國吉神社:常世ニ降ル花 神門如月篇 14

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KANEKOさんと僕の、いすみ巡礼地のラストは、「國吉神社」(くによしじんじゃ)となりました。

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「千葉県の国吉神社は伊甚國造と関連した神社で、主祭神は諏訪神です」

B女史さん改め、「ブリュショルリ氏」、いえここはもう『ブリュ師匠☆』と呼ばせていただきましょう。
「神門如月篇」のシリーズを始め、ここ最近の考察は、ブリュショルリ氏のマニアックな教えをもとにさせていただいている部分が大きいのです。
ブリュ師匠は大元出版にも関わりのある御方。
その師匠がポロッと教えてくれた上の一文が、僕がはるばるここにやってきた動機です。

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で、はるばる國吉神社にやってきたのに「出雲大社」じゃん、って思っちゃいますが、いえ、こちらは國吉神社に併設されている出雲大社の分社でした。

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お隣には、「日御碕神社」まであるんですね。

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分祠は幕末の頃のようで、かつて、この地方に斧嶽(ふがく)と呼ばれる怪力で才智の持ち主がおり、出雲大社の奉納相撲で無敵の強さを示すと、出雲大社の宮司に見込まれて神璽(みしるし)を授けられたことが現在の同社の起こりといわれています。

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境内にはもう一社ありました。
こちらは「金比羅社」となっていますが、なぜ出雲大社分社に四国の金比羅社が?と違和感を感じました。
存在感もちょっと異様です。
思うに、こちらは本来、出雲大社分社の境内社ではなく、國吉神社の境内社で、「琴平社」だったのではないでしょうか。
そう僕は、國吉神社と玉﨑神社の関連性を、考えています。

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出雲大社分社のすぐ隣に、「國吉神社」の参道があります。
光が差して、神々しい。

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由緒によると、「千葉県中央部がまだ上総国となる1500年の昔まで、この地域はいくつもの小国に分かれており、長生・夷隅地域を伊甚国造(いじみのくにのみやつこ)が治めていました」とあります。

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「第27代安閑(あんかん)天皇の御代、国造は春日皇后に屯倉(みやけ/御料地)を献上し、現在の神社の鎮まる、いすみ市苅谷の地に勅使を迎える為の仮屋(かりや)が設けられ、後にこの仮屋跡に伊甚国造の祖である天穂日命(あめのほひのみこと/出雲国造の祖)と建比良鳥命が仕えた大国主命の御子神である健御名方命がまつられたのが始まりです。後に各地の神々が合祀され国吉神社と称されるようになり、厄除け・八方除け・交通安全・家内安全の神社として信仰されています」

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記紀に則した今の歴史では、確かにホヒとタケヒナドリは大国主に仕えたことになっています。
タケミナカタは大国主の息子になっていて、一般的な神社はそれに倣うのが通常となっています。

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古事記では伊甚国造家の祖先はホヒとなっており、ホヒの子孫が神代に仕えていた君主の息子をここに祀った、というのが由来の内容。

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しかしタケミナカタは、ホヒ・タケヒナドリ親子と海童らの所業に腹を立て、出雲を去ったのでした。無理も無い。
そのホヒの子孫がタケミナカタを祀ったとあったら、彼の立つ瀬もないというものです。

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しかし実際は、例の偽装された系図にも分かる通り、

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ここでいうホヒは西出雲王家のサワケであり、そしてその2代後の伊佐我命=伊勢津彦命の子孫が伊甚国造となります。

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ところがそれだと、伊甚国造家はアジスキタカヒコでも祀りそうなものですが、なぜか東王家のタケミナカタを各地で祀っているのです。
そこに謎があります。

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さて、由緒にもあるように、ここ、國吉神社創建は約1500年前にさかのぼり、伊甚国造の手によって祭祀されたことが分かります。
明治時代に苅谷周辺の神々が集められ、「國吉神社」として現在の二十八柱の神々が祀られる前は、「諏訪神社」としてタケミナカタ一柱のみが祀られていたようです。

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ネットで、國吉神社を検索すると、ちょっとおかしなことがあります。
当社主祭神が、建御名方命となっているところももちろんあるのですが、ある程度の割合で「大山咋命」(おおやまくいのかみ)と表記しているサイトがある。

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公式サイトと思われる場所に、祭神が明記されていないので、誤って書いた誰かの情報が広まったのでしょうか。
もし本当に、建御名方が消されて大山咋に置き換えられているのだとしたら、おおごとです。

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それと、
「豊玉姫の祭祀の古い物が山梨県の山中湖畔や伊甚国造が支配していた地域にある事を忘れないで頂きたい」
「諏訪大社側の文書に書かれている豊姫は諏訪神の妃」
というブリュ師匠から教えていただいた話から、伊甚国造が諏訪神と豊玉姫のカップリングを祭祀して回ったと僕は思い込んでいましたが、それは少々勘違いだったようです。
山中湖畔の豊玉媛を祀る諏訪神社は、実際には伊甚国造と親子関係にある相武国造の管轄だったようです。この両国造家と豊国造家は、同祖だとのことですが。
先の記事の「海南刀切神社」はミナカタ神社だ、というのは、良い線いってると思うのですが、ブリュ師匠には考察の網羅性が足りないと釘をさされました。
はい、まったくその通りで。

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國吉神社の本殿裏に回ってみました。

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何気なく足を運んだ、その場所でしたが、驚きました。
空気が違う。

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KANEKOさんも同じだったようで、「本殿の脇とここでは、一気に空気が変わりましたね」とおっしゃってありました。

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この感じ、僕は玉﨑神社の聖域「琴平神社」と同じものを感じました。
そこで僕は、出雲大社分社側にあった金比羅社が、元は琴平社だったのではないかと思ったのです。
サワケの子孫たる伊甚国造家が琴引の神を祭祀した場所、特有の雰囲気ではないかと。

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するとここで、ちょっとした奇跡が起きました。
僕がカメラのファインダーから目を離し、KANEKOさんをチラ見してみると、御神木の正面でスマホを手にしたKANEKOさんが固まっているように見えました。
その後、KANEKOさんが後ずさりし、直後、

ゴウっ

と一陣の強い風が吹き、あたりの木々をざわめかせたのです。
葉ずれの音があたり一面に一斉に木霊したかと思うと、すん、とそれが止みました。
その後は無風で、一瞬のことでした。

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「『今から参る』と声が聞こえました」
・・・「もうお帰りになられました」

KANEKOさんが、そうおっしゃいます。
どうやら、ほんのいっとき、ご挨拶に来てくれたようでした。

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実はこのようなことは過去にもあり、天女さ、システムさんと初めてお会いしてお連れした伊野天照皇大神宮でも風が吹いて、あたり一面に紅葉の葉吹雪を降らしてくれたことがありました。
歓迎してくれているのか、好奇心で来てくれたのか。
きっと、”いつもうなぎばっかり食っている奴の顔でも見てやろう”って、思って来てくれるのだろうとは思いますが。

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僕は鈍感なので、こうした方々とご一緒の時にようやく思い至るのですが、

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陽の光の中に、月の浮かぶ夜に、霧雨に霞む景色の中に、風に踊る葉すれの音に、
神はいつでもそこに御座すのであろうと、思うのです。

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5件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    谷戸先生の本では、鹿島の祭神は最初は大彦が祀り、後にタテカシマの八井耳の後にナカトミの管轄に。すぐ北に入ったあたりの隣の千波では千鹿頭神とアジスキタカヒコが習合。

    茨木南部ではアジスキタカヒコがツツコワケ神社のセットになってくるのでやっぱり神門臣家が居たという事なんでしょうね。

    いいね: 2人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      神門家の匂いを感じています☺️

      いいね: 1人

  2. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

    大山咋っていうのはミスだと思いたいですよね😅
    千葉県で琴平・金比羅を名乗るところは琴引山と考えると辻褄が合うことばかり、うーん、うちの媛たちと相性が良いわけです😜 伊甚エリアからは少し離れたわが町の金比羅神社、今の宮司が町内の方からの情報多々で色々ちょっと敬遠していたのですが💦たった4キロしか離れていない神社、ちゃんと伺ってみなくてはと。

    あの日、何方がいらしたかも琴平山に答えがございます🤭

    いいね: 2人

    1. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

      失礼いたしました、琴引 です。島根石見には金比羅山がありますが、あちらはまた違うので特に御縁はありませんでした。

      いいね: 2人

    2. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      なるほど、琴引山の神だったのでしょうね。
      少し懐かしい、そんな匂いを感じました☺️

      いいね: 1人

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