禁断の恋に落ちた姫として語られます。
允恭大君崩御後、軽太子は群臣に背かれて失脚し、伊予へ流刑となります。彼を追って、衣通姫も伊予に赴きますが、再会を果たした後、二人は心中しました。

c030305-2024-12-4-08-23.jpg

『日本書紀』では、允恭大君の皇后・忍坂大中姫の実妹「弟姫」(おとひめ)とされ、大君に寵愛された妃として描かれます。
和歌に秀でていたとされる彼女は、紀伊で信仰されていた玉津島姫と同一視され、玉津島神社に稚日女尊、神功皇后と共に合祀されました。

554639-2024-12-4-08-23.jpg

結局、「かわわ」が「あわわ」であるかどうかは定かではありませんが、衣通姫が「かわわウィ~」姫だということは分かりました。
磯長国造を阿屋葉造(あやはのみやつこ)と呼んでいたそうですが、あやは、あやわ、あわわってことにはならないですかねぇ、「あわわ」。

c030307-2024-12-4-08-23.jpg

『二宮川勾神社縁起書』には、磯長国造の大鷲臣命、相模国造の穂積忍山宿禰(ほづみおしやまのすくね)によって神宝の奉納があり、ヤマトタケルが東征の折に参拝し、衣通姫命も皇子誕生安隠のために奉幣祈願したと伝えられていました。

c030309-2024-12-4-08-23.jpg

4001e585ade68980e7a59ee7a4be-2024-12-4-08-23.jpg3920e5b79de58bbee7a59ee7a4be-2024-12-4-08-23.jpg

5件のコメント 追加

  1. 三九郎 のアバター 三九郎 より:

    六所になる前の、柳田という言葉。氣多神社について調べていたら、『柳田神は沼河姫と称す』との考察が捗りそうな云われを見つけました。大日本地名辞書 中巻 p1933より。

    国立国会図書館のアーカイブのリンクです。これからは、トラッキング防止も兼ねて、クリーンリンクを貼るようにします。

    https://dl.ndl.go.jp/pid/2937058/1/51

    いいね: 2人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      柳田神が沼河姫を表すと言うのも良き情報ですが、リンク先がまた素晴らしいですね。

      いいね: 1人

  2. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

    おそらく氏子の方々でしょうね。
    気になりますね♪

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      おおー🤩

      いいね: 1人

  3. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

    国府祭、面白そうですよね。
    ちょっと気になっています😊

    富塚八幡神社に祀られる冨属彦は、伊勢津彦の末裔らしいですね。伊勢津彦は、どうやら神門家の血筋のようです。
    この後の記事は、一旦対馬になり、その後また富塚八幡神社などを書こうと思います。

    いいね

三九郎 への返信 コメントをキャンセル

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください